明確な不幸
「離してください。話は聞きます」
俺が告げると、警備員は男の腕を離した。
財団の弁護士と警備員に同席してもらい、事務所の応接室へ通す。
「小野士郎です。
最初に言っておきますが、私も財団も総帥ファンドとは無関係ですよ。
お名前を伺っても?」
「俺ァ奥田ってんだ。
ところであんたなんて言った?関係ねぇ?はん!
ネタが割れた詐欺師はみんなそう言うんだよ!」
奥田がスマートフォンを突き出した。
画面の中では俺が総帥ファンドの素晴らしさを熱心に語っている。
「この顔で、この声であんたが説明してるんだぞ!」
「その動画はAIで作られた偽物です」
「じゃあ俺の五百万はどこへ行ったんだ!」
五百万。
奥田は無料の先行登録をした翌日、登録者限定の特典窓口を案内されたらしい。
通常の想定利回りは年四・八パーセント。
特典窓口から申し込めば年七・八パーセント。
ただし、一人あたりの上限は五百万円、枠の人数には上限があるとも伝えられた。
奥田は三パーセントの違いを最大限活かすため上限まで振り込んだのだ。
その日の夕方、テレビの情報番組で報じられた衝撃の内容。
「話題の総帥ファンド、特殊詐欺の疑い?」
奥田は慌ててファンドの連絡先に電話をした。
返金窓口は何度呼び出しても応答しない。
警察へ相談したが、犯人が捕まっても金が戻るとは限らないと言われた。
「あんた金持ちなんだろ。俺の金を返せよ!」
その筋合いはない。要求を飲む義務はない。
それでも、男から金を奪ったのは俺という人間への信用だった。
「連絡先と送金記録のコピーを下さい。
被害者救済に関しては検討課題とさせていただきます」
「上手いこと言って逃げようったってそうは行かねえぞ」
奥田は不満の言葉を何度も吐き捨てたが、俺は何も言い返せなかった。
†††
翌朝、財団事務所で初動対応を確認した。
今までに集めた情報をまとめて警察と金融庁へ送り、振込先の金融機関にも連絡。
公式サイトには既に総帥ファンドと無関係だという告知を出し、
報道各社にも同じ内容を説明している。
偽サイトが利用しているサーバー会社や検索サービスにも削除と遮断を求めた。
相談窓口も一つにまとめている。
「他に何かやったほうが良いことはありませんか?」
「現時点で追加すべき初動はありません」
財団の弁護士が答えた。
安心するところなのに、まったく安心できない。
偽サイトは今も表示されている。
そして財団の相談窓口へ連絡してきた被害者は九人に増えていた。
鈴木が被害者へ送られた案内を読み直す。
「上限が五百万ってのが良心的に見えるな。これが変な安心を生んでるんだ」
「被害者の話を聞くとそういう感じじゃなかったな。
五百万しか入れられない、そう思わされたんだ。
五百万入れろって書いてあったらこの人達だって警戒したはずだ」
九人全員が上限まで振り込んでいても四千五百万円。
俺が持っている金からすれば大した額ではない。
この前は味も分からないワイン一本に一千万円使った。
だったら四千五百万円くらい払えばいい。
俺はエリザへ短いメールを送った。
――確認できた九人へ、個人資金から被害額を補償したい。
返信はすぐに来た。
――個人資金であっても賛成できません。明確に反対します。
冷静に。ただ楽になりたいだけなのではありませんか?
それきりだった。
『あなた、あの人達を助けたいわけじゃないでしょう?』
業務用端末からAIマルグリットの声が響く。
『目の前で怒鳴られるのが嫌で、お金を払って黙らせたいだけよ』
エリザと同じことを言う。
『十人目、 百人目にも同じことをするつもり?
