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トラブルメーカー

――翌日、目が覚めたのは昼過ぎだった。


「うぁ……寝坊した。時差ボケってやっぱりきついな……ん?」


スマホに送られて来ていたエリザからのメッセージはシンプルだった。


「契約している DMC を呼びました。

 一度お顔合わせして、問題なければ昨日のご要望の件を実施します」


DMCとは、エリザ曰く Destination Management Company。

超富裕層向けの「何でも屋」で、財団が世界中で契約しているらしい。

米国の映画で大活躍したアルミボディの自動車ではない。


ルームサービスで昼食を取った後、エリザとホテルのエントランスに向かう。

正面の車寄せの脇で、黒光りするスーパーカーが低く不揃いなエンジン音をたてていた。

ボンネットには角のごつい山羊みたいなエンブレムが輝いている。

その隣できっちりスーツを着こなした男性が二人、俺を待ち構えていた。


「小野様、本日はDMC『ひまわり』東京チームが担当いたします。

 サンタガータ・テンペスタ、フルオプション仕様でお迎えに上がりました。

 何かご要望がありましたら、いつでもお申し付けください」


「マジか……」


俺は思わず呟いた。

数日前まで六畳間でたらこスパをすすっていたんだぞ、俺は。

それがスーパーカーを運転手付きで……


「これが金持ちってやつか。バカバカしい。実にバカバカしい。けど最高だ!」


「俗物」


エリザの呟きを華麗に聞き流し、さっそく助手席に乗り込んで付近のドライブと洒落込むことにした。

行き先はどこだって良い。とりあえずこの数日のストレスを発散したかったのだ。


バカでかいウィングのついたメタルブラックの車体が街を切り裂いていく。

スピードは出せないが、道行く人々の羨望と憧れの視線がとても気持ちいい。

いや、俺の車じゃないけど。レンタルだけど。


金持ちってこういうものだろう?


