エリザの帰還
「おかえり」
口から出たのはその言葉だけだった。
「ひどい顔ですね」
「最近うまく眠れなくてね」
久しぶりにエリザと話している。
助かった―― そう思った自分に腹が立つ。
俺はまた全部この人に任せようとしている。
「それで、どうして戻って来たんだ?」
「予定していた仕事が一段落ついたので、早めの便をとって帰ってきました。
……状況は良くなさそうですね」
「はは。色んな人に怒鳴られたよ」
二輪AIマルグリットがその場でくるくると回転し始める。
『私はやってないわ。馬鹿にしただけよ』
こいつも調子を取り戻したのか。
人が落ち込んでいる時だけ気遣うなんて、AIのくせに妙なところで人間らしい。
「士郎さんに紹介したい人が居ます。私と一緒に小田原へ来てもらいました」
エリザが開いたままのドアの外へ声をかけた。
入ってきた男から渡された名刺には、内閣官房内閣情報調査室と書かれている。
日本には本当にこんな名前の組織があるらしい。
俺達の向かいへ座った男は、挨拶を終えると端末に地図を表示した。
「エリザさんに無理を言って連れてきていただいたのはですね、
お知らせしたいことがあるからなんです。
そちらを騒がせている詐欺ファンド、
あれをやってる連中の拠点についてなんですがご興味おありですか?」
「分かっていたんですか? 教えて下さい。是非とも!」
「こちらです」
男が持ってきたのは東南アジアの地図。
赤いピンが示しているのはカンボジア、タイとの国境付近だった。
横には何枚かの建造中の建物写真が並んでいる。
「サムラオン……聞いたこともない地名だ」
「オスマックというところにあった国際犯罪組織の大規模拠点が陥落したあと、
そこから逃れた連中が建設を始めた新拠点です。
連中は『第二オスマック』と呼んでいるようで、
まあ、まだまだ未完成なようですが」
「ここで、詐欺サイトの制作からコールセンター、出し子への指示出しまで行っているようです」
「情報は確かなんですか?」
「私、内調の前はウィーンで国連薬物・犯罪事務所におりましてね。
奴らは以前から追跡対象だったのもあって、情報は手に入るんですよ」
そういえばエリザはウィーン出身だと聞いたことがある。
「日本の警察は動かないんですか?」
「相手は武装した犯罪組織です。対抗するためとは言え日本から武装した
部隊を送り込むなんて、構想の時点で世界中から大バッシングされますよ」
「なるほど……理解できます。でも、場所まで分かってるなら、
現地の警察や軍に捕まえてもらうわけにはいかないんですか?」
「この拠点も犯罪組織も、辿っていけば政治家と国際資本でしてね……。
まともなルートで交渉すればするほど途中で握りつぶされるんです。
相当数の日本人がここで監禁されているので我々も困ってまして」
「我々になんとかしろと?」
「もし、なんとかされるのでしたら、後始末はこちらでさせていただきます」
成功すれば支援する、か。
政府というのは実にこすズルく、頼もしい。
「なんでまた俺達にこの情報を?」
「理由は二つあります。
一つは、お話した通り、この犯罪組織が日本人を監禁して
日本で詐欺を働かせるためにこの拠点を使用していること」
男は二本目の指を立てた。
「もう一つは、先日の相続騒動の罪滅ぼしですかね」
「……」
「総理も、お友達は多い方がいいとお考えなのですよ。
では、私のお話はこれで。
気が向いたら動き出す日だけでも教えて下さい」
男は地図と写真を残して帰った。
「カンボジアまで行って、交渉するなり叩き潰すなりして来いってか……」
しかし、実際問題俺が現地へ乗り込んでどうなるものでもないだろう。
金があっても撃たれれば死ぬ。俺は銃弾より明確に弱い。
「さてどうしようか。『カンボジアに拠点を置く国際犯罪組織のせいです』
って俺がテレビで言っても状況は変わらないだろうね」
エリザはすぐに答えなかった。
俺の方をじっと見て、人差し指で頭をトントンと二度叩く。
「盤面を……変えるんだな?」
ニヤリと笑うエリザ。映画みたい。
「財団が過去に業務を委託した民間軍事サービスがあります。
依頼主と契約内容を外部へ漏らさないことを売りにしている会社です」
「へえ?」
「以前、ナイジェリアで財団職員が誘拐された時に頼みました。
費用は十億円ほどでしたが……今回はもう少しかかるかも知れません」
十億円かそれ以上―― 去年の俺なら椅子から落ちていたかもしれない。
今はワイン百本分か、と考えてしまえる。
「出すよ、それくらい。十倍でも出す」
「お金の使い方が荒いです」
「荒いけど雑じゃない」
何に金を出すのか決めるのは俺の役目だ。
被害者全員に五百万配ったほうが安くつく話かも知れないが、
チョロいと思われて今後もこんなことが続くくらいならいくら払ってでも叩きのめしたほうが良い。
「今回の対応を以て、今後似たようなファンド詐欺の発生を抑えることが目的だ。
二度と俺の偽物に詐欺をさせない。徹底的にやってしまおう。
あ、でも一応、データの確保や監禁された人の保護もしてやって。
情報をくれた内調さんの手前、ね」
エリザは俺の言葉をそのまま文書へ入力した。
「ところで、施設は武装されていますが……」
「だからこそ民間軍事サービスなんだろう?
