表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壱億総抜刀  作者: るふな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
42/55

第42話 「間に立つ者」

対話の場が再開したのは、きゃるんが亡くなって十日が経った週の木曜日だった。

 石丸が段取りをした。場所は前回と同じ集会所だ。来る人間の顔ぶれも、ほぼ同じだ。ただ、きゃるんの件があった後だということは、全員が知っている。

 靈は集会所に向かう前に、道場で型を一度通した。

 今夜の場が、前回より難しいことはわかっていた。怒りが残っている。きゃるんが死んで川口が荒れた後、時間が少し経ったことで、怒りは薄れていない。ただ、行き場を失い始めている。行き場を失った怒りが、対話の場にどう出るかは、予測できない。

 型を終えて、木刀を帯に差した。


 集会所に着いたのは、開始の十五分前だった。

 すでに数名が来ていた。石丸が端のパイプ椅子に座っていた。靈を見て、小さく頭を下げた。

 靈は石丸の隣に立った。

「来てくれてよかったです」石丸は言った。「今夜は、どうなるかわからない」

「そうですね」

「きゃるんさんのことを、知っている人間が今夜の場には複数います。前回より、話が出やすい状態です。ただ、その話がどこに向かうかが」

「読めない」

「読めません」石丸は続けた。「私自身も、今夜どう動くかが、まだわかっていません」

 靈は石丸を見た。

「それでいいと思います」靈は言った。「今夜どう動くかがわかっている状態で来るより、わからないまま来て、場を見てから判断する方が、今夜の場には合っています」


 開始の時間になって、全員が集まった。

 前回より二名多い。自警団側が九人、市民グループが十人。

 靈は壁際に立った。今夜も、木刀を帯に差したまま、構えない。ただ、そこにいる。

 場が始まった。

 最初に口を開いたのは、自警団側の最初から来ていた男だった。

「今日来るかどうか、迷いました」男は言った。「きゃるんさんのことがあって、正直、こういう場で話している場合じゃないと思っていた」

「なぜ来たんですか」市民グループの女性が聞いた。

「石丸さんから、来てほしいと言われたので」男は石丸を見た。「あなたも来ているということは、何か理由があると思って」

 石丸が少し前に身を乗り出した。

「来てもらいたかったのは、きゃるんさんのことを、ここで話せると思ったからです」石丸は続けた。「きゃるんさんは、ここに来ていた。この場のことを知っていた」

「知っていたんですか」別の男が言った。

「来ていました。見学者として、この場を見ていた」


 場が少し静かになった。

 きゃるんがここにいた、という事実が、場に入ってきた。

「どういう人でしたか」市民グループの若い男が聞いた。

「叢雲で仕事をしていた」石丸は答えた。「川口の情報を整理する仕事です。対話の場を見ていたのも、仕事の一部でした。ただ、仕事だけではなかったと思います」

「仕事だけではなかったとは」

「あの夜、叢雲の仕事として動いていたわけではなかった」石丸は続けた。「通りかかって、見て、動いた。それが、きゃるんさんのやり方でした」

「どうして、そういうことができたんですか」自警団の男が言った。「普通、怖くて動けないでしょう」


 靈は壁際で、その問いを聞いた。

 どうして動けたのか。

 靈には、答えがある。ただ、今まで対話の場でその答えを出したことはなかった。

 靈は一歩前に出た。

 場が靈を見た。

「少し話してもいいですか」靈は言った。

 石丸が靈を見た。

「どうぞ」


「きゃるんは、私の弟子でした」

 場が静かになった。

「礼の作法と、木刀の持ち方と、立ち方を教えました。それだけです。武器の使い方は教えていない。攻撃の仕方も教えていない」靈は続けた。「ただ、最後まで礼の稽古を続けていました」

