パパの悪魔の証明
少女を玄関に置いたままにはできない。
ひとまず邸内の応接室へ招き入れておいてもらった。
「パパ?」
応接室へ入った俺を見て少女が立ち上がる。
見たところ九歳くらい。
背筋はまっすぐ。学校から直でこちらに来たような格好。
知らない家をいきなり訪ねてきたので多少恐縮しているようだ。
「ええと……俺のこと?」
「うん。私のパパなんでしょう?」
少女の返事に迷いはない様子。
いろいろ根拠はあるのだろうが、せめて算数はしてほしい。
2桁の引き算で良いんだ。
二十歳そこそこの俺に九歳の子どもが居るわけないだろう。
後ろから入ってきたエリザが俺と少女を見比べる。
「士郎さん。こんな小さなお子さんがいたのですか」
「いないよ! いたとして、俺が何歳の時の子だよ?」
エリザも算数ができないのか。
そういえばうちの大学でも文系の一般教養で分数教えてるとか言ってたな。
電卓無しで計算ができる俺の方が異常なのかもしれない。
って、そんな訳あるかぁ!
「私は以前から身辺関係について正確に申告するよう申し上げていました」
「だから申告するものがないんだって!
なんで天使のような俺に悪魔の証明を要求するんだ!」
「悪魔の総大将は堕天使ですからね。
子持ちの女性と付き合っていたという可能性も」
少女が小さく首を傾ける。
俺たちの話が分からないらしい。
カールが少女の前へしゃがむ。
「お嬢さん、まずお名前を伺ってもよろしいですかな」
威圧感の塊みたいな男が相手なのに少女は少しも怯まない。
「水野ひなた、若嶋津小学校3年2組です」
「お母様のお電話番号は分かりますか」
「はい。携帯電話の番号でいいですか?」
少女は数字を一つずつ区切って答えた。
カールがメモを取り、復唱すると間違いも訂正する。
「しっかりしていますね。なるほど、士郎さんの娘さんではないようです」
「その納得の仕方には承服しかねる」
少女の利発さにエリザまで感心したらしい。
確かに、この少女の物言いは実にはきはきしていて年齢以上にしっかりしている。
知らない家へ一人で来る行動力の使い方だけは間違っているが。
「ひなたちゃんはどうして俺がパパだと思ったの?」
「パパは立派なお仕事をしてるの」
「それは誰に聞いたのかな」
「ママ。小田原で一番大きなおうちに住んでるって言ってた」
ひなたは自信満々だ。
「今は忙しいから帰ってこられないんだって。
でも、ママ、最近疲れてて本当に大変そうなの。
それで、ママのためにもパパ、そろそろ帰ってきてってお願いしに来たの」
「それで、この辺で一番大きい家を探し当てたってわけか。
まあ……大きいとは思うけど」
「……もしかして、違うの?」
この子の中では理屈が通っている。
そもそもの情報は間違っているのだが。
「お父様とはいつから会っていないのですか?」
エリザの声から俺への疑いのこもったトーンがようやく消えた。
「覚えてない。ずっと忙しいんだって」
「つまりこのお兄さんとは今日が初対面?」
「うん」
「ほら!」
何も証明していないのに勝った気分。ふふん。
一方でエリザは苦虫を噛み潰したような顔だ。
もう少しこの子に気を遣えということなのだろう。
頼むから俺にも気を遣ってくれ。少しでいいから。
『あら。かわいらしいお客様ね』
車輪付きAIマルグリットが応接間に姿を現した。
ひなたは画面に映る若い女の姿を見て端末の前へ回り込む。
「すごい!ねえ、このお姉さんは誰?」
『私はマルグリットっていうの。よろしくね』
「水野ひなたです。よろしくお願いします」
ひなたちゃん、騙されちゃ駄目だ。
それはお姉さんじゃない。
死んだ老女から妙な成分を濃い目にドリップした、
どす黒いエスプレッソみたいなやつだ。
「確かに何十年モノのお姉さんだが」
『ひなたちゃんに余計なことを教えないで!』
「パパのお母さん?」
「いや、その人はコンピュータだよ。AIって知ってるかい?」
『身も蓋もない事を言わないで頂戴』
AIマルグリットが前照灯をこちらに向けてパッシングをしてきた。
地味にやかましい。いや、音は出てないのだが。
そうこうしているうちにカールがひなたの母親へ電話をかけた。
繋がった途端に女性の声が受話口から漏れる。
娘がいなくなったことには気づいていたらしい。
ひなたが無事にいることと小田原の住所を伝え、迎えに来る手段まで確認する。
その間に母が応接室へ入ってきた。
「士郎、女の子があなたをパパって呼んでるって聞いたわ。
いったいどういうこと?」
「母さんまで俺を小学生の子持ちだと疑うのか?」
母はひなたを見たあと、また俺を見た。
俺が悪いと確信している目だ。
「怒らないから正直に言いなさい」
「どいつもこいつも……うちに算数ができるやつはいないのかよ!
年齢計算しろよ!
そもそも、俺は彼女すら家へ連れてきたことないだろ!」
「恋人がいるような口ぶりはどうかと――
あ、いや、まさか……本当にいらっしゃる?」
一瞬、目を見開いてそれから悩むエリザ。
俺に彼女が居るならその人の警備計画を立てなきゃとか、
別れた時の慰謝料がいくらになるとか計算してるに違いない。
そんなに有能なら目の前で困っている俺をまず弁護してくれよ。
弁護士なんだろ?
