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チートと現実

(前話までのあらすじ)

久しぶりに大学へ戻った小野は、教授から政府関係者に名前を知られていることを告げられる。さらに投資研究会では、500億ユーロの相続が本物だったと仲間に知られ、部室の空気は一変。三井麗奈から逃げようとした矢先、岩崎に呼び止められる。


「小野、外でいいから少し話がある」


背後から俺を呼び止める岩崎の低い声。動き始めた部室の空気がまた止まる。

鍵のかかったドアの向こうに三井麗奈がいつ現れてもおかしくない。

八兆という数字を聞いて茫然自失のまま固まっている奴もいるし。


外で話すのは正しい判断だ。


「長い話か?」


「10分でいい。中庭の学生会館の裏手で待ってる」


岩崎は先に部室を出た。俺は鈴木たちを振り返る。


「余計なこと言うなよ」


「具体的に、どれのことだ?」


「俺を取り巻く環境が今どういう状況か、だ」


「勝手に話したくせに」


「話さざるを得ない状況だったろ!」


鈴木が両手を上げ、右手で「さっさと行け」と促した。

小林はまだ俯いている。

渋沢先輩の表情は読めない。今までに読めたことは一度もないが。


金持ちになった実感はない。

だが会話の内容、会話に必要な場所の条件、その後の情報管理――

全てが今までとは違う。

判断の軸がいくつも増え、文字通り別次元の選択と対応を迫られるのだ。

何代も続く金持ちという人種があまり人前に出てこないのも分かる気がする。


梅雨を前にした昼前の中庭には紫陽花の花が満開だ。

ベンチでは女子学生が売店のサンドイッチを食べ、

芝生の端ではサークル勧誘の残党が段ボールを広げている。


「それで?」


岩崎はベンチには座らず、腕を組んだまま俺の前に立った。


「小野、お前のところで俺を雇ってもらえないか?」


「いきなりだな。俺の状況を話してから30分も経ってないぞ。

 ちゃんと考えたのか?」


「考えた……考えたつもりだ……」


「話を聞こうか」


岩崎が何か思考を巡らしている中、俺は一人ベンチに座って次の一言を待つ。

同じ3年生で、これまでは似たような目線で話をしていたつもりだった。

だが、この数週間で変な経験値が積まれすぎたせいか、岩崎の焦りや自信が妙に薄っぺらく見えてしまう。

いろいろ、慣れすぎたのかもしれない。


「俺がコンサルへの就職を希望しているのは知ってるよな」


「ああ、高給もらってマンション投資をするんだってずっと言ってたな」


岩崎の拳がわずかに震える。


「AIの普及でコンサルファームの採用状況が変わっていてな。

 若手がやっていた仕事がAIで自動化されて採用数が激減してるんだ。

 このままでは俺の人生設計が崩壊する」


「うちの大学はブランド力も弱いしな。

 お前の人生設計、コンサル以外の道はないのか?」


「ある。今、お前に提案しているのがそれだ」


「俺に寄生する道か?」


「言い方」


「本質は同じだ」


岩崎は眼鏡の位置を直した。


「お前にはこれから膨大な意思決定が発生するよな。

 資産運用、税務、広報、プライバシー管理、リスク管理、大学生活との両立。

 弁護士や銀行家はいるだろうが彼らは専門家だ。

 全体を横断してお前の側に立って整理する人間が必要になる」


「自分がいれば上手くいくとでも言いたげだな」


「俺は投資研究会で金融も経営も勉強している。

 今だってコンサルファームでインターンをして日々勉強してるんだ。

 その辺の大学生とは意識と覚悟が違う」


「インターンに潜り込めているならそこで頑張ったほうが良いんじゃないか?