「礼が、動くことに繋がるんですか」自警団の男が首を傾げた。

「礼は、首の後ろをさらすことです」靈は答えた。「急所をさらすことで、相手に信頼を示す。怖くても、さらす。それが礼の意味です」

「怖くても、さらす」男は繰り返した。

「あの夜、きゃるんは怖かったはずです。それでも動いた。礼を続けてきた人間の動き方として、矛盾していない。怖くても動くことを、体が知っていたのかもしれない」


 場が静かだった。

 市民グループの女性が、少し間を置いてから言った。

「礼って、武道の礼のことですか」

「そうです」

「それを学んでいたから、動けたということですか」

「それだけが理由ではないと思います」靈は答えた。「きゃるん自身が、そういう人間だった。ただ、稽古が、その判断を支えた可能性がある」

「動ける状態を、稽古で作っていた」

「そうかもしれません」

 自警団の男が言った。

「道場主さんは、今夜ここで何かを教えようとしていますか」

「教えようとしているのではありません」靈は答えた。「きゃるんのことを、聞かれたので、話しました」

「それだけですか」

「それだけです」


 しばらく、場が動かなかった。

 石丸が口を開いた。

「私は、きゃるんさんが動いたことを、最初は受け入れられなかった」石丸は続けた。「若い子が、なぜそういう場面に行くんだと。もっと安全な場所にいればよかったと」

「今は」男が重い口調で問う。

「今も、そう思う部分があります」石丸は答えた。「ただ、きゃるんさんが動かなければ、助けられた女性がいた。その事実は変わらない」

「動いたことは、正しかったんですか」

「正しかったかどうかは、私には判断できません」石丸は続けた。「ただ、動いたことは、きゃるんさんの判断でした。私の息子が傷ついた夜、誰も動かなかった。そのことと、きゃるんさんが動いたことが、私の中で並んでいます」


 市民グループの女性が言った。

「誰かが動ける状態にいることが、大事なんですか。動くかどうかより、動ける状態にいることが」

「そう思っています」靈は答えた。

「どうすれば、動ける状態になりますか」

「いろいろな方法があります」靈は続けた。「私が教えているのは、その一つです。ただ、稽古だけが方法ではない。今夜この場に来ていることも、動ける状態に向かっていることの一つだと思っています」

「対話の場に来ることが、稽古と同じということですか」

「近い部分があります」靈は答えた。「自分の癖を知ること、判断の前に場を見ること、怒りを下段に抑えること。稽古でやることと、対話の場でやることが重なっています」


 場が少し動いた。

 自警団の男が言った。

「私が今夜ここに来たのは、何かをしなければという焦りがあったからです。きゃるんさんが死んで、川口が荒れて、ただ怒っているだけではいけないと思った。ただ、何をすればいいかが、わからなかった」

「来ることが、その何かになっていますか」市民グループの女性が聞いた。

「なっているかどうかは、まだわかりません」男は答えた。「ただ、来たことで、少し違う気がします。怒りがなくなったわけではない。ただ、怒りをどこに向けるかが、少し見えてきた気がする」

「どこに向けますか」

「わからない。ただ、人に向けることではないと思い始めています」男は続けた。「きゃるんさんが動いた理由が、怒りではなかったとしたら。怒りで動いた私たちと、怒りではなく動いたきゃるんさんの違いは、何だったんだろうと」


 靈は壁際に戻った。

 話が続いた。

 きゃるんの話が出ることで、場の質が変わっていた。前回の対話は、自警団と市民グループの間にある溝を少しずつ確認していく場だった。今夜は、きゃるんという一人の人間を通して、全員が同じ方向を向いている瞬間があった。

