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投資研究会、目の色を変える

「小野君。久しぶりに顔を見たと思ったら、今日は寝に来たのか」


教壇から飛んできた声で、俺は顔を上げた。

ここのところろくに大学に来れなかったせいで気が緩んでいたのか、担当教授の心地よい読経に意識を持っていかれていたらしい。


「寝てません」


「では、いま私が説明していた論点を言ってみなさい」


机の上に置いてあったスマホのスクリーンに、AIマルグリットからのメッセージが入る。いつもこういうアシストなら大歓迎なのに。


「企業戦略の主観的構想は、その後の客観的評価によって再言語化されるという話です」


「……正解だが、そこまで洗練された表現をした覚えはないぞ。

 あとで私の部屋に来なさい」


授業後、教授の研究室ではしばらく大学に来れなかったことについて釈明の機会を与えられた。


「無届けでインターンにでも行っていたのか?

 君には院進をオファーしていた筈だがここに来て方針が変わったかね」


「いえ、そういうわけではありません。家庭の事情でちょっとありまして」


教授の顔がふいに厳しい表情を見せた。


「先日、内閣官房の経済安全保障に関する有識者会議に参考人として

 呼ばれてね……その後の懇親会で何人かに君のことを聞かれた。

 小野君、何か心当たりはあるかね」


「あぁ……ええと、巨額の相続が発生しまして、

 海外資産の現金化のことで何やらあったとは聞いています」


「……名刺をもらった人の中には防衛省の役人までいたぞ。

 どこかにウラン鉱山でも持ってるのか?」


「お騒がせしてすみません。そのような事情でなかなか夜も眠れず……ふぁあ」


「……もういい。今後は気をつけなさい」


呆れたような、恐れるような顔の教授に一礼して研究室を出た。


「ふあぁあ……眠い」


小田原から通うことになると、どうしたって徒歩10分で通っていた時代に比べ

早起きしなくてはならない。

移動中にもう少しリラックスできれば良いんだけど。


エリザは資産の現金化について財団の東京事務所で銀行や税理士と打ち合わせ中。

ヴァレリー夫人の個人資産の遺贈分への課税はどうやっても逃げられないからな。

少なくともその間、日中は彼女の氷のような瞳から解放されるというわけだ。


とは言っても、学内に学生のフリをしたボディガードの人たちはいるみたいだけど。ま、気にしない。


二限目は授業がない。

俺は久しぶりに投資研究会の部室へ向かった。


「うぃーす」


先に部屋にいたのは四人。

季節外れのコタツに鈴木。奥のソファには渋沢先輩が足を組んでいる。


「今日は小林と岩崎もいるのか。珍しいな」


小林真帆はサークル待望の1年生。普段は夕方から夜にかけてサークルに出没しているらしく俺とあまり接点はない。


岩崎啓介は同期の経営学部3年生だ。2年の終わりまではよく話もしていたが、なんというか周りを意識低い連中だと決めつけて小馬鹿にしているようなところがあり、最近はあまり口もきいていない。

本人曰くコンサル企業のインターンに行ってるそうだが、ご苦労なことだ。


「おぉ、小野先輩だ!本物だ!」


「最近は俺の偽物が来ることもあるのか?」


真帆が俺をしげしげと見つめている。

今まで俺に興味なぞ示したこともないのに一体どうした。


「三井から話を聞いたよ。サンタガータで白金を流してたんだって?

