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総帥の報酬

「士郎、私たちの生活費ってどこから出てるの?」


夕食後、母が急にそんなことを聞いてきた。


食卓には焼き魚と味噌汁とポテトサラダが並んでいる。

広い食堂に磨き上げられた銀食器、白いテーブルクロスに軋まない椅子。

そこにうちの家族が座っていると日本が舞台のハリウッド映画みたいな違和感がある。


「生活費?」


「そう。食費に光熱費、車や警備の人とかのお給料も」


父も箸を止めた。


「父さんの口座からは前の家の公共料金くらいしか引き落とされていないんだ。

 ここに住んでからの費用がどうなっているのか、

 そろそろ把握しておいた方がいいと思ってな」


なるほど。極めて真っ当な質問だ。

俺は味噌汁を一口飲み、考えた。考えたが、何も出てこない。

ない知識は語れぬ。


「……カールが……いい感じに?」


母の目に厳しい光が灯った。


「士郎」


「はい」


「お金持ちになったからって、

 お金のことを考えなくていいわけじゃないのよ」


「返す言葉もございません」


俺は深く頷きつつ、内心では慌てていた。


大学で俺は岩崎に偉そうなことを言った。

あいつを素人扱いまでしたのだ。

その俺が自分の飯代の出どころすら知らない。


「今から確認します」


食堂の入口には当然のようにカールが控えていた。

目が合ったので頷くと、それだけで近寄ってきてくれる。


「士郎様の生活費と関連支出についてでございますね」


「聞いてたのか」


「ええ、差し支えのない範囲で」


便利な言葉だ。今後俺も使っていきたい。


五分後、カールは薄いファイルを三冊持って戻ってきた。

薄い。助かった。


そう思って開いた瞬間、助かっていないことが判明。

薄いファイルの中に細かい数字がぎっしり詰まっている。


文章ではない。データの羅列。理解を拒む数字の海。


「概要をご説明いたしましょうか」


「いたして」


「ご家族の生活費は士郎様の個人口座から支出されております。

 ただし財団側の都合で必要となる費用は財団が負担しております」


「俺の個人口座って言ったか、今?」


その存在に聞き覚えがない。


最初に渡された二百億円のことだろうか。

あれは俺の精神衛生のため、できるだけ見ないことにしている。

見たところで何をしていいのか分からないし、

桁が多すぎて脳が理解を拒絶してしまう。


「先日の二百億円から出てるの?」


「いいえ。日常的な生活費は別口座にて処理しております」


「それだ。俺は知らないんだけど?」


母が箸を置き、続いて父、俺も置いた。


「その口座には何が入ってるんだ?」


「財団総帥としての報酬。言うなればお給料でございます」


報酬――すなわち労働の対価だ。


しかし俺の労働とは何だ?

書類に名前を書き、エリザに叱られ、カールに世話され、

AIマルグリットに笑われるくらいなのだが。


「働いた覚えがないんだけど」


「士郎様は財団の代表であり責任者でもあります。

 責任者が後ろで控えていてこそ私どもが動けるのでございます」


きれいな理屈だが、きれいすぎて逆に怖い。


「ちなみに、俺は月いくらもらってるの?」


「日本円で月額およそ一億円ですな」


ヒュッ。


横隔膜が飛び跳ね、喉が鳴る。

父がむせ、母はなぜか俺を睨んだ。


「月? 年じゃなくて?」


「月額でございます」


岩崎が知ったら俺のコンサルをしたいと名乗り出るだろう。

三井麗奈は胸から婚姻届を取り出すかもしれない。

小林は涙が溢れないよう天を仰ぎ、鈴木なら三日で溶かす。たぶん。


「そんなに受け取っていいのか?」


「妥当な範囲です」


食堂に入ってきたエリザが俺の背後からそう言った。


「財団および関連資産の規模から見れば、むしろ控えめです」


「今、月一億円を控えめって言った?」


「相場をご存じないのに多い少ないを論じるのはどうかと」


エリザは俺の向かいに座った。カールが当然のように紅茶を置く。


「財団管理資産、士郎さん個人名義の資産、全部ひっくるめて

 士郎さんが最終的に責任を負う資産の評価額は現在およそ六兆四千億円。

 年間の運用益は概算で二千五百億円前後です」


「増えてないか?」


「不動産収入、配当、利息、賃料その他の継続収入もあります」


「俺が何もしなくても?」


「運用チームの通常業務だけでそれくらいは」


通常業務でこれなら、気合いを入れて頑張ったらどうなるんだよ?


「で、この一億から生活費とか払ってるの?」


「はい。個人で利用する部分については財団が諸費用を徴収しています」


「だいたい理解した。あとは納得するだけだな」


いくら払っているのかは聞かないほうが良いのだろう。


「ダブスタ気味で恐縮ですが、使うべきところでは使って下さい」


「税金で取られるくらいならってこと?」


「それもありますが、無意味な浪費と必要な支出は違います」


「俺が自分の報酬を使うのは問題ないんだな?」


「個人的なお金ですから、常識の範囲内であればご自由に」


「俺にはその常識がまだ分かってないんだよ。

 大きな金額が必要になったら相談させてもらう。頼りにしてるよ」


カールが嬉しそうに微笑んだ。

エリザは少し驚いた顔を見せている。


「珍しく、殊勝なお言葉を」


「俺はいつだって謙虚だろ」


「判断基準ですか……教育、研究、福祉、文化、地域貢献などに該当し、

 利益相反と税務上の処理が明確で、特定個人への不透明な利益供与にならず、

 継続性があり、説明責任を負えることをベースラインにしましょうか」


「ベースラインのハードルが棒高跳びのバーくらい高いね?」


「簡単に言うと、娯楽は構いませんが自重は必要です。

 何人も巻き込む大きな話なら、まともな理由を用意してください。

 それとこれは結構やらかしがちなことですが、

 多少理屈をつけても知人に現金を配るのは絶対駄目です」


「だいたい分かった。エリザさんが何を心配しているのかも」


分かったのだが、それでも頭に浮かんだのは小林真帆の顔だった。

今日も彼女は学食のうどんに油揚げを載せるかどうかで悩んでいるかもしれない。


彼女に金を渡せばいいという話ではない。

渡された側は負い目を背負い、プライドも傷つく。

渡した側には出資者としてリターンを求める気持ちが芽生えてしまう。

双方の関係は今までと同じではいられなくなる。

周囲も不公平を唱えるだろう。


それでも何もしないのは違う気がした。


「誰ぞにお金を渡したい、という顔をしていますね」


「ぐっ……」


エリザの一刺し。クリティカルヒット。


「サークルの後輩なんだけどね。お金に困ってるように見えるんだ。

 まだ俺の勝手な思い込みなんで、まずは話を聞いてからにするよ」


「それがよろしいでしょう。ただし一対一で金銭の話をするのは避けてください」


「後輩だぞ」


「金銭が絡むと知人は他人より厄介です」


嫌な言い方だがたぶん正しい。なにせ弁護士の言うことだ。


「ちなみに女性ですね、その後輩の方は?」


そこまで分かるのかよ。


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