被害は財団が払ってくれると詐欺師が宣伝しはじめたらどうするの?』
何一つ反論できない。俺の浅はかさが際立つだけだ。
その日、相談窓口の新着件数が一つ増えた。
†††
大学へ行くと、正門の前にテレビカメラを担いだ人が二人。
講義棟へ入るまでに記者から三度声をかけられた。
見慣れない学生が何人か、投資研究会の部室を遠巻きに囲んでいる。
大学祭の直後は入会希望者が覗きに来ていたのに、今日は中を指さして笑っていた。
「昨日、学食で『詐欺サークル』って言われた」
「私も、小野先輩からいくらもらったのか聞かれました」
麗奈は笑って話したが、口元しか笑っていない。
小林は目が死んでいる。
抵抗できない状態で明確な悪意を向けられると、人の心は光を失う。
今、俺の目の前にその実例が転がっていた。
「ごめん」
「なんで小野先輩が謝るんですか」
俺がいなければ、皆が周囲から蔑まれることもなかった。
そう思うとつい謝罪の言葉が口から出てしまう。
「あの、小野さんって今日、こちらにいますか?」
明らかに顔色が悪い男が部室にやってきた。
「生成AI研究会の会長で、近藤と言います。お話よろしいでしょうか」
「情報コンセントの話なら今度にしてくれ。今、余裕がないんだ」
「いえ、そっちの話とはまた別件で……。
先日、文系サークル全般に捜索協力が出ていた二人ですが、見つかりました。
二人とも警察に出頭して、今は保護されています。
それをお知らせしようと思って……」
麗奈が椅子から立ち上がった。
「じゃあ、やっぱりあの動画を作ったのはその二人だったの?」
「総帥ファンドの宣伝動画ですよね。でしたらその通りです。
最初は生成AIで広告を作るアルバイトだと思っていたみたいなんですが。
結果的にこんなことになってしまい、申し訳ない」
二人は動画制作が、ヴァレリー財団に出入りしている広告会社からの依頼だと説明されていた。
俺と財団の関係を説明され、動画を作ればファンドにも貢献でき、
投資研究会へ恩を売れるとも考えたらしい。
「俺の動画を作るのに、発注元から素材が来なかった時点で
おかしいと気づくだろ。普通」
「それは二人も聞いたそうです。
総帥は大学祭の準備で忙しいから、学内で集めた方が早いと言われて……」
「それで納得したの?」
「耳が痛いですね……」
ここが連中の頭の悪いところだ。
日頃ネットの向こう側の人間を馬鹿にしながら過ごしているせいで
自分たちが騙されるとはこれっぽっちも思っていない。
あらゆる問いにはどこかに答えがあると信じ、
辻褄さえ合えばその筋書きにあっさり乗ってしまう。
二人は動画を納品した後、詐欺に使われていると気づき、
発注元との連絡を絶とうとしたらしい。
しかし、闇バイトの常套手段――家族に危害を加えると脅された。
身元を知られているため家にも戻れず、
しばらく逃げ回った末に限界を迎え警察へ出頭。
家族の保護を警察に懇願し、
今回の依頼に使われた各種データを提出したのだそうだ。
「とりあえず、二人やその家族は無事なんだな?」
「そうらしいですが、今は取調べ中ってこともあって、
これが共有できる情報の全てです。本当にご迷惑をおかけしました」
繋がった。しかし何も解決しない。
誰がどう糸を引いているのか、全然情報が入らないまま、
俺の周りに群がるマスコミの数だけが増えていった。
†††
警察ではまる一日、何度も同じ説明を求められた。
総帥ファンドを作った事実はないか。
財団の誰かへ動画制作を頼んでいないか。
GAI研の二人と接触したことはないか。
「ありません」
俺は同じ答えを繰り返した。
犯罪者扱いされているわけではないが、
もし財団がファンドを実際に運営していたとなれば、
そちらも問題なので事実確認は必要なのだそうだ。
翌日は偽サイトへの対応報告を聞いた。
偽サイトは米国のサーバーに置かれている。
運営会社へ何度削除を求めても無機質な自動返信が返ってくるだけだった。
苦情を受け取っても何もしない、防弾ホスティングという商売らしい。
URLを遮断しても別のアドレスが作られるだけ。
広告を消しても同じ動画がいくつもの別のアカウントから流れてくる。
被害者ごとに別の振込先が案内され、一つを凍結しても翌日には新たな口座が使われた。
サイバー担当に弁護士、広報担当も打てる手は打っていたし警察も捜査を進めている。
しかし、誰も総帥ファンドを止められない。
ビルのエレベーターでは知らない会社の男が二人、俺の顔を見て聞こえよがしに話題を変えた。
「詐欺って儲かるんだな。このビルに事務所を持てるんだから」
二人の下卑た笑いが耳に残る。
財団の相談窓口へは毎日新しい被害者から連絡が来た。
個人補償を思いとどまらせてくれたエリザに感謝するしかない。
被害者の数は当初の何倍にも膨れ上がっていたのだ。
「あんた金持ちなんだろ」
欲の皮を突っ張らせたお前らが悪いんだろう!
