部室を守れ
「そろそろ梅雨入りかな」
雨が降ったり止んだりで湿った空気。
点在する水たまりを避けながら俺はキャンパスを歩いていた。
午前の授業を終え、ゼミの課題を提出してから
投資研究会の部室へ向かう。
「だから、これはもう詰んでるんだって!
どうしようもないよ!」
「俺の話も聞けよ!」
部室の中から聞こえる声が妙な深刻さを帯びている。
俺はゆっくりドアを開けた。
部屋にいたのは鈴木慎平、小林真帆、岩崎啓介と渋沢先輩。
三井麗奈はいない。
少しだけ安心する。
「珍しくヒートアップしてるな。何の話?」
皆がこちらを見た。
いつもなら鈴木が軽口を叩くところだが今日は様子が違う。
鈴木は黙って机の上にあった一枚の紙を俺の鼻先に差し出した。
「文系サークル評議会から。
来年度の部室割当についての事前通達」
「事前通達?」
岩崎が両掌を上に向ける。お手上げのポーズだ。
「審査の結果、投資研究会は来年度の部室割当から
外される見込みだってさ」
「見込みだろ? もう決まってるみたいな書き方だな」
「実質そういうことなんだろう。
引っ越しの算段をつけとけってことかな」
鈴木がコタツの天板に突っ伏した。
部屋はともかく、コタツには愛着が強いらしい。
「理由は?」
「活動実績不足、会計資料の不備、学内貢献度の低さ、評判の悪さ」
「満貫だな」
「ハコテンだよ。来年からどこにコタツ置けって言うんだ」
鈴木の嘆きに誰も突っ込まない。
「投資研究会なのに投資の実績がないんだよ。
渋沢先輩は勝ってるけど、サークルとして何かやったわけじゃない。
俺は常に逆を引いてスカンピン。岩崎の投資は就職ありきだ。
そして小林には原資がない」
研究どこいった。
「俺は立派に実績があるだろう。メール一本で八兆円だ」
「お前のは投資じゃない。実績とは認められん」
小林がクスクス笑った。
先日の爆発を思うと、笑ってくれただけで少し安心する。
「部室なくなると困るよなあ」
「ここがあるから集まれるんだよ。
投資研究会って名前はついてるけど、実質、原資のないやつらが
投資の成功という将来の夢を語る場所でもあるんだ」
渋沢先輩が脚を組み替えた。
「まあ、間違ってはいないわね」
「先輩は勝ち組でしょう?」
「負けている人の顔色を見る場所は貴重なの」
「先輩、言い方」
「どう言い換えても本質は変わらないわ」
いつもの部室の空気が少し戻った。
だが机の上の通達文は消えない。
小林は膝の上で拳を握り、俯いている。
「真面目に投資をやろうにも、お金がないんです」
前に机を叩いたときよりずっと小さい声。
「サークル補助金ではせいぜい本を何冊か買って終わりです。
コタツの電気代もありますし。
バイトの給料じゃミニ株すら買えません」
岩崎が頷く。
「他のサークルからも素人の株遊びだと思われている。
教員側もあまり関わりたがらない。
金銭トラブルになると面倒だからな」
「まあ、俺たちの日頃の言動にも問題はある」
鈴木が言った。
「そうだな。お前が学生会館の前で『なんでだ畜生ーっ!』って
うずくまって喚いてたのがSNSで全世界に発信された件。
あれが学生課でも問題になったらしいぞ」
「俺が悪いのかよ」
「あれが決定打でしょ」
渋沢先輩の一言に鈴木が黙る。
俺は通達文を手に取った。書かれていることは実感として正しい。
活動実績がなく会計資料も雑。イベントに協力もしないし評判も悪い。
部室の数は有限だ。真面目なサークルが部室を必要としているなら
そちらに明け渡すのは当然のことだろう。
その理屈は百も承知だが――
俺はこの場所を失いたくない。
「なあ」
通達文を机に戻す。
「俺が研究会に原資を出すってのはどうだ?」
一瞬、部室の時間が止まり、皆の視線が俺に集った。
「小野、俺達を憐れんで情をかけるつもりか」
鈴木の声が低い。
俺は昨日のエリザとの会話を思い出した。
個人に金を渡せば関係は壊れる。
だが、まともな目的、それを達成するための体制を作るための金なら――
「単純にここがなくなるのが嫌なだけだよ。
それに原資を出すと言ってもお前ら一人ひとりに札束を渡すわけじゃない。
