じんべさん
「でもほら、君アレなんじゃなかったっけ、タイガー&ホース」
「――突拍子もなく変なこと言うよな、お前」俺は一瞬何のことか解らなかったが、堅城が別にふざけているわけじゃないというのは何となく察しがついた。
「直接的な事を言うのもアレだと思ったからね」と、言う事だ。
「確かに心的外傷を負ったような事を言ったが、あんなの今はもう何でもないさ、多分な。もう一度應仙に行ってみなきゃならない気がするってのは、その例の生徒が、在籍してたら恐らく今は三年生をやっているんだろうと思ってな。もしかしたら、また会えるかもしれないし」
「それで、また会いたくなったのか」
「そうだな、ちょっと毒を吐きに」
「小さいな……」ほっとけ。
「おはよーございまー。あれー、先生二人して一体何のお話してるんですかぁ」と、会話にいきなり割り込んできたのは、出水であった。しかも、パジャマ姿である。ピンクを基調としたフリルのついた、かわいらしい装いだ。夏物であるから、それなりに肌の露出も高い。
「おはよう、別に大した話はしていないよ。それよりこんな朝から、何でお前がここにいるんだ」
「ぷー、別に私はおねぼうさんじゃないですよーだ。それに、ここは学生寮ですから、私がいてもおかしくないじゃないですか」
「そらま、おかしくはないけども、何で寮を使ってない君がここにいるのか、と聞いてるんだけどな」
「先生、ちえは私の部屋に泊まってるんだよ」と、後から談話室に入ってきたのは饗庭であった。彼女もパジャマ姿である。こちらはスミレ色のチェック柄、露出がほとんどないシャツタイプだ。寮暮らししてるクラスメイトは彼女だけであったから、俺にとってパジャマ姿の出水はイレギュラーだったのである。納得した俺は、堅城に向き直った。
「生徒たちとのお話はもう終わりなのかな」堅城はカップを手のひらの上で回しながら言った。
「まあ、今ここで話すような話題も、特にはないからな。後で部室に行くんだし」俺はそう答えたが、出水はこれで黙っているような奴ではない。
「えー、もっとなんか言ってよ、パジャマかわいいねーとか。ねえ、いっちゃん」
「……先生は、そういうことは思ってても言わない人だよ」
「えー、でも、いつもは冗談でもかわいいとか言ってくれるんだけどなー」
「そうなの」饗庭と出水が仲がいい理由がよくわからない。出水のペースに饗庭は付いて行けているのだろうか。相変わらず不思議なコンビである。
「はいはい、二人ともかわいいですよ。出水がちょっと露出多いかと思ったから、何も言わなかったんだよ」
「えー、確かに肩は結構出てますけど。若い子の肌が恋しいからそう見えるんじゃないですか」
「いや、間に合ってる。出水にしてはちょっとせくしーかな」
「せんせがコスプレしてって言ったら私なんでも着れますよー、にしし」
「出水ちゃんあんまりそう言う冗談やめろな。堅城だってさっきからずっと聞いてるしさ。それより、いくら夏物だからって、ここは冷房も聞いてるんだから、上に何か羽織った方が良くないか」この学院は施設内全域、冷暖房完備である。これを当たり前だと思うのは、恐らく間違っているのだろう。
「だいじょぶだいじょぶ、若いからね」
「俺もまだ若いほうなんだがな」
「いや、何と言うかモテモテだな、秋聞君は。さすがだ」
「おい何がさすがだよ。……さて、お前らも、せっかくだからコーヒーか紅茶でも飲んでくか。肌で感じている以上に内臓に冷房は毒なんだよ、飲んで中から温まるといい」俺は立ち上がり、食器棚からカップを二つ取り出してきた。給湯室、というかちょっとしたキッチンの流しに使ったカップを洗って(洗わなくても平気だが)置いておけば、ここのメイドさんが綺麗に整理整頓してくれるのである。隙の無い仕事だ。
「にしし、じゃあ残ってるせんせのコーヒー飲んじゃお」
「あ、待った出水――」しかし、俺が止めるより前に、俺のカップに残ってたコーヒーを全部一気にいってしまった。こういう、はしたないことをする奴である。
「あぅ、苦い……」涙目。
「自業自得だ、ばかたれ。ブラックだぞって言おうとしたってのに」俺はテーブルに、持ってきたカップを並べた。堅城は俺がカップを取りに行く間に、お湯を沸かしてきてくれていた。さすが、お茶会に慣れているだけあって、参加者が増えたら即対応、こやつもなかなかのものである。
「私は紅茶がいーなー、口直しに」
「私も紅茶でお願いします」
そう言いながら、二人は、それぞれ俺の両隣に腰掛けた。出水が左側、饗庭が右側だ。
「なんだか、そこが定位置みたいだね。両手に花じゃないか」黙ってみていた堅城が、くすりと笑う。どうにも、自分の生徒たちと一緒にいるところを見られるのは何とも言えない気分である。別にいつも出水が俺の左側にいたというような印象は無いので、たぶん適当に座ったんだろうと思うが。
