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壱億総抜刀  作者: るふな


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第59話「日輪」

雨森との話を終え、店を出た時には辺りはすっかり日が傾いていた。

 「それでは、お気をつけて」

 雨森の靈を見る目は、臨終間際の近親者を見るそれであった。

 事実、靈の気力はすでに、風前の灯火の如く、今にも消え入りそうだった。


 靈が道場に着く頃には、多くの人々と報道陣で玄関先がごった返していた。

 「誰が何と言おうと俺はあんたの味方だぞー!」

 「人殺しー!」

 「我らの救世主!」

 狭い路地の所々で、言い争いに発展している様だった。


 靈は気配を殺して、塀を乗り越えて裏庭に滑り込んだ。

 真っ暗のまま灯りを付けずに、道場に一礼した。

 壁にかけられたきゃるんの木刀に足が向く。

 最後の稽古の時、若菜は木刀を置いていったのだ。

 靈はきゃるんの木刀の前に立ち、静かに手を合わせる。

 (師匠らしいですね)

 きゃるんの言葉が、靈の頭の中にこだました。


 自分らしさとは何なのか、靈はすっかり自分を見失っていた。

 ふと奥の間に目をやると、普段かけてある真剣が、一本足りない。

 警察署に着いた時に押収され、以来手元には帰ってこなかった。


 靈が道場の真ん中に座っていると、道場の端に置いておいたスマートフォンのバイブレーションが道場を揺らした。

 若菜からのメールだった。

 (雨森さんから聞きました。今夜道場に行ってもいいですか)

 

靈は贖罪したいと思う側、若菜に会う事を恐れていた。靈を襲う罪悪感の重みは、ダグラスを殺傷したことよりも、周りに迷惑をかけた意識から来ていた。

 靈が返事を返す前に、若菜からもう一通連絡が入る。


 (今、裏にいます)

 靈は驚いて心臓が痛みを伴うほど脈打つのを感じた。

 (今開けます)

 メールを送った後すぐに靈は裏口へ向かった。

 

閂にかけた手に汗が滲んでいる。若菜に一体何と言われるのだろう。激しく罵倒されるのか、はたまた道場を辞めると見限られるのか。

 どちらにしろ受け止めなければならないと、分かってはいても自分の行いを否定されると思うと靈は手の震えを禁じ得なかった。

 呼吸を整え裏口を開けると、若菜がひっそりと佇んでいた。


 「突然すみません、お邪魔してもよろしいでしょうか」

 「ええ…はい。どうぞ」

 靈は若菜にかける言葉を見つけられないまま、道場の奥の間に若菜を通した。

 奥の間は季節外れの盆提灯だけぼうっと灯り、薄暗く壁にかけられた真剣をゆらゆら照らしている。

 「電気、付けますね」

 「あ、いえ、大丈夫です」

 靈の目には、若菜は妙に落ち着いているように見えた。

 

 しばしの沈黙が流れた後、靈は思い切って切り出した。

 「若菜さん、ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありませんでした」

 若菜は視線を落として黙っていた。

 「道場主…ものを教える立場の者としてあるまじき行為だったと思います」

 靈が後の言葉に詰まると、若菜はゆっくりと真剣を見つめた。


 「確かに、驚きました。まさかあれ程暴力を嫌厭していた師匠が、公衆の面前で人を手にかけるとは…ショックでした」

 靈は膝の上で拳を握りしめた。弟子を失望させることが、こんなにも辛いとは靈は考えたこともなかった。

 「ですが、同時に勇気を貰えたと思っています」

 

 靈には若菜の言葉の意味がよく分からなかった。

 「どういう…事でしょう」

 若菜はまた薄暗く照らされる真剣を眺めた。

 「師匠が満を辞して動く時、それはすでに一般人の許容限界値を遥かに超えている段階だという事は明白でした」

 靈は若菜から発せられる言葉を一言一句漏らさぬ様に聞き入った。

 「居合いは刀を抜かない為の礼法を兼ねると、以前師匠が教えてくれました。では、刀を抜かねばならない時はいつでしょう。師匠であれば、誰かを守るために刀を振るうと思いました。きゃるんさんがそうした様に」

