第60話「大和魂」
石丸と若菜が帰った後、靈は道場に一人残った。
「拝郷さんが決めたことであれば、私がどうこう言えることではありません。今までお世話になりました」
「私は師匠に道場を続けて欲しいと思っています。実際に刀を振るった経験がある師匠にしか教えられない事があると信じています」
各々言葉を残し、一礼して道場を後にした。
奥の間から漏れ出る盆提灯の灯りだけが、板の間を薄く照らしている。
薄暗い道場に目をやると、壁にきゃるんの木刀がかかっている。靈の木刀がその隣にある。奥の間から出た一振りは、もう戻らないだろう。
道場の看板を下ろす、と言ったのは靈に圧し掛かる罪悪感ゆえだった。
その言葉が、まだ奥の間の空気に残っている気がした。
靈は薄暗い奥の間から、月明かりの差し込む板の間に這い出た。
型をやろうとして、木刀に手が届かなかった。
もう刀はおろか、木刀も握ることはないと思うと、後ろ髪を引かれる感覚が今になって靈の手を下げた。
ただその場に座った。
板の間の冷たさが、膝から伝わってくる。
今日起きたことがじんわりと靈の頭に舞い戻ってきた。
雨森に会った。若菜が来た。石丸が来た。誰も靈を責めなかった。
靈には、それが最も辛かった。
責められれば、謝れる。謝れれば、前に進める。
ただ、石丸も若菜も靈を擁護した。感謝した。勇気をもらったと言った。
その言葉が、靈の胸の中でどんどん重さを帯びていく。
靈が刃を抜いたことで、日本が動いた。
皇道護民連合が汚職の議員や官僚を処刑し、石丸が放送局の幹部を拘束した。全国で、自浄作用と呼ぶにはあまりに暴力的な動きが連鎖てしまっのだ。
靈がダグラスを斬ったことが、結果的にその連鎖の起点になったともとれる。
若菜は言った。魂の叫びだった、と。
石丸は言った。後世に残す形を問いかけた、と。
その言葉は、靈を救うものではない。むしろ、靈をより深い問いの前に立たせた。
大和魂とは何か。
靈はその問いを、今夜初めて自分に向ける。
きゃるんに礼を教えたとき、大和魂という言葉は使わなかった。石丸が父の話をしたとき、その言葉は出てこなかった。榊原が縄を張り替えた四十年を語ったとき、その言葉は必要なかった。
ただ、形があった。礼があった。続けることがあった。
それが大和魂の器だったのかもしれない。
靈は親父の本棚の前に立つ。
薄暗い中、背表紙を指でなぞった。
「修身」、「武士道と修養」と指が走り「武道と礼の本義」を引き出した。
以前、「刃を抜くたびに、その判断の重さが軽くなっていかないよう、抜いた後こそ礼を深くせよ」という言葉を読んだ章だ。
今夜は別のページが靈の心を引き寄せる。
「大和魂とは、物事の道理を知り、その場に応じた判断をする感性のことである」
以前、雨森が言っていた言葉だ。叢雲の仕事をしていたころ、川口の調停に来たときに話していた。
靈は続きを読んだ。
「ただし、この感性は生まれながらに持つものではない。礼を修め、型を通し、先人の形を受け継ぐことで、体に入っていくものである。大和魂は、持って生まれる魂ではなく、積み重ねることで体に宿る魂だ」
積み重ねることで体に宿る魂。
靈はその言葉を、今夜の板の間に置いた。
きゃるんが礼を続け、礼が体に入っていた人間が、向かっていった。
石丸が礼の稽古を始めた。首が緩んでいく中で、父が外国人の健康を祈っていた理由を体で理解した。
若菜が巻藁を打った。刃を持つ理由を一週間かけて考えてきた。怖い場所に立ち続けるために刃を持つ、という言葉を自分の言葉で持ってきた。
榊原が四十年、縄を張り替えた。張り忘れた年があっても、翌年また張り替えた。
雨森が廃社になった後も神職の資格を持ち続けた。
それぞれが、それぞれの積み重ねを持っていた。
その積み重ねが、大和魂の正体だとしたら。
靈がダグラスを斬ったことは、大和魂の発露だったのか。
靈には、まだわからない。
ただ、一つだけわかることがある。
刃を抜く一瞬は、その前にある全ての積み重ねの結果だ。礼を続けたこと、型を通したこと、話しかけ続けたこと、守ろうとし続けたこと。
その積み重ねがなければ、體は動かなかった。
靈は本を閉じた。
板の間の中央に戻って、すっと正座する。
今夜、靈は一つの問いに向き合った。
これから自分はどうするべきか。
若菜がいる。石丸がいる。きゃるんの遺志がある。三田の言葉がある。
靈が積み重ねてきたものは、靈一人のものではない。
渡されたものがあり、渡したものがあり、渡し続けているものがある。
大和魂を取り戻すとはどういうことか。
靈は今夜、一つの答えを手繰り寄せていた。
それは、失われた何かを掘り起こすことではない。
三礼が二礼に変えられた。神社が地域の集会の場から個人の参拝の場になった。灯籠流しが禁じられた。武道が封じられた。それらが少しずつ取り戻されていった川口の一年間を、靈は體で確認してきた。