「えっと、――堅城先生、歴史教えてください」と、出水がいきなり言い出した。
「別にいいけども、あんまり詳しくはできないぞ」先輩教師の教師らしいところが見れるのだろうか。
「あの、――金印って誰が見つけたんですか」
「金印……って、出土地が志賀島とかいう、あれか」こいつは歴史の初歩的な問題であるが、さて、誰が見つけたとなると、雑学レベルの知識となりそうだ。
「あー、たしか地元の百姓のじんべえさんって人が見つけた、とか言われてるけど……」
「ありがとうございますー。へー、じんべさんかー」なるほど、勉強になったな。
「……」
「……」
「秋聞君」
「何だ」
「せっかくだから、この前買って来た例の《甚平》に着替えてきたらどうかな」
「おいなんだよこれ出水、ネタ振りか、そうなのか」
「変な勘繰りをするなよ秋聞君」ニヤニヤしていやがる。
「そうだよせんせー。私はただ勉強したかっただけだもんね」
「絶対示し合わせてただろ。それ面白いのか、俺はぜんぜん面白くなかったぞ。饗庭はどうだ」
「良く解らない、ごめん」
「いや、そうか、悪かった」饗庭がとても申し訳なさそうな面持ちだったので、俺も謝ってしまった。なんだこれ。
「そうだ、甚平の話はいいとして、この前私が君たちの部室にお邪魔してた事について話をしておこうかな」堅城は紅茶を淹れながら話し始めた。
「そういえば、何で部室にいたんだか聞いてなかったな」
「部室の鍵だよ」
「鍵。それがどうかしたのか」
「わかんない人だねせんせは。顧問の先生の許可がないと部室の鍵は渡してもらえないんだよ。警備室から受け取らなきゃいけないんだから」
「へえ、そうなのか。寮とはまた違うんだな。つまり、あんまり融通聞かないって事か」
「いや、先生の許可があれば融通は聞くんだよ、泊り込みだって別にかまわない。まあ、部室棟のほうはこの寮みたいにオートロック式というわけじゃなくて、一般的な校舎の造りになっているから、鍵は警備室においてあるんだよ。前回は君が学校に居なかったけどどうしても部室に入っておかなきゃ行けないことがあったらしく、頼まれて私が付き添ったんだ」
「あ、いえ、ただせんせをお迎えする前に部屋を綺麗にしとこうかなとか思った次第でして」
「なるほど。それで掃除とかしてくれたのか。気持ちは嬉しいんだが、顧問として、そういうのは俺も手伝いたかったんだがなあ」
「ごめん、気を利かせたつもりだったのに」饗庭は謝ってばっかりだな。
「まあ、いいよ。で、今後は俺が許可を出せば、いつでも部室は使えるという事か」
「もう許可は出てることになってるよ。鍵は返さなくても大丈夫だからね」そう言って、出水は饗庭のパジャマの胸ポケットから鍵を取り出し、チャラチャラと鳴らした。
「え、何だそれ、受け取ったらそれっきりって事なのか」
「そうだよ。無くしたら困るとか保管に自信がないなら毎回返却してもいいけど、また受け取るとなると、もしせんせがいなかったら頼める先生がほかに居ないっぽいし、また堅城先生に付き添ってもらわなきゃならなくなっちゃうから」
「私は結構暇だから構わないけどな」
「それでも悪いだろう、普段そんなに付き合いあるわけじゃないんだから」
「そんなこと無いよ。個人的に、饗庭とは結構話してるからね」
「――そうなのか」
「たまに、二人でお茶とか、するよ」そんな話聞いてなかったぞ。まあ、女性同士というのが良い時はあるだろうし。……変な意味で言ったのではない。
「というわけで、今日は我が同人活動研究会の今後の活動について、と言うか、今月の活動について第一回会議を行います。今日は午後からみんな学校に来るからね」
「えっと、研究会じゃなくて研究部じゃなかったか」
「細かいことは気にしない。研究会って名前の部活なんだよきっと」紛らわしいな。何で自信なさげだ、部長だろうが。
「で、何か生産的な提案があるのかね。部長さんは」
「二週間くらいしたら夏の陣があるからね、そこに行って体験してみようと思います」
「それまずいんじゃあないか」出水の事だから、言い出すかもしれないとは思っていたが。
「せんせがおっしゃりたいことは解ります、ですが、行かなければならないのです。それが私たちの部活の活動なのですからぁぁぁぁっ」
「お嬢様たち十人で乗り込むのか、あんな所に」
「んー。せんせ、私は別にお嬢様じゃないよ、多分」
「そうなのか、その多分って事はそういうことなんじゃないかという気もしなくは無いが。まあどうでもいいさ、この学校の生徒はそういうもんだと思ってるって事だ」
「確かに、うちのクラスみたいのも中にはあるけどね、比較してみれば普通の生徒だってたくさんいるんだよ」堅城のクラスは、全員寮にいたり、少し特殊なんじゃないかとも思っていたんだが。
「じゃあ、今日も暑くなるし、せんせは甚平に着替えてきてください」
「俺に甚平着て部室棟まで行けって言うのか」