 

 靈は心が締め付けられる様だった。

 「師匠が悪政の象徴を断ち切る事で、何もできず見ていることしかできなかった私達にも何か出来るのではないかと、そう思えました」

 「それが問題なのです」

 靈の拳に力が入る。

 「私がダグラス氏を民衆の前で処刑してしまったことで、少なからず影響が出てしまっています」

 「どちらにしろ、あの状況では皇道護民連合がダグラス石橋を殺害していたのではないですか?師匠は止められない事を分かっていて、敢えて刀を振るったのですよね?」

 「ええ、彼らの目には一切の迷いがありませんでした」

 「師匠はダグラス石橋を日本刀で斬ることが何を示すか、分かっていたのではないですか?」

 

 靈は自分の口角が無意識に上がった事を知覚した。自分の心の奥底で蹲っていた感情を、若菜が掬い上げてくれている様な気がしたのだ。

 「当時、私は頭の片隅では分かっていたと思います。日本刀でダグラスを斬るその影響力を。しかし今まで培ってきた礼法云々を度外視して、明確な理性の元、體が動いたのは、確かに、事実です。それは罪…」

 「それは魂の叫び…」

 靈が言い切る前に、若菜が遮った。

 「それこそ師匠が説くべき大和魂だったのではないでしょうか」

 

 靈は事件の後ずっと、頭と體が分離している感覚を、何とも言い表せないでいた。若菜の言葉で、自分の考えと行動の理由がようやく腑に落ちた。

 「なるほど…確かに今にして思うと、私はあの時ダグラス氏を間近に見て、現行政府の打倒に義を見出していた…と思います」


 「師匠…」

 若菜は靈を真っ直ぐ見つめた。

 「師匠はあの日集まった人たちや川口に住む人々、日本の国民や、ご先祖様達が代々守り通してきた伝統の形を守る為に、刀を振るった。私は…尊敬します」

 靈が抱える罪悪感のやり場に困って返答できないでいると、再び靈のスマートフォンの着信が道場に響いた。

 

 石丸からの着信だった。

 靈が出るのを躊躇っていると、若菜が目配せしてきた。

 「はい」 

 靈が出ようとすると、すでに着信は切れていた。すかさずメッセージが届く。

 (今、お会いする事はできますか?正門にいます)


 「師匠、大丈夫ですか?」

 「ええ、石丸さんが来たようです」

 靈が玄関に向かうと、若菜も付いてきた。

 正門の閂を開けると、石丸が靈を見て驚いた。すぐに出てくるとは思っても見なかったらしい。

 「お久しぶりです。若菜さんも」

 「一先ず中へ」


 靈は石丸を案内し、奥の間に通した。二人に茶を淹れ、靈は絞り出すように切り出した。

 「お二人には改めて謝罪しなければなりません。私が引き起こした一連の事件について、ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした」

 石丸は何も言わずに湯呑みを握りしめた。


 「先ほども言いましたが、私は師匠を責めるつもりはありませんし、むしろ感謝しています。そして当日同じ場にいられなかった事を申し訳なくも思っています」

 口を開いたのは若菜だった。

 

 「私は…」

 「私も、若菜さんと同意見です」

 石丸の言葉は迷いが無く、ハッキリとしていた。

 「私も当日に拝郷さんが壇上に上がられた時、正直驚きました。全く予想だにしていませんでしたから」


 石丸は当時の状況を思い出す様に、少し上を見上げた。

 「拝郷さんはいつもの様に、争いを止める為に壇上まで上がったのだと、その時は思いました。しかし私の目から見てもあの状況で、あれほどの手だれを全員を止めるのには無理があったと思います」

