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マルグリットの高揚

会社の説明会から七日後。

小田原の会議室の大型モニターにはOCIR各メンバーの進捗が表示されていた。


「小林さんは初心者向けの銘柄をいくつか選んで買い始めました」


「もう買い始めたのか。早いね」


「実績を積ませるのが目的です。買わないと何も始まりません。

 今のところ値上がりすると喜んで、

 値下がりすると落ち込んでいるといった具合です。

 特筆すべき懸念事項はありません。」


「普通って考えて良いみたいだな」


『普通ね。一日に何度も価格を見ないようにするところから教えているわ』


車輪付き端末のAIマルグリットはすっかり先生気取りだ。


「鈴木さんは低いレバレッジで取引を始めています。

 現在は小幅な利益を連続して出しており、

 やはり懸念すべきところはありません。優秀です」


「世情が安定してる時はうまくやれるってのは本当なんだな……」


感心してしまった。AIマルグリットの言う通りだ。

考えてみれば大金を失うってことはまず大金を作れるってことなんだよな。


『私がついているんだもの』


「鈴木の隣で何をしてるんだ?」


『売買前に理由を聞いて、根拠になる情報を見せてもらってるわ。

 説明できない取引は注文まで進めないようにしているの』


「思ったよりちゃんとしたサポートだな」


『ちゃんと、どころかかなり優秀だと言って頂戴』


「はいはい。ご褒美に今度バッテリーを新しいのに変えてやるよ」


『出力特性がまったりしていてそれでいてしつこくないのをお願い』


素直に褒めたくないので冗談で交わしたら見事に打ち返された。

マルグリットさんがそうだったのか、それともAIだからなのか。


「鈴木さんからはAIマルグリットのエージェント化の要望が出されています」


「エージェント化ねえ……なにそれ?」


正直、AIとの付き合いは大学のレポートを書くために使う以外では

AIマルグリットくらいしか接点がない。

エージェントだMCPだ非決定論的動作起因のセキュリティ破綻が

どうのこうのと言われても困ってしまう。


「簡単に言えば、本人が寝ている間もAIで監視と自動売買を続けたいそうです」


「本人が見てなくて良いのか?」


『寝ている間に海の向こうで何か起こるかもしれないし、そういう時のために

 警報(アラート)を鳴らすだけでも良いって言ってたわ。

 過去にそういう失敗をしたみたい』


「起きたら全財産失ってたってやつか。聞くだけで辛いな」


『学校に来てから学生会館の前で気がついて、心と膝がボッキリ折れたって』


自動売買は投資の世界では良く聞く話だ。

感情が絡まない分、冷静に売買できるから大怪我をしなくていいとも聞く。

知らんけど。

問題はその自動売買をするのがAIマルグリットだということだ。

こいつが果たして本当に投資行動に向いているのかどうか。

せっかく鈴木がやる気を出しているのなら支えてやりたくはあるのだが。


「岩崎さんは元保養所群の事業企画に入りました。事業規模を算出しつつ、

 予約サイトのデザインと機能の検討も同時に始めています。

 これは三井さんにせっつかれたからですね」


「聞いた限りでは順調そうだけど……」


「こればかりはいくら儲けた、という段階には当分入りません。

 ホテルチェーンを作るという話ですからね。

 まだ何をどうするかを話している段階です。

 特に現地スタッフの雇用と教育をどうするかは大きな問題かと。

 日本中でインバウンド向けホテル人材は取り合いになっていますから。

 今は人材確保の問題を一旦置いておいて、

 設備の補修・整備と再稼働について財団側アドバイザーと話しています」


岩崎がマンション投資へ戻っていないなら、それだけで上出来だ。


「三井さんはグループウェアの設定をほぼ完了しています。

 ERPや情報インフラは既存サービスを法人契約して権限と承認情報を

 入れるところまで進みました。

 今は皆さんに配布するドキュメントをイヤイヤ書いていると聞いています」


「七日でか?」


「財団側の経理システムとのつなぎ込みと銀行APIの接続申請には苦労しています。

 それでもなんとかなりそうですが」


「普段の言動がまともならどこへ行っても引く手あまたなんじゃないか?」


「士郎様は、最高に美味しいけれど酷く臭い、例えばドリアンを食べる

 日本人は多いとお考えですか?」


「うーん……興味はあるけど自分で食べてみようって人は少ないだろうな」


「ご明察です。それが三井麗奈様の現状でございますれば」


カールの比喩には苦笑いするしかない。

これからは心の中でドリアン三井と……いや、やめておこう。

いつうっかり口から飛び出るか分からんからな。


「以上で進捗報告は終わりです」


「では士郎様、私の方もご確認いただきたいことがございます」


カールが報告の終了を待っていたかのように口を開いた。


案内されたのは邸宅の電源設備の隣にある大きめの作業空間。

大きな資材や家具、長期保存の消耗品を入れておくのにも使われている場所だ。

中ではロの字に配置された簡単な会議机とパイプ椅子、

ホワイトボードと小型のプロジェクターが俺たちを待っていた。


「おお、ご当主様。ご足労いただきまして」


アルブレヒトも先に来ていた。俺が軽く頷くと皆は着席。

カールがプロジェクターのスイッチを入れ、持ってきたノートPCと接続する。


「で、話って?」


「前に少しお話しましたが、今後のAIマルグリットの運用環境についてです」


ホワイトボードには、窓が少なく塀が高いくらいしか特徴のない

建物が映し出された。


「これは欧州にある、財団が契約しているAI用データセンターなのですが……