そんなことをしたらまず贈与税がどうので面倒なことになるしな」
「どうするつもりだ」
「法人を作って、みんなにはそこのバイトになってもらう。
そこで資産運用をして、文字通り投資の研究をするんだ。
投資判断の根拠と結果を突き合わせる。
なぜ買ったのか、なぜ見送ったのか、何を読み違えたのか。
それをレポートにして研究結果として学祭でポスター展示だ。
査読のつかない緩い学会の学生枠で発表するのもいい。
これでどうだ?」
「投資実績と研究実績を一気に稼ぐってわけか」
岩崎の目が妙に輝いている。
「それなら運用方針を俺が作る。
リスク許容度に投資対象の想定、ポートフォリオやベンチマーク、全部必要だ」
「意気込みは買うが、できればミッションは個別で行きたい。
お前に全部預けるのはリスクが高すぎる」
「自信はあるんだが」
「根拠と実績のないやつだろ、それ」
小林が恐る恐る手を上げた。
「あの……他人様の資産を動かすとか、失敗したときのこととか考えると……」
「責任は全部俺が取るから心配するな。
成果は運用益だけじゃなくて、どれだけ知見を残せたかも見るよ」
ほっとする小林。
鈴木も妙にやる気を見せだした。
「俺のFXや暗号資産に関する知見がようやく日の目を見る時が来たか」
「作業現場の事故事例集みたいになりそうですね。それ」
「小林、言い方」
「本質は同じです」
爆笑に包まれる部室。
その顔を見て俺は腹を決めた。
これは小林に金を渡す話でも、鈴木の汚名を濯ぐ話でもない。
岩崎の承認欲求を満たす話でもないし、渋沢先輩の愉悦を守る話でもない。
ここにいる連中が、居場所を守るために抗う話だ。
「特に反対意見が無いならこの案をうちの顧問弁護士と財団の統括に話してみる。
なんとか形にしてみせるよ。
これはバイトとは言え仕事だから、ちゃらんぽらんは困るぞ。
ちゃんと結果を出すと約束できる奴だけ乗ってくれ」
「結果?」
鈴木が嫌そうな顔をした。
「運用実績、研究実績、対外発表、会計資料だ」
岩崎の目の輝きが増す。
「アウトプットの建付けなら任せろ」
「お前はコンサルのインターンもあるだろう?無理はするなよ」
「どうせ受からんなら乗るしかない。このビッグウェーブに」
渋沢先輩が立ち上がり、通達文を鞄に入れた。
「じゃ、私は評議会との渉外を担当するわ。
小野くんは法人の設立をお願い。任せた。
各自バイトできる日できない日、パソコンの有無なんかを表にまとめて。
ああ、こんな時に限って三井さんいないのね、もう」
「三井?」
「あの子コンピュータめちゃくちゃ強いのよ。
グループウェアの設定とか会計システムの構築とかすぐやれると思うの」
「なんでそんな奴が路上で金持ち引っ掛けようとしてるんだ?」
小林が小さく手を上げた。
「ええと、バイトってことはお給料が出るんですか?」
「そこは心配しなくて良い。ちゃんと出すよ」
「分かりました。期待してますね!」
小林の声のトーンが一段上がった。目には光が灯っている。
その時、部室の外から軽い足音が近づいてきた。
キィ、という音とともにドアが開く。
「お、みんないるじゃん。何話してんの?」
三井麗奈だった。
全員が一斉に机の上の通達文と俺を見る。
麗奈は部屋の空気を瞬時に嗅ぎ取り、目を輝かせた。
「え、なになに。お金の話?」
苦笑。だがそのとおり。
「ああ、三井さんにピッタリの仕事があるなあって話」
「え、やだ」
「システム担当キタ――ッ!」
「へ?」
鈴木が囃し立てるが麗奈は困惑した顔。
俺は自分自身に少し苛ついた。
昨日までさんざん麗奈を避けていたのにな。
麗奈は何も解らず目をぱちぱちさせている。
「……小野っち、みんな、どしたの? なんか雰囲気違うっつーか……」
皆の目が輝いていた。確かにいつもと違う。
「では、俺は前期試験までに準備を完了できるよう頑張る。
みんなもそのつもりで協力してくれ」
「ケツカッチンですね。先輩、ファイト!」
小林、その言葉どこで覚えたのか知らんが地雷を踏んだぞ。
『ホホホホ。皆さんお育ちがいいのね』
俺のスマホから聞こえる高笑い。
みんなにどう説明しよう、これ。




