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小田原の新居

マルグリットの遺志を受け、小野家を支えるため来日した家令カール。

彼は防犯・防災・対テロ対策を理由に、俺に小田原への転居を提案する。

さらに実家が狙われる危険もあるため、両親まで小田原へ移ることが水面下で決まっていたらしい。

両親の生活まで捻じ曲げてしまったことを悔やみつつ、俺の新生活が始まろうとしていた。

『ごきげんよう。お話は進んでる?』


カールの説明があらかた終わったところで応接室の扉が開いた。

入ってきたのはセグウェイのハンドル部分にモニターがついたような機械。

画面には若い頃のマルグリットさんが映っている。


端末は車輪を小器用に操り、こちらへ滑ってきた。


「うわ。受肉してる」


『失礼ね、テレプレゼンス端末よ。これで屋敷の中を自由に歩けるわね』


そういえば世界的に伝染病が蔓延した時に、こんなのを見たような気がする。

が、間違っても家の中を自由にうろつかないでほしい。

俺の平穏な生活のためにも……いや、平穏な要素は見当たらないけど。

エリザさんも不機嫌な顔で何か言いたげだ。


『カール、少しカメラの位置が低いわ。私は人を見上げる趣味はないの』


「転倒防止のためでして、ご辛抱願います」


『あなたまでエリザみたいなことを言うのね』


「生前も同じことを申し上げました」


受け流し方がエリザさんより幾分柔らかくスマートだ。

開発段階でコミュニケーションのノウハウが溜まったのだろう。


――数日後

俺たちは改装中の施設を確認するため小田原へ向かった。


門から本館まで車で二分。公園のような大きな庭園。

建物は贅を尽くした近代建築といった感じだ。

廊下には養生シートが敷かれ、作業員が照明や通信設備を交換している。


「あら、士郎じゃない?」


「父さん!母さん!」


「……おう、元気にしてたか」


先に到着していた父と母は観光客のように玄関ホールの天井を見上げていた。


「士郎、おおかたの話は財団の人から聞いたけど……」


「うん。なんかいろいろごめん。こんなことになっちゃって」


「そんなに軽率な子に育てた覚えはないんだけどねえ。

 お父さんも今日は仕事を休んで来てくれたんだよ」


軽率――そう、軽率だった。

父は俺を一度だけ睨み、カールに向き直る。


「息子がご迷惑を。これからごやっかいになります」


「いえいえ。私どもも誠心誠意お仕えさせていただきます。

 お父様、お母様におかれましても我々に至らぬところがあれば

 ご指導くださいますよう」


そこへ車輪の駆動音が近づいてきた。AIマルグリットだ。

絨毯の端で少し苦戦しながら玄関ホールに乗り込んで来る。


『初めまして。マルグリット・ヴァレリーです。

 この度息子さんに財産を託した張本人ですわ』


母の顔が固まる。


「この画面の女の人がマルグリットさん?」


『正確には本人を模した遺言執行補助AIです。私自身は死亡しています』


「まあ、お若いのに」


『画面は若い頃の顔を再現したものです』


「お元気そうなのに……お悔やみを申し上げます」


『惜しい人を亡くしました』


母とAIの会話が一向に噛み合わない。

父は端末の後ろへ回り、車輪と電源周りを熱心に覗き込んでいる。


「これ、段差は越えられるんですか?」


『お父様、私の顔より足回りに興味がおあり?』


「先ほど絨毯のところで難儀されていたようなので」


『カール。私この方、気に入ったわ』


母もすぐに順応し、マルグリットさんへ尋ねる。


「夕飯は召し上がって行かれるんですか?」


『私はお食事は要りません』


「食事は本日より料理人が作ります。

 できましたらお呼びいたしますのでそれまでご自由にお過ごしください」


AIのあまりの出来の良さに、母は未だに

マルグリットさんがテレビ電話で顔を出しているようにしか考えられないらしい。

ひと通り施設を見た後、俺は最重要問題をカールにぶつけた。


「ここからどうやって大学へ通うんです?」


「小田原駅まで警護車両。そこから東海道新幹線で東京駅へ。

 そこから大学までは別車両を用意します。

 お父様も小田原から静岡へは新幹線で通っていただきます」


「毎日新幹線?」


「基本はそうです。ただし便と経路は固定しません。

 OSACや警備会社からの情報によっては、大学まで警護車両でお送りします」


「OSAC?」


「安全情報ネットワークですな。

 そこからの情報を基に警戒体制をコントロールします。

 大学からお帰りの際は手の者をお呼び下さい」


うん。もう、学校の帰りにコンビニに寄ったりサークル仲間と居酒屋に行ったりはできないってことね。

大学生活の幅が狭くなったな。

その分、別の体験ができてはいるから収支はプラスなのかもしれないけど……

さようなら俺のワンルーム。さようなら気ままな一人暮らし。


外では警備員が門の周囲を確認し、父が庭の一角を畑にできないか測っている。

母はAIマルグリットに工事中の廊下を走ると危ないと注意していた。

父が丹精した実家の畑、母の近所付き合いなど手放し難いものもあっただろうに、そんな不満を少しも表に出さない両親には感謝しかない。


「改装完了は三ヶ月後を予定しております。

 本格稼働までには少しお時間をいただきたく」


カールがタブレットで予定を確かめる。

見せてもらうと、工期と予算、担当者の名前が線表に隙間なく書かれていた。


「こちらへの引っ越しは三ヶ月後?」


「いいえ、今日からこちらに住んでいただく想定でおります。

 警備上その方がよろしいかと。荷物の手配はすでに進んでおります」


有能なのかこちらの了承を当て込んで暴走しているのかよくわからん。

現実が追従しているので何も言えない。


『入居したら私が毎朝ベッドまで迎えに行くわ』


廊下の向こうで、母の声が飛んだ。


「マルグリットさん、二階は車輪じゃ無理ですよ!」


『カール。明日までにエレベーターを』


「厨房への廊下の脇にございます」


「あるのかよ」


こうして我が家の引っ越しは、俺の同意を待たずに決定した。



テレプレゼンス端末が気になる人はこちらをご参照下さい

https://www.seobythesea.com/2014/10/googles-telepresence-patent/

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