ただ、形を取り戻すだけでは足りない。
形の中に、理由が入っていなければいけない。
礼をする理由を知らなければ、礼は形骸だ。
刃を持つ理由を知らなければ、刃は凶器だ。
形と理由が結びついたとき、初めてそれは生きた文化になる。
古き良き日本の習慣を取り戻すとは、形だけを復元することではなく、形の中に宿っていた理由を、自分自身の言葉で持つことだ。
若菜が「怖い場所に立ち続けるために刃を持つ」という理由を持ってきた。それは若菜自身の言葉だった。三田が古事記を教えた理由も、知識を渡すためではなく、なぜ知る必要があるかを渡すためだった。
理由が自分の言葉になったとき、形は体に入る。
もう一つ、靈が今夜再確認したことがある。
当事者意識のことだ。
靈は長い間、川口の出来事を傍観者として見ていた部分があった。道場にこもり、AIに動画を作らせ、人と関わらない日々を漫然と過ごしていた時期が、確かにある。
自警団の怒りも、移民との衝突も、利権の腐敗も、どこかで他人事として見ていたのかも知れない。
ただ、きゃるんが来た。雨森が来た。石丸が来た。若菜が来た。
彼らが道場に礼をして入ってくるたびに、靈は当事者になっていった。
礼は、首をさらすこと、急所をさらすことで、信頼を示す。
靈が道場に礼を受け取り続けたことで、川口の出来事が靈の出来事になっていった。
大和魂を取り戻すために必要な意識は、当事者であることなのかもしれない。
遠くから日本の衰退を嘆くことは、誰でもできる。形が失われたことを嘆くことも、誰でもできる。
ただ、礼をして入ってきた人間を受け取ること。縄を一本張り替えること。大祓詞を一度唱えること。木刀を一人の弟子に渡すこと。
その一つ一つの、当事者であること。
それが積み重なることで、形が生きていく。
靈は立ち上がって、きゃるんの木刀を壁から外した。
道場の中央に立った。
型はしない。ただきゃるんの木刀を胸に抱えて、自分自身に問いかけた。
刃を抜いたことで、靈は変わった。その変化を受け止めた上で、続けることが必要だ。
抜いた後こそ礼を深くせよ。
道場を閉じることは、礼を深めることではないのかもしれない。続けることが、礼の深め方だと、靈の心は訴えていた。
窓の外に、川口の夜が広がっていた。
日本はまだ、荒れている。
ダグラスは処刑されたが、その背後にあるものはまだある。倉敷は逮捕されたままだ。石丸が次にどう動くかは、まだわからない。
ただ、道場はここにある。
型を続けている人間がいる限り、道場は閉じない。三田が言っていた言葉だ。
靈は目を閉じた。
きゃるんの顔が出てきた。
師匠らしいですね、という声が聞こえた気がした。
きゃるんが何を指して「師匠らしい」と言ったのか、今夜ようやく靈にわかった気がした。
一個の答えしか持っていない、ということではない。
どんな場面でも、礼をして入ってくるものを受け取り続ける、ということだ。
きゃるんが礼をして入ってきた。若菜が礼をして入ってきた。石丸が礼をして入ってきた。
靈はそれを受け取り続けた。
受け取ることが、道場主の仕事だった。
大和魂は、特別な人間だけが持つものではない。
礼をすることができる人間なら、誰でも宿すことができる。
怖くても首の後ろをさらすことができる人間なら。
欠けた年があっても翌年また縄を張り替えることができる人間なら。
型を一度途切れさせても、また始めることができる人間なら。
形の中に、自分自身の理由を入れることができる人間なら。
隣にいる人間の重さを、受け取ることができる人間なら。
靈は目を開けた。
板の間に、二本の木刀がある。
明日、若菜が来る。
靈は立ち上がって、引き戸を少し開けた。
川口の夜の空気が、板の間に入ってきた。
どこかで工場の大型トラックが、まだ動いている音がする。川口はまだ眠っていない。
靈は引き戸を閉めた。
今まで積み重ねてきた道場は、ここで終わる。
靈は新たな続け方、新しい道場の在り方があるはずだと、確かに感じていた。
型を続けている人間がいる限り、道場は閉じない。
礼をして入ってくる人間を受け取り続ける限り、形は生きていく。
自分自身の言葉で理由を持つ人間がいる限り、大和魂は失われない。
それが、靈がこの一年で確認したことだ。
川口で、板の間で、路地で、神社の境内で、荒川の河川敷で。
一礼ずつ、一型ずつ、確認してきた。
靈は最後にもう一度、板の間に向かって礼をした。
今まで積み重ねてきた全てに感謝を込めて。
明日からまた始まる何かへの準備として。
礼から戻したとき、靈は初めて、今夜の問いへの答えが體に入ったことを感じた。
道場の看板は、下ろさない。
続ける。
それが、靈の新しい答えだった。