 

 「気がついた時にはダグラスは地に臥し、拝郷さんは台の裏へと降りていました。状況を理解するまで時間がかかりました」

 「私は…とんでもない過ちを犯したと思っています」

 靈が告げると、石丸は湯呑みを置いた。

 「いいえ。拝郷さんに気付かされました」


 靈が石丸の次の言葉に身構えていると、若菜が石丸に聞いた。

 「何に気づかれたのですか?」

 「拝郷さんは一貫して、私に暴力で物事を解決することの愚かさを教えてくれました。その拝郷さんが怒りに任せて誰かを傷つけるはずがない。ましてや人を殺めるなんて、あり得ない」

 

 靈は石丸が靈を擁護していると言うよりも、自分の考えに正当性を持たせている様に聞こえた。

 「誰かを…何かを守る為に、ダグラスを処刑したんですよね?」

 靈は改めて問われて、自分の感情を表す表現を再び見失っていた。


 「その通りです」

 若菜が靈の代わりに答えた。

 「無理に止める事も、放っておくことも出来たはずです。師匠が悪政の象徴であるダグラス石橋を、敢えて日本刀で斬る事によって、ある種日本人全員に問いかけるきっかけになったと私は思います」

 石丸は若菜の発言に深く頷いた。


 「私は拝郷さんが去られてから、神社の榊原さんに事情を話し、若菜さんと同じ意見に達しました」

 石丸は壁にかけられた真剣に目をやり、話を続けた。

 「私はあの後、大正義の者達を引き連れ、大手放送局の幹部を拘束して回りました。今やオールドメディアは利権に都合の良い偏向報道しかしない洗脳システムである事は明らかであり、今回の一件が正しく国民に伝わらない可能性を懸念してのことです」

 靈は自分の行いが悪い方向へ人々を扇動してしまったのではないかと、頭を抱えた。

 

 「拝郷さん、私はあなたがダグラスを倒した時、もちろん迷いはありましたが、心が晴れる思いでした。ああ、これでようやく生きやすくなるのかも知れないと」

 靈は石丸を直視できなかった。

 「あの処刑が正しかったとは言いません。ですが私は第一に息子のことを思いました。拝郷さんの行いは、後世に残す形がこれで良いのかと問いかけている様に思えました。先人達が残してくれた礼という形を教わった手前、我々が残す形がこの今ある日本の惨状であって良いはずがない。私は私の手をいくら汚す事になろうと、息子の、後世の未来を守るつもりです」

 石丸の意志は固い。靈はそれを恐れていた。

 

 「私は確かに、あの時體が動いた時に、頭の片隅ではこうなってしまうことは分かっていました」

 靈は視線を落としたまま続けた。

 「私は義の扱いには注意を払っていたつもりでした。人は正義という免罪符を盾に、幾らでも残虐になってしまう。自分は正しいと思うことで、加虐に歯止めが効かなくなってしまう事を、私は何処かで理解していた」

 石丸は小さく頷きながら聞いている。

 「悪が蔓延るなら、正当な裁きを受けさせるべきだと思っていました」

 「師匠は本当は分かっていたんですね…司法が機能していない今、悪政を正す方法が他に無いことを」

 靈はきゃるんや若菜、石丸に手解きをした道場を眺めた。

 「私は罪を償うつもりで出頭しました。奇しくも自分自身でそれを証明する事になってしまいました。誰かが正さなければならなかった。私である必要はなかった。しかし私は、傍観者でしかなかった私が、当事者意識のないまま石丸さんにどうこう言える立場ではないのではないかと、どこかで感じていたのだと思います」

 石丸はじっと靈を見つめた。

 「拝郷さん…そこまで…」

 靈は石丸と若菜に目をやった後、呟いた。

 「道場の看板を下ろそうと思います」

 奥の間に深い沈黙が流れた。

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