 あれは事実上の一次試験だとか就職支援サイトに書いてたぞ。

 それと、意識の高さは実務能力とは無関係だろ。

 俺に必要なのは意識の高い奴じゃない。仕事のできる奴なんだ」


……と、エリザなら言うだろうな。


「頭からかなり否定的だな。気が乗らないのか?」


「同期のサークル仲間を部下にしたい奴はそんなにいないと思う。

 少なくとも今のところ、お前を迎え入れる理由は見つからないな」


「こういったチート的な幸運の乗りこなし方は俺のほうが詳しいと思う」


「何でだよ」


「ストレス発散のため、そういうWeb小説をよく読んでいるんだ」


「帰っていいか?」


Web小説に出てくるチート主人公の参謀役になろうとでもいうのか。

付き合ってられるか。バカバカしい。


「まあ待てよ。

 突然チート級の幸運を得た人間が周囲の嫉妬や権力者の介入をどう処理するか。

 よく考えられた小説も多いんだぞ。

 現行法上で自分ならどうするかを考えれば良いシミュレーションにもなるし」


「なろう小説がまるでMBAの教科書だな。

 実務経験もないのにコンサルに行こうというお前らしいわ」


「……なんとでも言え。

 突然大金を得た人間が最初にやるべきことは三つある。

 資産の保全、身の安全の確保、情報の隠蔽だ。違うか?」


「……っ」


不覚にも少し黙ってしまった。

言っていること自体はエリザが初日からやっていることに近い。

カールもまさにその方向で動いている。

ただ、それを岩崎の口から聞くと無料メルマガみたいに安っぽく感じるな。


しょうがない。少し付き合ってやるか。


「で、具体的には?」


「まず、税負担を下げるためには海外に移住するのが良いだろう。

 次に法人化して資産を管理する。

 第三にスタートアップを興して資産の拡大と収益力の獲得。

 資金調達ストレスがないのは圧倒的な強みだ。

 お前の資金力ならスムーズに上場まで持っていける」


「なるほど」


「分かるか」


「分かった。お前、俺がこの数週間で思いついては駄目出しされたことをだいたい全部言った」


岩崎の眉が動いた。


「どういう意味だ」


「誰でも思いつくようなことだってことだ。

 だが、海外移住は今の俺には悪手だ。今は居住の実態を見られるからな。

 大学生活と両立するなら日本に住む必要がある。

 住民票や書類上の住所だけ海外に移しても駄目なんだ。

 この時点で、だいぶ耳学問っぽいぞ」


「節税に関してもやれることはいくつもある」


「資産を担保に現金を借り入れて、バランスシートをどうこうするってのなら

 とうにやっているぞ」


俺は自分で言ってて少し嫌になった。

まるで少し前の俺にたたみかけているような錯覚を覚える。

以前の俺ならこんな言い方はしなかったろう。


「資産管理法人も、財団とか信託とか会社とか、もういろいろあるんだ。

 それにスタートアップな。これも微妙だよ」


「どうしてだ? コンサルを卒業した人は結構スタートアップを立ち上げるぞ」


「聞くが、上場出来たとして、創業者にはいくら残る想定だ?」


「事業次第だが数十億から数百億」


「そうだな。よほどの破壊的イノベーションを成し遂げた企業や

 すでに莫大な設備投資をしている会社でもなければそれくらいが妥当だな」


「そうだろう。微妙なんてものじゃない。何の文句がある」


岩崎は苛立ったように息を吐いた。


「仮に、今五兆円の資産を運用するとする。年4%の運用益があるとして

 いくらになる?」


「2000億円だ……」


「そうだ。スタートアップの経営で胃に穴が開くようなストレスを感じながら五年十年を過ごしてようやく手にする数百億は確かに尊いが、今の俺には必要ない」


岩崎の目の光が、若干曇った。


「俺は、投資先の銘柄決定や分散投資のポートフォリオマネジメントだって

 できる」


「岩崎、もう分かってるだろ。

 八兆円なんて金は長い間雪山を転がった雪だるまみたいなもんでな、

 長年の資産形成の結果なんだよ。

 分散投資も運用も、俺が生まれるずっと前からされてるんだ。

 運用チームが築き、磨いてきた方針と手段、そして実績がある。

 俺がもし何かの分野のスタートアップやろうって言ったら、たぶん運用チームに

 『その分野へのエクスポージャーはすでにあります』って言われるよ」


「エクスポージャー」


「俺も意味を聞いた」


「何て?」


「簡単に言うと、もうやってます、だ」


岩崎は唇を噛んだ。


「聞いてれば全部人任せだ。それで良いのか?」


「俺が全部の専門家に勝る知識や手腕を持つ必要はない。

 俺がやるべきなのは、誰の言葉を聞くか決めることと、

 最後に俺の名前で責任を取ることだ」


「……お前なんか、ただのラッキーのくせに」


岩崎が絞り出したその言葉が胸の奥に刺さった。


その通りだ。

俺は努力して今の資産を手に入れたわけではない。

事業を興したわけでも、発明をしたわけでも、相場を読んだわけでもない。

悪ノリで詐欺メールに返信しただけだ。


「そうだよ。だから困ってるんだが、困っていることの次元が違うんだよ」


困惑の表情を見せる岩崎。俺が何を言ってるのか分からないらしい。


「努力して手に入れたなら自慢できる。能力で勝ち取ったなら使い方も分かる。

 親から継いだならまだ教育されてるかもしれない。でも俺は違う。

 突然手に入った。それで周りの目は変わり、命さえ脅かされ、

 税務署と銀行と弁護士とボディガードが俺の生活を囲んでる。

 俺が困っているのは変わってしまった世界とのうまい付き合い方が

 未だに分からないってことなんだよ」


俺の説明を聞き、岩崎はしばらく下を向いていた。

納得したようには見えなかったが、これ以上押しても無駄だとは悟ったらしい。


「雇ってくれって話は今日のところは撤回する」


「そうした方が良いな。せめて数日考えろ」


「だが、俺に何か手伝えることがあれば言ってくれ。

 普通に生きてたんじゃ経験できないことも多そうだ」


「その文脈でなら覚えておくよ」


「あと、小林の奨学金の話は少し気にしてやれ。あれはたぶん本当に困ってる」


意外だった。

岩崎が小林真帆を気にしていたことも、この流れで自分以外の話をしたことも。


「小野っちー! いるんでしょー!」


唐突に中庭に響く三井麗奈の声。やばい。

岩崎が俺を見た。


「やっぱり逃げるのか?」


「逃げる。あいつと話すと情報管理が破綻する。小林の話はまた聞かせてくれ」


岩崎をその場に残し、足早に逃げる。

うまく撒いたつもりでいたのだが、どういうわけか俺の目の前には麗奈が満面の笑みで立っていた。


「久しぶり。話、いっぱいあるよね?」


話なんて、文句しかない。


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