母は事情を聞くと、ひなたの隣へ座って菓子と飲み物を勧めた。
ひなたは礼を言ってから菓子へ手を伸ばす。
きちんとしつけされているらしく、行儀はとてもいい。
迎えが来るまでの間もひなたはよく話した。
横須賀から電車に乗ってきたこと。
母親には何も言わずに出てきたこと。
帰ったら叱られるのは分かっていること。
それでも父に帰ってきてもらい、辛そうな母を助けてほしかったのだという。
『理由は分かったけど、一人でこんな遠くへ来ては駄目。
みんな心配するでしょう?』
「はい。ごめんなさい」
AIマルグリットは完全にひなたを手懐けた感じだ。
こいつは小林といい子供といい、俺より人の懐へ入るのが上手いらしい。
ヴァレリー財団が大きくなった秘密は案外そこにあるのかも知れないな。
今度カールに聞いてみよう。
†††
「ひなた!」
しばらくしてひなたの母親が到着。
彼女は応接室へ入るなり深く頭を下げた。
「申し訳ありません。本当に申し訳ありません」
「まず娘さんの顔を見てあげて下さい。俺たちは何もされてませんから」
母親はひなたを抱き締めた。
無事を確かめた後で、もう一度こちらへ頭を下げる。
「私が言ってしまったんです。
お父さんは立派な仕事をしている。小田原で一番大きな家に住んでいるけど
今は忙しくて帰ってこられないって。
まさか本当に探しに行くとは思わなくて……」
「小田原くらい遠くだと、そう考えますよね」
「……本当に、ご迷惑をおかけしました」
「じゃあこの人はパパじゃないの?」
ひなたが俺を指差した。
母親は答えられずに唇を噛む。
「違うよ。会ったのは今日が初めて」
俺が代わりに答えると、ひなたは少し考えて頷いた。
「じゃあ士郎お兄さん?」
「そうだね。まだお兄さんと呼んでほしい歳なんだよ俺は」
エリザがふいと横を向いた。
なんだ? 言いたいことがあるならあとでゆっくり聞こうじゃないか。
『エリザはお姉さんと呼ぶにはちょっとね』
「ステイ」
AIマルグリットがまた、前照灯をビカビカ光らせて暴れ始めたが
エリザは気にせず母親に事情を尋ねた。
離婚したのはひなたが一歳の時。
母親は子育て支援と転職支援を扱う会社で企画責任者を務めていたが、
事業の原型を作った後に産休。そして出産。
産休中に責任者の交代があり、なんやかやと理由をつけて会社を追い出された。
元夫は今もその会社の役員を務めているが、離婚して程なく別の女性と社内結婚。
養育費は支払われていないそうだ。
「以来、収入もずっと不安定で……
この子には不自由な思いをさせています」
母親の声が小さくなる。
「元ご主人は社外で家庭と仕事の両立について講演もされているようですね」
エリザは母親から聞いた会社名をタブレットで確認していた。
『潰してやりましょう、その男。なんなら会社ごと』
初めて聞くAIマルグリットのドスの利いた低い声。
巨額の資産を持つものだけに許される、経済戦争の宣戦布告を
やり慣れているように見える。
『身辺調査に会計監査、全部洗って丸裸にしてやるわ。
何もなくてもああしてこうして……』
「いや、何もないなら結構なことじゃないか」
「養育費の未払と企業経営を混同しないで下さい」
『なによ。二人ともノリが悪いわね』
「面白いかどうかで話をしてるわけじゃないんだよ」
カールだけが母親から聞いた会社名を見て考え込んでいた。
「士郎様。この企業名には覚えがございます」
カールが一度席を外し、薄い資料を持って戻ってくる。
表紙には支援候補企業と書かれていた。
「財団には年に数件、財政支援案件が持ち込まれます。
件の会社もその一つです」
「どうして財団に?」
「この会社のメインバンクから、ですね。
先日の経済誌で士郎様が『未来ある企業への財政支援』について
お話しになったでしょう。それを聞きつけて接触してきたようです」
「まだ雑誌に載ってもいないのにか。守秘義務どうなってんだあの雑誌」
『口は災いのもと、だったかしら。プークスクス』
前に俺が言った言葉をきっちり返してきやがった。
聞けばこの会社、現在はホワイトカラー向けの転職支援を主力にしているらしい。
昨今のAIの高度化で、企業側が候補者の選定から待遇の提案まで行えるようになり、履歴書を集めるだけの転職支援会社は手数料の根拠を失っていた。
それでメインバンクを通じて再建スポンサーを探していたというわけだ。
「これはOCIRではなく財団の案件です」
エリザが念を押す。
「いいですか士郎さん、この母子と財政支援は両方とも、
偶然我々と関わりをもつことになりましたが互いに別件です。
そこはわきまえて下さい」
「分かってる」
心情的には同じ案件扱いにしたいだろうけどそれをやると
公私混同になるって言うんだろ。
「何か瑕疵が出てきた時、処分の重さが説明できなかったりしますから」
「完璧に理解した。だが、母子の件は見て見ぬふりはしたくないな」
カールが資料を俺の前へ置いた。
「いささか入口に問題はありますが案件自体は検討対象です。
士郎様が関心を持たれた事実を開示し、
審査と意思決定を分ければよろしいかと」
エリザはすぐに答えない。何かしら面倒なことでもあるのか。
だが俺の腹は決まっている。
「この案件、俺が決裁を下す総帥案件に格上げだ。
審査は通常通りやってもらって構わないが、
報告は密にしてくれ」
「士郎!エリザさんやカールさんになんて口のきき方してんの!
謝りなさい!」
俺の頭を掴んで無理やり下げさせる母を見てエリザとカールは苦笑いだ。
いつの時代も母は強い。
パパ助けて。
*) 完璧に理解した --- 理解していない人がよく言う言葉。