 しかも美女と一緒だったそうじゃないか」


岩崎が眼鏡の位置を直すように鼻の付け根を押した。

まるで何でも知っているとでも言いたげな顔だ。


美女ってエリザのことだろうな。

でもエリザは別の車で伴走してただけだぞ。

俺の隣に乗っていたのはDMCの運転手さんだよ。


「やれやれ。三井さん一人介するだけでも情報はねじ曲がるんだな」


鈴木がコタツから這い出してくる。


「違うのか? 二億円のスーパーカーで走り去ったって聞いたぞ」


「三千万もしない車だし、レンタカーだよ」


そんな数億もするような車はもうちょっとこう、

昔からのお得意さんとかアラブの石油王とかが買うもんだろう。

何年も前から予約したり抽選に申し込んだりして。

財団総帥とはいえ、一見さんが昨日今日売ってくれと言っても

売ってはもらえないと思うぞ。


「ヘリも乗ったんでしょ?」


「乗ってねえ。どこ情報だそれ」


チャーター機は乗ったけど、言うと面倒くさくなりそうだから黙っとこう。


「外国人美女は?」


「顧問弁護士だよ。三井さんから聞いたんじゃないのか?」


「顧問」


「何を信じていいか解らなくてな。とりあえずはっきりしてるのは、

 お前があの日ヘリの爆音とともに消えたこと、

 三井の前にサンタガータで美女と現れたことくらいだ。

 美女が顧問弁護士とは聞いてなかったな」


鈴木はこういったグダグダになった話の収め方が上手い。ちょっと感心した。

まあ、詳しいことは誰にも話してないからな。

相続や引っ越しで忙しくてSNSなんかもご無沙汰だったし、書き込んだところで「ネタ乙」って言われるだけだったろうし。


「三井さんは?」


「今日はまだ見てない」


「小野が来たら知らせろって全員に言ってたよ」


スマホを見ると、三井麗奈からメッセージが四件届いていた。


『大学来た?』

『部室?』

『二限終わったら行く』

『逃げないでね』


「何これ怖い」


 渋沢先輩がソファからこちらを見上げる。


「それで、最近部室に来なかったの、あのメールが原因だったの?」


「まあ、メールを送信した連中に拉致されていたかと聞かれればそのとおりです」


「じゃあ、500億ユーロは本当だったのね」


「えっ」


しまった。

部室の空気が一気に変わっていく。

皆の目は大富豪への羨望と言うよりは、何か異質なものを見る畏怖がこもっているように見える。


「500億ユーロ……って、は、八兆円ですかあっ?」


「小林、声が大きい」


「だだだって、八兆円ですよ? 奨学金なんか秒で返せる金額ですよ?」


言ってから、真帆は自分の口を押さえた。

たかるつもりで言ったわけではないのだろう。


「落ち着け。たとえ俺がその金を持ってたとしてもすぐに使える金ではないし、

 全額使えるわけでもない。

 それに、お前のために使うなんて一言も言ってないぞ」


俺は扉を閉め、鍵までかけた。

こんな話が外に漏れたらどうなるか分かったもんじゃない。


「詳しいことは言えないし、これからも言わない。

 お前らの今の反応を見てそう決めた」


「小林、お前今、ここにいる全員のチャンスを潰したこと分かってるか?」


冗談めかしているが鈴木の目は笑っていない。

岩崎も、何か言いたげに真帆を見る。


「わかんないですよ!」


真帆が机を叩いた。


「わかるわけないじゃないですか!

 投資研究会って、なけなしの元本をなんとか増やして豊かな生活をしようって

 人たちの集まりでしょう?

 八兆円持ってる人が現れて、どうして皆さん平気な顔をしていられるんですか?

 こっちは学費、奨学金何百万も借りて卒業したら借金生活。

 今でさえ学食のうどんに油揚げ載せるかどうかで悩んでるんですよ?

 あやかりたい授かりたいと思うのは当然じゃないんですか?

 先輩が日ごろ言ってる『運』とか『波』とか、斜めに構えて笑って見てるだけで手に入るんですか?」


感情任せの発言だが言ってることは間違っていない。

前言は撤回するしかなさそうだ。


「わかったよ。かいつまんで説明する。」


俺はメールが本物だったこと。資産家が実在し、遺贈を受けることになったこと。

警備の都合で家族ごと小田原へ移ったことだけを話した。

金額や当座の200億のこと、財団の話や相続税の話なんかの詳細は黙っておく。

話したってゴシップとタカリのネタにしかならないのは明白だ。


ありきたりな言葉で言うと、金で人間関係を壊したくないんだよ。俺は。


「……再現性と検証可能性が皆無な事例だということは理解しました……」


真帆がうつむきながら小声で呟く。

同じやり方で巨額の相続ができるとしても、俺なら全力で止めに入るけどな。


「ちなみに、俺の財布には3500円しか入っていない。

 今のところ贅沢といえばスーパーカーをレンタルしたことと、

 グリーン車で通っていることくらいだ」


「それだって、十分凄いと思います……

 私はグリーン車、修学旅行で通路を通ったことしかないです」


そもそも、東京に住んでりゃ県境を越える電車に乗ることもあまりないだろう。

グリーン車に縁がなくて当たり前といえば当たり前だ。


「何か金に困ってるのか?」


「……いいえ、そんな……」


ただの興味本位ではなさそうだし、今度二人で話す機会でもあれば聞いてみよう。


「それじゃ、三井さんが来る前に出ていきます。小林と同じ反応をすることは目に見えてるんで」


「なんですかそれ!」


「ああ小野くん、今度お店でボトル入れてね」


「ブレませんね」


「ブレるのはいい男にだけよ。ふふ」


俺はカバンを背負い、急いで靴を履いた。三井が来る前に逃げなければ。

俺の話した内容が全部捻じ曲げられて知らないところで拡散してしまう。

気心知れた仲間ならともかく、俺の知らない三井の交流網でそれをやられるのは大きなリスクだ。


「小野、外でいいから少し話がある」


岩崎が低い声で背後から俺を呼び止めた。



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