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【完結】婚約破棄ですか? 愚かですね。  作者: 逆立ちハムスター


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3

月光の離宮のサロンには、夜が更けても熱を帯びた議論が続いていた。


「アウレリア嬢、本当に公爵家の財務口座を凍結したのかい?」


マルクス侯爵が目を見開き、感嘆の声を上げた。他の貴族たちも驚きと絶賛の混ざった視線を私に向けている。


「ええ」と私は冷ややかな笑みを浮かべ、手に持った温かい紅茶に口をつけた。「父と兄が戦死したとの報を受けたその日のうちに、私は公爵家の全財産を管理する中央銀行および大商人組合に対し、当主の正当なサインと専用の印章なしには一金貨たりとも引き出せないよう、厳重なロックをかけさせました。もし王室や第三者が差し押さえを試みた場合、資産は自動的に複数の海外口座へ分散・退避される仕組みにしてあります」


ルキウス殿下は、私が世間知らずの世俗に疎い令嬢だと高を括っていたのだろう。

「公爵家を没収すれば、その膨大な富で王室の財政難を一気に解決できる」――そう踏んでの、今夜の暴挙だったはずだ。


だが、あの男が明日目にするのは、一文無しになった空っぽの公爵家金庫と、膨大な管理維持費の請求書だけである。


「素晴らしい……! ティベリウス公が亡くなられた後、君がどれほど完璧に領地と財産を守っていたかが良く分かったよ。あの愚かなルキウスは今頃、手に入らぬ黄金を夢見て踊っているわけだ。これは実に愉快だ!」

マルクス侯爵は胸のすく思いだとばかりに笑った。

周囲の反対派閥の貴族らもクスクスと笑みを浮かべている。


「それだけではありません。北部に駐屯している我がクラウディア公爵家の精鋭三千の騎士団ですが……表向きは『当主不在による混乱を避けるための武装解除』として、領地にて待機させております。ですが、私の信頼する副団長へはすでに密書を送ってあります。私の合図ひとつで、彼らは王都近郊の街道へと電撃的に移動を開始しますわ」


「完璧だ」

マルクス侯爵は深く頷き、その表情を真剣なものに変えた。


「これで我が方の盤石さは整った。あとは……ガイウス殿下の到着を待つのみだ」


「ガイウス殿下……」


その名を呟いた瞬間、私の胸の奥が不意に小さくキュッと締め付けられた。


最後にガイウス殿下とお会いしたのは、三年前のことだ。

当時はまだ二十歳だった殿下が、第一妃派閥の手によって「聖都エブスの防空総督」という名ばかりの左遷を言い渡され、王都を去る直前の夜。


王宮の薄暗い庭園で、私のもとへ別れを告げにやってきた若き殿下の姿が、鮮明に脳裏に蘇る。


『アウレリア。僕がこの王都を去れば、君はルキウスの横暴に直接晒されることになる。本当なら、君を連れてエブスへ逃げ出したいほどだ……』

『ガイウス殿下……そのようなお戯れを。私はクラウディア家の娘として、この国にとどまらねばなりません』

『……分かっている。だが、約束してほしい。僕がエブスで実績を上げ、ルキウスたちを黙らせる力をつけて戻るその日まで、どうか無事でいてくれ。僕は必ず、君をあんな愚か者の手から救い出す』


月光に照らされた彼の漆黒の髪と、決意に満ちた深い群青色の瞳。

あの時、握りしめられた手から伝わってきた熱を、私は今でも忘れていない。


ルキウス殿下との婚約は、父と前国王が交わした単なる政治的取極めに過ぎなかった。そこに愛などは微塵もなく、ルキウスから私に向けられるのは常に蔑視と支配欲だけだった。

対してガイウス殿下は、幼少期から私を対等な人間として扱い、私の学識や領地運営の意見に耳を傾けてくれた唯一の人だった。


もし……もしも運命が許すなら、私はあのお方のためにその力を尽くしたいと、ずっと胸の奥底で密かに祈っていたのだ。


「アウレリア嬢」

マルクス侯爵が、胸元から一通の固く封かんされた手紙を取り出し、私に差し出してきた。


「これは……?」

「聖都エブスから、密使によってたった今届いたガイウス殿下からの私信だ。君宛てに預かっていた」


私の心臓が、跳ね上がるように鳴った。

指先をわずかに震わせながら重厚な羊皮紙を受け取り、クラウディア家に伝わる小さなナイフで封を切る。


引き締まった、力強くも美しい筆跡。それは紛れもなくガイウス殿下の文字だった。


──


『親愛なるアウレリアへ。

君が今、どれほど深い悲しみの中にいるかを思うと、胸が引き裂かれる思いだ。ティベリウス公とクィントゥス殿の悲報を聞いた時、今すぐにでも全軍を率いて王都へ駆けつけ、君を抱き締めたい衝動に駆られた。お二人の死は、我が国にとっても、そして僕にとっても痛恨の極みだ。


だが、悲しみに暮れている暇はない。ルキウスの暴走は留まることを知らず、君にも危機が迫っていると聞く。

どうか、あと少しだけ耐えてほしい。


オルフェ教会との交渉は完了した。聖騎士団の先鋒はすでにエブスの境界線を越え、我が軍との引き継ぎに入っている。

僕は間もなく、精鋭八千を率いて王都へと帰還を開始する。


ルキウスの手に、君を、そしてこの国を渡しはしない。

僕が戻ったら……真っ先に君のもとへ向かう。無事でいてくれ、僕の愛しいアウレリア』


──


「ガイウス様……」


手紙を胸に抱きしめると、温かいものが瞳から零れ落ちそうになった。

彼は私を忘れていなかった。ただの同盟相手としてではなく、ひとりの女性として、私を本気で案じてくれていたのだ。


失った父と兄の面影が胸をよぎる。お父様、お兄様……私に力をお与えください。私はもう、あの愚かな王子に踏みにじられるだけの弱い女ではありません。


「……侯爵」

私は涙を拭い、毅然とした顔を上げた。


「ガイウス殿下の進軍に合わせて、王都内部からの揺さぶりを掛けましょう。ルキウス殿下が自滅するよう、仕掛けを用意するのです」


「ほう、どのような策かな?」

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