王様の河川敷
黄金週間を前に、俺はオフィスに横たわり◯と✕のボタンをポンポンと押す
でっぷり大きい犬に話しかけていた。
「ラッシュ、お前は本当にボーダーコリーか?」
「クォン……」
申し訳なさそうな顔を見せるラッシュ。たぶん俺の言うことが分かっている。
最近ラッシュは運動を少し嫌がっているそうだ。
重い体で走ることで疲れやすくなっているのかも知れない。
「自分で餌代を稼いでいるだけに、食わせろと言われると拒みにくいです」
小林がラッシュの脇腹を両手で押すと、指の間から肉が戻ってくる。
「運動させよう。犬ってどこで走らせればいいんだ?」
「都会だとドッグランですかね。田舎だとその辺走れば良いんですが……
地元の久良瀬には良い場所があったなあ。河川敷がものすごく広くて。
黄金週間はイベントで混みますけど、ワンコは普通に走ってましたよ」
小林はスマートフォンで去年の写真を見せた。
はるか向こうまで見渡せる、石の河原と草っ原で人々が寛いでいる。
「いいな。ここなら思いっきり走れそうだ」
「機会があれば行ってみて下さい」
黄金週間は毎年下宿で暇を持て余していたし、
今年はちょっと遠出してみるのもいいかもしれない。
ちょうどサンタガータ・リヴェンジャーが納車されたところだ。
オープンカーにラッシュと二人で乗るのは絵になるだろう。
「じゃあ、休みが続くしちょっと行ってみるか、久良瀬。
買った車の慣らし運転もできそうだし、俺も車では初めての遠出だ」
「ふぇ?黒い三連星で行くんじゃないんですか?」
黒い三連星―― 俺が都内で移動するための警備車両達を
学生たちがからかって言っている名称だ。
今では警備の人たちも「今日はマッシュが先行で」とか言ってる。
黄金週間が終わったら企業の決算発表や株主総会が目白押しだ。
その前に休養を、ということで小林も俺の案内がてら地元に帰るという。
ラッシュが新車の匂いを嫌がり、エリザは理由も言わずに嫌がったため
小林が俺の助手席に。
小林はその視線の低さと俺の運転技術の低さ、
両方に怯えながら高速道路に乗ることになった。
ラッシュはオルテガ号に、世話係と一緒に乗っていく。
いつも移動で使う車と似たような車のせいか、慣れたものだ。
「いくぞ、小野士郎、出る!」
アクセルを踏むと赤いサンタガータ・リヴェンジャーが通常の3倍の速度で……
ってもうええわ。
†††
黄金週間の初日、交通渋滞に辟易しながら俺達は
小林の地元・久良瀬に辿り着いた。
「ぐぇぇ……すごいドッカン加速とガッツンブレーキで……死ぬ……」
小林は俺の運転技術にメロメロ……というかふらふらだ。
真っ青になってうずくまり、動かない。
「おおう、百聞は一見に如かず。凄いな」
河川敷は確かに広かった。そして人の出も多い。
地元の商店や企業がテントを並べ、中央には仮設舞台まで組まれている。
小林が言っていた黄金週間のイベントらしい。
「端へ行きましょう。あっちなら空いてます」
ラッシュを随行車から下ろした途端、子供が指を差した。
「あっ!テレビで見た、なんか賢い犬!」
ラッシュはリードを引っ張って子供へ近づいていく。
ラッシュはとにかく撫でてもらえたり褒めてもらえたりする機会があると
躊躇なく突っ込んでいく。その性格のせいで投資成績があるわけだが。
「あれだ!◯と✕を押す犬!」
「カネモチーヌ?」
犬が金を持ち歩いているわけがないが、そこは子どもの天真爛漫さ。
子供の声で人が集まり始めた。
ラッシュは撫でられ、写真を撮られ、腹を見せて媚を売りまくっている。
日頃鬱屈とした都会のオフィスに押し込めすぎていたのだろうか。
「あの、すみませーん」
地元CATVの腕章をつけた女性がカメラマンを連れてやって来た。
「投資犬のラッシュ君がこちらにいると聞いて。
少しお話を伺ってもよろしいですか?」
「あ、いや。こちらには運動をさせに来ただけでして。
取材ということでしたら財団の広報にまずお願いします」
「現在の相場をどう見ていますか?」
無遠慮にラッシュの鼻先にマイクを突きつける女性。
「話聞いてます?」
「あ、ラッシュ君に……」
ラッシュは記者が撫でてくれないと知ると興味なさげに世話係の足元に逃げた。
「んー。ラッシュ君今日はご機嫌斜めみたいですね。またお願いします」
意外にすんなり引き下がった記者とカメラマン。
こちらを値踏みするような視線がどうにも気持ち悪い。
再び子どもたちにもみくちゃにされるラッシュを見て、
運動させる場所を紹介した小林も困っている。
「はいちょっとゴメンよ。通してくれ」
祭りの実行委員長と書かれた腕章の男が人をかき分けて来た。
小林を見るなり名前を呼ぶ。
「真帆ちゃんじゃないか。ゴールデンウィークで帰省かい?