 昨今、ここが環境テロの脅威に晒されています」


「環境テロ?」


「一部の過激な環境保護団体に、電力消費や排熱、水資源への影響を

 問題にする動きがあります。

 批判に留まらない脅威も出始めました」


「攻撃の矛先がデータセンターに移りつつあるってことか。

 欧州の抗議スタイルは実力行使ありきだし、そりゃ気になるね」


過激な一部の団体が歴史的な文化財に塗料をぶちまけたり、

道に座り込んで救急車さえ通さないなんて動画も見るしな。


「AIマルグリットの利用者は現在日本に集中しています。

 避難がてら、日本にも演算拠点を持つ方が運用上も警備上も望ましいかと」


「話は分かった。

 しかし、日本にも環境保護団体の皮を被ったプロ市民はいっぱいいるぞ。

 安全なところと契約ができるのか?」


アルブレヒトが倉庫の扉を開けた。

奥に空いた区画ができている。


「こちらの区画を改修してGPGPUサーバーを3ラック分設置する程度で

 十分でしょう。電力の引き入れだけは電力会社と交渉が必要ですが。

 より大きな演算が必要な時は北海道のデータセンターからGPUノードを

 1ヶ月ほどレンタルすれば良いかと。

 欧州の拠点は段階的に廃止していく方針で行きたいと考えています」


ホワイトボードにこの倉庫にサーバーラックが3つ置かれた時の

想定図が表示される。

意外に狭いスペースでも大丈夫そうだ。


「こんな小さなスペースでいいのか?」


「AIマルグリット開発当初とは、世間もいろいろ進歩していますからな。

 最新のGPUなら問題ありません。将来はもっと小さくなりますよ」


最新GPU。

俺の中ではアキバの特売で転売屋とゲーム好きが激しい奪い合いを展開する

緑と黒の箱に入った扇風機付きの高い板だ。


「あの高い板を何枚も並べるのか……」


「おそらく、士郎様が考えているのは消費者向けでございましょう。

 サーバー用のGPUはあれの軽く十倍以上のお値段になります」


10倍以上? おのれ革ジャン。


ふと、AIマルグリットの車輪付き端末が目に入る。

このAIにそれだけの金をかけたとして、費用対効果は果たして如何程か――

気になる。どんどん気になってきた。


『下手な考え休むに似たり、よ』


「く……何も言ってないうちから毒づくなよ」


『目は口ほどに物を言うのよ』


「口は災いのもとだぞ。ステイ」


『私を犬扱いしないで!』


「犬も歩けば棒に当たるぞ」


倉庫にAIマルグリットの金切り声が響いた。

犬に嫌な思い出でもあるのか。

ステイコマンドが俺には使えないことが分かったのは収穫だったな。


「そのくらいでよろしゅうございましょう。

 奥様のご機嫌を損ねて鈴木さんに大損されても困りますからな。

 彼が希望しているAIエージェント化を検討するにも、

 奥様の協力と日本側の運用環境、両方とも欠かせません」


「そう言われると否も応もないな……」


「次にこれを」


アルブレヒトが資料を一枚進めた。

ホワイトボードに映ったのは人型ロボットの試作機。

二足歩行で姿勢が妙にいい。スタイルも抜群だ。

棒人形みたいなロボットとはわけが違う。


「待て」


「現在ビッティ・ペッソン社と開発提携の話があります」


「待てと言っただろ。

 アルブレヒト!ステイだ、ステイ!」


「日本国内に演算資源があれば十分な応答性を確保できます。

 ここから欧州のサーバーを使うとネットワーク遅延だけでも

 結構厳しいですからな」


「あああああああ。やっぱりそうか。

 これにマルグリットを載せるってのか?」


『すてきでしょう?』


「駄目だ!こんなのが家の中や会社の廊下を歩くのを想像してみろ!

 落ち着いて生活なんか出来やしないぞ!」


心からの叫び。なってたまるか。

家政婦に一挙手一投足を見張られているサスペンスドラマの主人公なんかに。


『うふふ、これで小林さんと街に繰り出せるわ』


「まだだ。まだ許可してないぞ。

 それに、いつの間に小林とそんなに仲良くなったんだよ」


『七日もあれば十分よ。

 文字通り懐に入り込んでるんだから』


「タブレットだけじゃなくてスマホにも入れてるのか?」


『てへ』


駄目だ。真面目に話してても埒が明かない。

俺はカールに向き直った。


「で、このロボットの方はどこまで話が進んでるんだ?」


「二足歩行機への搭載は検討中と言ったところです。

 本日ご決裁いただきたいのは日本での演算拠点の設置。

 それに伴う倉庫改修とGPGPUサーバー3ラックの導入。

 そしてビッティ・ペッソン社との技術協議開始までです。

 ご裁可を」


「最後のはいらなくない?」


「いえ、ぜひとも」


「嫌なんだけど?」


『仮にもトップが好き嫌いで話をしてはいけないわ。

 否決するにもちゃんとした理由がないと』


いちいち理屈が通ってやがる。


「演算拠点の設置はOK。

 ロボットは技術協議まで。

 その後については計画段階から俺を入れてくれ。事後決裁は許さん」


『ちっ』


「わざわざノイズで舌打ちするな」


カールが決裁書を俺の前へ出した。

俺がそれに署名した直後、カールの携帯電話が震える。


カールは表示を確認したあと、困った顔でエリザにも画面を見せた。


「まだ何かあるのか?」


「士郎様。ただいま当家の玄関に少女が一人、訪ねてきているとのこと」


「少女?」


「その少女が士郎様のことをパパと呼んでおります」


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こっちの世界もシミュレーションなのか偶然同一の名前の企業がいるだけなのか気になるところ
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