何か言われたら俺が決めたと答えるさ」
「エリザは、人死にが出た場合の士郎様のことを心配しているのですよ」
「あ……」
考えてなかった。俺の号令で人が死ぬ……。
でも、今の俺も社会的に殺されかかっているようなものだ。抵抗して何が悪い。
今のままメンタルを病むのも、やるだけやってメンタル病むのも同じじゃないか。
「心配してくれたんだな。たぶん、大丈夫だ」
「では」
カールが俺の前へ書類を置いた。
今日、俺は初めて内容を最初から最後まで読み、自分の名前を書く。
サインの字が震えてブレブレになっていたのは内緒だ。
†††
作戦が始まっても、俺達にできることは待つことだけだった。
会議室の画面へ短い報告が届く。
施設への立入り開始。
武装した者から抵抗あり。
建物内にいた作業員を保護。
文章だけならAIの作業報告と大差ない。
だが現地では金で雇った誰かが命を懸けている。
俺は画面から目を離せなかった。
『落ち着かないならシャワーでも浴びてきたら?』
「俺がいない間に終わったら困る」
『あなたが見ていても早く終わらないわよ』
それでも俺は席を立たなかった。
次の報告までの時間がやけに長い。時計が壊れているのかと思えるほどだ。
やがて現地の端末と顧客情報を確保したという連絡が入る。
口座やサーバーの管理情報や記録も入手。
日本だけでなく、複数の国で進行していた特殊詐欺の内容を示すもののようだ。
最後に届いた報告は短かった。
――“Site secure. Evacuating civilians.” (施設の制圧を完了。保護対象者を施設外へ移送)
「終わった……?」
「少なくとも総帥ファンドは止まりますね」
入手したサーバーの管理情報を使って偽サイトを消せば次の被害者は出なくなる。
この手の犯罪組織を一度に根絶やしにするのは無理らしいが、少なくとも
俺への手出しは今後しばらくないだろう。
『随分と派手な害虫駆除ね』
「害虫に失礼だ。あいつらは生きるために人を騙したりしない」
『足の指の股を刺されてもそんなこと言える?』
「ちょ……それは勘弁してくれ」
AIマルグリットが笑った。
こいつが俺を馬鹿にしている方が少しだけ安心する。
†††
偽サイトが消えても、騙し取られた金が自動的に戻るわけではない。
翌朝、俺は財団の弁護士と相談窓口の担当者を集めた。
「個人での補償はしない。ネットにもマスコミにも、毅然とした態度で臨む」
自分へ言い聞かせるように最初に宣言した。
支援が必要な人の相談には乗るが、それ以上のことはしない。
まだ何か言ってくるなら、言論の自由の範疇を越えた瞬間厳正に対処する。
文句あるか。
『結局お金は出すの?』
「言ったろ。首を吊るしかないって人には貸し出すよ。
それ以上のことはしない」
『本国では慈善団体で通ってるんだけど、
ま、今はあなたが総帥だからね。好きになさい』
急にマルグリットの声が低くなったのでびっくりしたが、
好きにしろと言われたからには好きにする。
今後起きる問題点について他の弁護士と話していたエリザがふと俺の方を見た。
「終わりましたね、士郎さん」
褒められた……気がする。
その一言だけで、脳に張られていた薄い膜がすっと無くなった。
情けない気もするが、今だけはいい。
「ありがとう。改めて、おかえり」
「ご不便をおかけしましたが、ただいま戻りました」
今まで見たこともない優しい笑顔だった。
†††
その夜、久しぶりに俺は大学の連絡メールを開いた。
新着メールがいくつか届いてるが、中に俺の目を引くメールが一通。
【ヴァレリー財団総帥監修 総帥ファンド特別案内】
止まる前に送信されていたものらしい。
本文には俺の写真と、既に消えた偽サイトへのリンクが載っている。
『削除する?』
「いや」
俺は返信ボタンを押した。
「返信しよう。俺は詐欺メールに返信するのが得意なんだ」
第一部・完
【第二部予告】
危機を脱したヴァレリー財団と小野士郎。
世間の誤解も解けてOCIRの活動も順調。そんな士郎に襲いかかる世間の牙。
冒険、暴力、サスペンス、そして……愛!
士郎はまた札束で全てを解決しようとするのか?
作者はまた得意のSFに逃げるのか?
オリビアの野望、エリザの望みとは?
にゃんきちがこの夏送る衝撃の第二部
乞うご期待