 「一点を見る」という言葉が、弓道の稽古にある。標的の一点を見ることで、体が自然に向くべき方向を向く。今夜の場で、きゃるんという一点が、全員の向きを少し揃えた。


 場の終わりに、自警団の男が言った。

「来週また来ます。ただ、一つお願いがあります」

「なんですか」靈は聞いた。

「きゃるんさんの話を、もう少し聞かせてもらえますか。今夜聞いた話だけでは、まだよくわからないことがある」

「来週、石丸さんが話せると思います」靈は石丸を見た。

「話します」石丸はうなずいた。「私が知っていることを、話します」

「道場主さんも、話してもらえますか」男は靈を見た。

「来週、話します」靈は答えた。


 集会所を出て、靈は石丸の隣に並んで歩いた。

 しばらく、二人とも何も言わなかった。

「今夜、きゃるんさんのことを話しましたね」石丸が言った。

「話しました」

「聞いていて、どうでしたか」

「まだ、整理できていません」靈は正直に言った。「話しながら、きゃるんの顔が出てきた。ただ、出てきても、話し続けることはできました」

「それが、今夜話してよかった理由ですか」

「そうかもしれません」靈は続けた。「話すことで、きゃるんがその場にいた。今夜の場に、きゃるんが少しいた気がします」

 石丸は少し間を置いた。

「間に立つ者、という言葉があります」石丸は言った。「生きている者と、亡くなった者の間に立って、両方の声を伝える者です。神職の役割の一つです」

「雨森さんが、神職の資格を持っています」

「知っています」石丸は続けた。「ただ、今夜の道場主さんは、それに近いことをしていた気がします」

「私は神職ではありません」

「そうです」石丸は言った。「ただ、きゃるんさんの声を、今夜の場に届けた。それは、何かの役割を果たしていた」


 道場に戻ったのは、夜の十時過ぎだった。

 板の間に入って、木刀を壁に戻した。

 一本だけ、そこにある。

 靈は板の間の中央に立った。

 今夜、きゃるんのことを話した。対話の場で初めて話した。話しながら、きゃるんの顔が出てきた。出てきたまま、話し続けた。

 泣かなかった。泣きたいという感覚も、なかった。ただ、重かった。話すことで、重さが少し違う形になった。

 石丸が言っていた。間に立つ者。

 靈は神職でも、霊媒でもない。ただ、今夜きゃるんのことを話すことで、きゃるんがその場にいた感覚があった。

 それが正しいかどうかは、靈にはわからない。

 ただ、話してよかったと思っていた。


 雨森から連絡が来た。

「今夜の場の様子、石丸さんから聞きました。きゃるんさんのことを話したそうですね」

「話しました」

「よかったです」雨森は続けた。「私も、きゃるんさんのことを、別の場で話す機会を作りたいと思っています。神社で、私が神職として何かをできないかを、榊原さんと相談しています」

「何を考えていますか」

「きゃるんさんのための、小さな祭事です。葬儀がなかった。ただ、神社という場所で、もう一度場を作ることができるかもしれない」

 靈は少し間を置いた。

「きゃるんが喜ぶかどうかはわかりません」靈は返信した。「ただ、その場が、川口で続けていくことの形になると思います」

「そう思っています」雨森の返信が来た。「来週、榊原さんと詳細を詰めます。拝郷さんにも参加してほしい」

「参加します」


 靈は型を始めた。

 今夜は、丁寧にやった。一つ一つの所作を、確かめるように。

 最初の所作。重心を落とし、三呼吸待つ。

 三呼吸の間、靈は今夜の場を思い返した。

 きゃるんのことを話した。場に届いた。自警団の男が、怒りをどこに向けるかが見えてきたと言った。

 きゃるんが死んで、川口が荒れた。まとまりかけていたものが散った。ただ、今夜、また少し集まり始めた。

 きゃるんが死んだことで散ったものが、きゃるんのことを話すことで、また集まり始めた。

 それが、きゃるんが今夜の場にいた、という感覚の意味かもしれない。


 型を終えた。

 木刀を壁に戻した。

 板の間に正座した。

 道場に礼をした。

 今夜への報告として。きゃるんのことを、初めて対話の場で話したことへの、報告として。

 礼から戻した。

 窓の外に、川口の夜があった。

 来週、若菜が来る。稽古を続ける。

 来週、石丸がきゃるんのことを対話の場で話す。

 来週、雨森が榊原と祭事の話をする。

 全部が続いている。

 欠けた形は、まだそこにある。ただ、欠けた形の周りに、続いていくものが集まっている。

 それが今夜見えたことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