何度もそう言いかけた。
†††
「はい、本番行きまーす。3、2、1」
財団の広報担当がこれ以上の被害拡大を避けるため、
テレビの情報番組で説明する機会を作ってくれた。
財団がファンドを運営していないこと、偽動画が使われていること、
財団を名乗るファンドには絶対に登録しないでほしいことを
世間に訴えられる。
俺は何度もセリフを練習し本番に臨んだ。
しかし、聞かれたのは総帥ファンドのことではなかった。
「小野さんは、どのような経緯でヴァレリー財団の総帥になられたのでしょうか」
俺が詐欺メールだと思って返信したことから説明すると、
司会者は楽しそうに笑った。
お笑いタレントが作り笑いで俺を指差し軽口を叩く。
「では小野さん自身も、そのメールが本物だと見抜けなかった?」
「それと今回の総帥ファンドは別の話です。
皆さんの大事なお金を詐欺で騙し取られないように……」
「しかし、どちらも人を惑わすメールから始まったわけですね」
俺はカメラの前で用意してきた警告を繰り返した。
その横で、偽物の俺が滑らかにファンドを説明する映像が流れている。
放送後、ネットでは俺がマルグリットさんの遺産を相続した
経緯ばかりが切り抜かれ、話題が途切れることはなかった。
動画の方が総帥らしい、周りに女を侍らせていやらしい、
犬に資金運用させるくらいなら被害者に五百万くらい払ってやれ。
悪意に満ちた言葉がSNSを染めていく。
あんなに好きだった詐欺メールを、もう見たくなかった。
これがパラダイムシフトというやつだろうか。
――違う。パラダイムシフトなんて言葉で誤魔化すな。
正しいことを、正しい順番で、正しく説明する。
それだけで世界は変わってくれると思っていた。
だが現実は、俺の言葉尻ひとつが新しい燃料になるだけだ。
翌日、教授は俺を見るなり笑った。
「テレビ見たよ。
君も詐欺メールかどうか見抜けなくて財団総帥になったんじゃないか」
「俺の場合は詐欺メールだと思ってたメールが本物だっただけです」
今は笑う気にもなれない。
†††
夜の会議室で、カールが俺の前へ頭を下げた。
「ご心痛お察し申し上げます。
私どもの力が及ばず、誠に申し訳ございません」
「カールのせいじゃないよ」
それくらいは分かる。
俺は孤軍奮闘しているわけじゃない。
財団スタッフも投資研究会のメンバーも、皆この件に力を尽くしてくれている。
だが状況は好転しない。
AIマルグリットさえ、俺をからかわなくなった。
総帥になんかなるんじゃなかった。
金はある。人もいる。専門家もいる。
けど、今の俺はマスコミの標的でネットのオモチャ。揶揄の対象。
明確に不幸だ。
そして、相談窓口に駆け込んで来る人の数字は日々増えていく。
金を騙し取られた人々は俺を憎み、金を返せと俺に叫ぶ。
俺の顔が怒りと不幸を生んでいるのだ。
駄目だ。もう嫌だ。逃げたい。
会議室のドアノブに手をかける。
湧き上がる逃避への衝動。しかし逃げるわけには行かない。
残されたちっぽけなプライドと責任感が俺をその場に押し留める。
カチャ
俺が扉を開けるのを思いとどまったまさにその時、向こう側から誰かが扉を開けた。
「まったく、何をしてるんですかあなた達は」
開いたドアの向こうに、エリザが立っていた。




