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幕間 Secret Secret Service

今回は士郎のいない場所で起きた話です

──────────────────


教務課から学生支援部へ回されたリストを見て、学生支援部長の松井は最初、出席率が悪い受講者の確認だと思った。


載っていたのは七人。科目等履修生や聴講生などだ。大学に出入りする資格も授業を受ける権利もある。学費や受講料は納めており、事務手続き上も不備はない。


ただ、授業には出ていない。最初の説明会にも顔を出していない。


そこまでは珍しくない。

大学には、試験だけで単位を取ろうとする者は多い。

別の進路へ気持ちが移っている者もいる。親に言われて形だけ籍を置く者もいる。

大学とは学ぶ場所だが、学ぶ気のない人間を受け入れる書式もなぜか整っている。


問題は、欠席者扱いにするには彼らが勤勉すぎることだった。

おそらく、授業以外に対して。


授業には来ないが構内にはいる。

学生会館で新聞を読み、図書館前でスマホを眺め、食堂の端でコーヒーをすする。誰とも話もせず、写真を撮るわけでもなく、騒ぎを起こすわけでもない。


ただ何となく分かる。何か特別な訓練を受けた人間だということは。


「記者か何かか?」


松井が尋ねると、調査を担当した若手職員は首を振った。


「うちの大学の何を潜入レポートするって言うんです?