後ろからエリザたちの車が随行してるのが今ひとつ気に入らないけど、そこはそれ。


***


しばらく都内のドライブを楽しんだ後、小腹が減ったのでカフェに行くことにした。

まあ、正直乗り心地はスーパーじゃないしな。


「ちょっとエリザさん達とはぐれてしまったけど、すぐ追いついてくるだろ……」


「小野っちじゃん!」


「あれ、三井さん?」


豹柄トップスに、主張の強い金アクセサリー。

三井麗奈がハイヒールで小走りに近づいてきた。

全身からコレジャナイ感が出ているが、本人は今日も人生を賭け金にした投資活動中なのだろう。

ここは彼女の狩場だったわけだ。

彼女に限らず、際どい格好をした女性たちがこちらをチラチラ見ているのが分かる。


「うわっ、これサンタガータじゃん。ヤバイヤバイ!どしたのこれ?」


「ああこれか。借りてみたんだ。良いだろ」


「なあんだレンタルかあ……小野っちならいいかなとちょっと思ったんだけどな」


「はいはい。俺の意思も考えような」


「てか、乗せてよ。乗ってみたい!」


「悪いな三井さん。この車二人乗りなんだ」


「何だよぅ!小野っちのくせにムカつく~~っ!」


麗奈がむくれてバッグを振った――


カリッ


乾いた音。バッグの金具がテンペスタのボディを綺麗に引っ掻いたのだ。


「あっ!」


「え……」


黒いボディに一筋の、それなりに無視できない傷。麗奈の顔が青ざめる。

運転手の人も慌てているところを見ると非常事態のようだ。


「うわあ。やってくれたな……」


「どどどどどうしよう小野っち!わざとじゃないんだよ?」


仮にも Gold Digger を目指す彼女だ。

高級車のボディの修理が決して安くないことは知っているだろう。

そして、「わざとじゃなかった」では免責されないことも分かっているはずだ。


その光景に血の気が引いた俺だったが、口から出た言葉は自分でも意外だった。


「……いいよ、気にすんな。こっちで直すから」


スマホを取り出し、エリザに連絡。

幸いにも彼女たちを乗せた車はすぐ近くまで来ているらしい。


『そうですか。お金で解決できるならそうしましょう。

 運転手さんにそうお伝えください』


エリザの声は諦観に満ちていたが怒鳴りはしなかった。

「ひまわり」の運転担当には、修理費はこちらで持つことを約束して帰ってもらうことにしよう。

正直、もうドライブって気分じゃないしな。


それを見ていた麗奈が目を丸くした。


「え、ちょっと……小野っち、ほんとにそれでいいの?」


「こんなことで今後三井さんとギクシャクしたくないしな」


「ありがたいんだけど、そんな理由でチャラにされて安心できるわけないじゃん」


昨日までの俺ならキレ散らかして麗奈を怒鳴り、弁償だ賠償だ民事訴訟だと喚きまくっていたかもしれない。

今だって心のどこかにそんなことを言い出しかねない衝動はある。

だが200億円を使える今、俺はそういうことを「煩わしい」と考えてしまっていた。


現金なものだ――俺は自分自身を笑うしかなかった。


その時、テンペスタの方から冷たい声がした。


「これがその傷ですか……。

 修理と休車損害で100万ってところですね。私の方で処理しておきます」


エリザだ。追いついたらしい。

スーツ姿のまま、腕を組んで俺と麗奈を一瞥する。


「運転手までつけたのに……やらかさずにはいられないんですか、あなたは」


「いや待て。やったのは俺じゃない。そこの三井さんだ。電話でそう言ったろ?」


麗奈は小さくなってエリザを上目遣いに見ていた。


「やらなくていいことをわざわざやって、挙句トラブルを起こして

 周りの人間にケツを拭かせるのなら一緒ですよ」


ぐうの音も出ない。

エリザがタブレットを取り出すと、AIマルグリットの声がスピーカーから漏れた。


『エリザ、私は小野さんのフォローをあなたにお願いしたわよね?』


「邪魔です。今からそのフォロー処理をやるんです。消えて下さい」


『ケツのシワだのケツを拭くだの、ずいぶんお上品ね。

 小野さんとお話が合いそうで何より』


「……」


『優しく拭いてあげてね』


そう言うとAIマルグリットはタブレットの画面から消えた。

なにか言いたげにこめかみをペン尻でトントンと叩くエリザ。

彼女は深呼吸を一回した後、麗奈に向かって軽く頭を下げた。


「三井さん、ですね?

 私は小野さんの顧問弁護士のエリザ・高畑・オッペンハイムと申します。

 今回のことはこちらで処理しますので、どうぞご心配なく」


「あ、はい。この度はご迷惑をおかけした上にご厚情いただきまして……って、

 え?顧問弁護士?」


麗奈は呆然としつつ、その言葉の正否を俺に問う。


「ああ、そうなんだよ。だから今後は気をつけてくれ」


「小野さん、あなたもです。

 慣れないお金の使い方をすると周囲をいらぬリスクに晒すんですよ」


俺はここ数日で一番しょげた。

マルグリットさんが俺に期待した、愚かでエリザを困らせる行為を今まさにやってしまったのだ。

情けないことこの上ない。


(今後も、こんなことが続くのか……)


テンペスタを修理に出した後、麗奈とも別れてエリザの乗ってきた車に乗り込む。

今回のようなことはエリザにとって想定の範囲内だったようだが、なんともバツが悪い。

俺が我儘を言ったことで、何人もの人がその後処理をしたことに変わりはないのだ。


「小野さん。もう少し有意義なお金の使い方があるのですが」


エリザが少し口の端を緩めていた。


「なんだい。そんな使い方があるなら是非教えてくれ」


「来週から授業に出られるでしょう?

 でしたら教科書なんかを取りに、これからアパートに行きませんか?」


「そういえばそうだね。警備とかは大丈夫なの?」


「別働隊がクリアしています」


手回しの良いことだ。そういえばテンペスタで走っていた間、何も起きなかったのはそういうことか。


「ご心配なく。

 初日が不幸すぎただけで、あの後小野さんに手を出そうとする組織は

 そんなにありませんよ」


「そんなに、ね……」


アパートに帰ると扉に大家さんから連絡しろという貼り紙。

ドアを開ける前からその理由は想像がついた。

放置されていた食べかけのたらこスパや副菜、牛乳などが壮絶な異臭を放っていたのだ。

近隣住民からの苦情が来ていたのだろう。


「清掃業者を呼ぶので、こちらにサインを」


「有意義な使い方って、これか……」


「費用対効果はテンペスタより上かと」


俺はため息をつきながらサインをした。

Gold Digger……資産やお金を目当てに裕福な人との交際・結婚を目論んで活動する人達。高級車の近くでピチピチの格好をしてオーナーが来るのを待ち構えていることがしばしば。

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