すごい車で帰ってきたってみんな言ってるよ」
「あはは……大学の先輩の車です。私のじゃありませんよ」
作り笑いを浮かべる小林の顔が引きつっている。苦手な相手だろうか。
実行委員長の男は俺を見ながらスマホをクリクリと触った。
「ヴァレリー財団の小野さん……へえ、有名人じゃないですか!
ちょうどいい。ラッシュ君とあそこの舞台へ上がってみませんか?」
「いや、今日はそういうつもりで来たわけじゃないので」
「いいじゃありませんか。こちらへ観光に来たってことで。
右手を挙げていただくだけでも結構です」
「その……そういったことは広報を通せときつく言われてまして」
「そうですか。コンプライアンスとか、昨今やかましいですからな」
若造の俺が自分の言ったとおりに動かないのが気に入らなかったのか
男は笑いながら眉間にシワを寄せた。器用なものだ。
「やれやれ。ご両親だけじゃなく連れてきた男もこんな調子か。
いつまで続けるつもりだい?
意地を張らずに戻って来れば仕事くらい回すと言ってるのに」
「両親の仕事と今日のことは関係ありません」
「儂に楯突いた以上、同じだよ」
男は記者を呼び寄せた。
「小野さんは今夜、プライベートで小林の嬢ちゃんとお楽しみだ。
邪魔しないようにな」
「変な言い方しないで下さい!先輩とはそういう関係じゃありません!」
「ここは都会と違う。あんな車で二人で来て『関係ない』なんて通らんよ。
明日にはどんな噂が広がるか楽しみだね。おじさんは」
「~~~っ!」
小林は男に返事をしなかった。
ラッシュのリードを俺から取り、人混みから離れた河川敷の端へ歩き始める。
俺は遠巻きに俺達を見ていたエリザを呼び寄せた。
「エリザさん、どう思った?」
「まあ、穏当な関係ではないことは明白ですね。調査しますか?」
「頼む」
珍しく外出用の私服を着ていたエリザの顔にいつもの厳しさが戻った。
頬についたたこ焼きソースを親指で拭い、仕事に戻る姿はなんとも頼もしい。
「なんだってんだ……」
ラッシュはそんな俺の気も知らず、全力で河原を走っていた。
†††
ラッシュを2時間ほど走り回らせ、音を上げたところでこの日は撤退。
俺は小林を実家に送り届けた後、財団が保有する近くの保養所に向かう。
「お疲れ様です」
保養所ではエリザが厳しい顔をして俺を出迎えてくれた。
「何か分かった?」
「まだ詳細は……ですがいろいろとご報告もあります」
「聞こう」
エリザの報告はこうだ。
まず、小林の実家が営む広告印刷業は経営状態がかなり悪いらしい。
最近になって得意先を次々失い経営は火の車だそうだ。
「小林が奨学金や生活費に焦っていたのはそれが原因か」
今日、俺に舞台へ上がれと言ったのは坂本という男だった。
坂本一族はガソリンスタンドやCATV局を経営し、
地元の公共事業もほぼ独占している。
市長や市会議員にも息がかかっており、逆らった会社には仕事が来なくなるらしい。
「つまり、この辺じゃ怖いものなしってことか」
「そうですね。楯突けば仕事を奪われる。
破産するか、諦めて久良瀬を出ていくしかないと言われています」
なるほど。見えてきた。
小林の実家は今日の俺と同じく、あのオッサンに楯突いたんだろう。
「でも、こんな田舎の商売だけでそこまで力を維持できるものか?」
「バブル期に都内に何棟かビルを建てていますね。
その賃料が一族の屋台骨になっています」
うん。さすがエリザと財団の調査部隊は優秀だな。
「エリザさん、どうしよう? 俺あのオッサンに結構腹が立ってるんだけど」
「腹が立ったからと言って即、喧嘩を売るのはお勧めしません。
小林さんが望めば介入する、くらいでいいのではないでしょうか。
と言っても聞かないんでしょうけど」
正直、小林実家に転居を勧めるのが一番簡単だとは思うんだが、
だったらとっくにそうしているはずだ。
それをしたところで小林の両親は一生「負けた」とか思っちゃうんだろう。
「じゃ、小林にバレないように虐めちゃおうか。あのオッサン」
「であれば私より適任がいます。経済戦争の天才、いや天災みたいな女が」