 スポーツもほどほど。裏金を積んで入るほどのブランドもない。

 それに記者ならもう少し仕事をしますよ。ほら、聞き込みとか」


「じゃあ何なんだ?」


「正直、首を突っ込みたくないですね」


大学事務には、分からないものを分からないまま次の部署へ送る技術がある。

今回は送られてきた側が松井だっただけのことだ。


「これまでに彼らと話は?」


「いいえ、出席率以外は特に咎め立てる理由もないので」


「おっさんがキャンパスライフを満喫するのが流行ってるのか?」


「まあ、おっさんと言えばおっさんになるんですかね……」


おっさんという理由で退去させられるなら事務仕事はかなり楽になる。

残念ながら大学はそういう場所ではない。


七人に事情説明を求めたところ、会議室へ現れたのは本人たちではなかった。


濃紺のスーツを着た長身の外国人男性と、隙なく整えたグレーのスーツの女性。

女性は名刺を置き、エリザ・高畑・オッペンハイムと名乗った。

男性はカール・ヨハンセン。立っているだけで会議室を狭く感じさせる大男だ。


「このリストの七人を呼んだはずですが」


総務担当理事の野村が紙のリストを手の甲で弾くと、エリザは丁寧に頭を下げた。


「本件については私どもが責任者としてご説明いたします。

 私の指示で現在彼らは経済学部3年の小野士郎氏の身辺警護に当たっています」


小野士郎。


その名前に反応しない事務員はこの大学にはいない。

膨大な遺産を相続した学部生としてマスコミが正体を探っているらしい。

彼のおかげで事務室の電話とメールボックスは連日パンク寸前だ。


「小野君の警備員を大学に無断で入れたということですか」


野村の声が硬くなる。


「事前にご相談すべきだった点は認めます。

 貴学の管理権限を軽視する意図はありません。

 その点はお詫び申し上げます」


エリザの謝罪は綺麗で、誠意がこもっているようにも聞こえた。

これで畳み掛ければ謝られた方が悪者扱いされそうな程に。


「ただご理解いただきたいのです。小野氏の警備計画を事前に大学側と共有すれば、

 その時点でリスクが増大してしまうのです」


「大学を信用できないと?」


「信用していないのではなく、リスクを極小化させていたのです。

 貴学の事務所にはコンプライアンス教育を受けた事務員だけでなく、

 業者、教員、学生まで比較的自由に出入りが可能でしょう?」


だいたい合っている。松井も野村も反論はできなかった。


「大げさな。小野君は二十歳かそこらの一介の学生ですよ?」


松井の言葉にカールがわずかに眉を動かした。


「一介の学生にしては何かあった時の周囲への影響が大きすぎます。

 士郎様は我々財団の総帥であり、複数国の財団や金融機関、税務当局が

 注視する資産の中心におられます。

 誘拐され、脅迫下で指示を出す事態になれば、本人が安全かどうか

 だけでは済みません」


エリザが資料を開く。


「万が一小野氏が死亡した場合、個人資産と財団の管理権限をめぐる

 承継問題が生じ、日本と米国を含む関係国の当局がそれぞれの理由で

 動くことになります」


会議室の誰かが笑い声を作りかけ、途中でやめた。

冗談として処理するにはエリザの資料が分厚すぎるのだ。


「これは先週のお話ですが……実際に米国政府は安全保障上の観点から日本政府へ小野氏の資産継承に関する照会を行っています」


「安全保障ってことは……軍も動きうるってことですか、野村さん?」


松井の言葉に野村は資料の角を揃え直した。

大学の危機管理マニュアルには火災、天災、不審者、感染症、ライフラインの項目があるが、VIP学生の安全保障に関するページは、まだない。


「学内の安全は本学が責任を負っています。

 必要なら警備員を増やすことも可能です。小野君のためだけに、ということに

 なると、その分の費用はそちらと協議することになると思いますが」


「その前にお尋ねします。貴学の警備員に要人警護、対誘拐、対テロ訓練を

 受けた方は何名いらっしゃいますか」


エリザの質問に野村は息を呑んだ。

警備会社と契約はしているが、訓練の内容まで踏み込んではいないからだ。


「貴学の警備体制を軽視しているわけではありません。

 ですが、夜間巡回とテロ・誘拐対策を同じ物差しで測るのは

 双方にとって不幸です」


警備員を増やすという話はそこで止まった。

若手職員だけが妙に納得した顔をしている。


「しかし、警備員なら警備員と分かる形にするべきではありませんか。

 抑止効果も出るでしょう。学生に紛れるのは健全ではない」


「何を以て健全とするか、には議論が必要ですな。

 士郎様に制服を着た警備員を何名も張り付けるのが健全かと言われれば、

 それはどうかと思います。

 士郎様は友人と同じ教室で学び、学食で食事をし、

 気楽にキャンパスを歩いていたいのだと仰っていましたが」


カールの声音は真剣だった。


「現在の警護体制ならそれが可能だと?」


「そう考えておりますし、少なくとも士郎様は昨日も普通に講義へ向かわれました」


「大学の施設は教育、研究のためにあるものです。キャンパス然り。

 この目的に合致しない行動を無許可で取る人間には退去命令を

 言い渡すことができますが……」


大学側の権利としてその言い分は通る。筋は通っていた。

ただし退去させた瞬間、小野士郎の安全は大学の責任として残る。


「無許可が問題であるなら正式な手続きを踏ませてください。

 暫定条件にも従います。

 ただし、協議中に小野氏の安全へ空白を作る条件は受け入れられません」


エリザもそこは引かない。


話はどちらへ動かしても面倒だった。

認めれば無許可の私設警備隊を追認することに、拒めば安全責任だけが残る。

理事会に送れば結論が出るまでに時間がかかるし、おそらく費用のことで揉めるだろう。

その間の安全責任は大学が被らねばならない。


その時若手職員が規程集の課外活動に関するページを開いた。


「科目等履修生や聴講生は、課外活動団体に参加・加入できますよね?」


野村が顔を向ける。


「藪から棒に、何だ?」


「参加資格を全日制の学生だけに限る条文はありません。

 テニスサークルなどでは学外の女子を参加させているところまであります。

 設立には学生会の判断が必要ですが、受講生を排除する規定も見当たりません」


「あっ」


松井は納得したくはなかったが、理解できてしまった。


「無許可の警備活動ではなく、警護技術と危機管理を研究する

 課外活動団体として届け出る。

 警護の実習として小野君を『たまたま』選んだ。

 活動場所、目的、構成員、連絡先を大学が把握する。

 授業や研究、学生自治には関与しない。

 これなら少なくとも管理下には置けます」


「そんな無茶な。詭弁にも程がある」


「我々は、詭弁であっても小野氏の安全さえ確保できれば歓迎します」


エリザが穏やかに返す。

野村は敗北感を覚えずにはいられなかった。

制度の穴を突く詭弁が問題を解決する手段として高く評価されてしまったのだ。

――別に勝負はしていないのだが。


「そんなサークル……くそぅ」


「いや、名案ですよ。素晴らしい。

 これならサークル設立届の紙切れ一つで済む。

 顧問はお引き受けいただけますよね?」


「……私が?」


「本学キャンパスの安全に責任を負うと先ほどおっしゃいました」


野村は眉毛を下げて松井を見る。

松井は仕方なく助け舟を探したが、規程集の中に舟は一艘も見当たらない。


「こういうのは学生支援部の担当ではないのか」


「学生が安全に勉強できる環境づくりの話でしたら当然総務の所管になります」


若手職員が小声で返した。正しいことは、余計な時ほど刺さる。


「……仕方ない」


その場でサークル設立届の様式が用意された。

学生会には後日説明。理事会では小野士郎の警護体制を別議題として上げる。

当面は警護技術研究を目的とするSPサークルが警護の任を負う。

初期構成員は例の七人。入会希望者があれば受け付ける。

希望者が本当に来た場合の扱いについては……別途相談。


こうして小野士郎の通う大学には、SPサークルが誕生した。


なお、守られる当人である小野士郎は、そのサークルの存在をまだ知らない。

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