表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壱億総抜刀  作者: るふな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
34/55

第34話 「榊原の決断」

翌日の朝、雨森から短いメッセージが来た。

「今日、榊原さんに会いに行きます。健一さんから話は通してもらいましたが、直接伺う必要があると思っています」

 靈は返信した。

「同席しますか」

「今回は一人で行きます。叢雲を出たことを、私自身の言葉で伝えたい」

「わかりました」

 靈はスマートフォンを置いて、朝の型を続けた。

 零の型を通しながら、榊原と雨森が向かい合う場面を少し想像した。榊原がどう受け取るか、靈には予測できなかった。ただ、雨森が一人で行くと決めたことが、正しい判断だと思った。


 午後、健一からメッセージが来た。

「雨森さんが神社に来ています。父と話しています。私は離れた場所にいます」

「様子は」

「二人とも、落ち着いています。父が何か聞いていて、雨森さんが答えている。そういう流れが続いています」

 靈は了解と返信して、板の間で本を読んだ。

 「古事記 現代語訳」の、スサノオが出雲で根を張る場面だ。追放された後、出雲で家を作り、妻を娶り、子をもうける。英雄の行為の後に来る、定住の話。

 英雄になることと、その場所に留まることは、続いている。


 夕方、雨森から電話が来た。

「榊原さんと話しました。報告させてください。今日伺ってもいいですか」

「どうぞ」

 一時間後、雨森が道場に来た。

 引き戸の前で礼をしてから入ってきた。昨日、条件を決めてから一日も経っていないが、自然な動作だった。

 板の間に座って、靈が茶を置くと、両手で受け取った。

「榊原さんに、叢雲を出たことを話しました」

「どう受け取りましたか」

「驚いた顔はしませんでした」雨森は茶碗を持ったまま続けた。「健一さんから聞いていたからかもしれない。ただ、じっくりと聞いてくれました。なぜ出たのか、今後どうするのかを、順番に聞いてきた」

「何を一番長く聞きましたか」

「神社をどう守るつもりか、という話です」


「叢雲の権限がなくなった分、神社の周辺警備が薄くなることを、榊原さんは正確に理解していました」雨森は続けた。「ただ、そこから先の話が、私の予想と違う方向に進みました」

「どういう方向ですか」

「榊原さんが、一つだけ聞いてきました」雨森は茶碗を置いた。「あなたは、神職の資格を今も持っていますか、と」

 靈は少し止まった。

「持っていると答えましたか」

「持っています、と答えました」雨森は靈を見た。「廃社になった後も、資格は維持していました。更新の手続きを、毎年続けていた。なぜ続けていたのかは、自分でも明確な理由がなかった。ただ、手放す気になれなかった」

「榊原さんは、何と言いましたか」


 雨森は少し間を置いた。

「榊原さんの表情が変わりました。驚き、というより、何かが決まった顔でした」雨森は続けた。「それから、こう言いました。八雲神社に、来てもらえないか、と」

「来てもらえないか、とは」

「常駐ではありません。ただ、必要なときに神職として関わってほしい、という意味です」雨森は手を膝の上で組んだ。「榊原さん自身は氏子総代であり、神社の管理者です。ただ、神職ではない。神事を執り行うためには、神職の資格を持つ人間が必要な場面がある。これまでは、他の神社から来てもらっていたそうです」

「それを、あなたに頼みたいと」

「そうです」


 靈はしばらく、板の間を見た。

 廃社になった神社の元宮司が、別の神社に関わる。資格を手放さなかったことが、ここで繋がった。

「受けるつもりですか」

「受けると答えました」雨森は顔を上げた。「叢雲を出て、次の場所を探していた。次の場所が、今日見つかりました」

「今日一日で、決めたんですか」

「榊原さんに聞かれた瞬間に、決まりました」雨森は続けた。「廃社になったとき、神社を守れなかった。その後悔が、ずっとありました。別の神社で、別の形で関わることを、抵抗があって考えてこなかった。ただ、今日榊原さんに聞かれたとき、その抵抗が、理由のない抵抗だったことがわかりました」

「理由のない抵抗とは」

「廃社になった神社への義理を、別の神社に関わることが裏切るような感覚がありました。ただ、廃社になった神社が守ろうとしていたものを、別の場所で守ることは、裏切りではない。榊原さんの顔を見て、そう思いました」


 靈は茶を一口飲んだ。

「榊原さんは、なぜあなたが神職の資格を持っているかもしれないと、思ったんですか」

「聞きました」雨森は少し表情を動かした。「榊原さんは、あなたから聞いた、と言っていました」

「私から」靈は少し止まった。「確かに、叢雲に入る前に神職をしていたと、話した覚えがあります。廃社になったことも」

「それを榊原さんは、ずっと覚えていた。今日、私が来ると聞いて、聞いてみようと思ったそうです」

 靈は少し考えた。

 榊原が、雨森の来訪を聞いて、神職の資格の話を聞こうと準備していた。健一が父に話を通した。父は聞いていた。

 繋がっていた。


「一つ聞いてもいいですか」靈は雨森を見た。

「なんですか」

「廃社になった神社のことを、今後どう思っていくつもりですか」

 雨森はしばらく考えた。

「廃社になったことは、変わりません」雨森は静かに言った。「ただ、廃社になった理由を、変えることはできます」

「理由を変える、とはどういう意味ですか」

「廃社になったのは、氏子が減ったからです。氏子が減ったのは、街が変わったからです。街が変わることを止められなかった」雨森は続けた。「ただ、今の川口で起きていることを見ていると、街が変わる方向が、また変わろうとしている。その変化の中で、八雲神社が残ることに関わることができれば、廃社になった神社が失ったものの一部を、別の形で残せるかもしれない」

「それは、代替ではなく継続ですね」

「そう思っています」


 夜になって、石丸から連絡が来た。

「川口南部の状況を確認しました。今週は、自警団の動きが少し落ち着いています。帰化議員の追跡スレッドに参加していた人間の一部が、今日は動いていない」

「理由は」

「空港の件が報道されてから、動き方を考え直している人間が出てきているようです。逃げようとして記録が残った、という事実が、SNS上での議論の方向を変えています。追いかけることより、記録を集めることに力を入れようという流れが生まれています」

「靈さんが昨夜言った言葉が、広がっているということですか」

「正確には、昨夜あの場にいた人間の何人かが、同じ内容をSNSに書いたようです。それが拡散しています」

 靈は少し間を置いた。

「私が言ったことを、その場にいた人間が広めた」

「そうなります」石丸は続けた。「これは、止め方が見えなかった動きの、方向が変わった場面だと思います」


 きゃるんから夜にメッセージが来た。

「師匠、今日のSNSで面白いことが起きています」

「なんですか」

「帰化議員の追跡スレッドが、追跡から記録に変わり始めています。議員を追いかけるのではなく、議員の行動と文書の内容を照合して、証拠として保存しようという動きです。昨夜師匠が言ったことと、同じ方向です」

「あなたはどう思いますか」

「いい変化だと思います」しばらくして返信が来た。「追いかけることは、怖かった。記録することは、怖くない。同じ怒りが、違う形になっています」

「怒りの形が変わった」

「はい」もう一つ返信が来た。「師匠、雨森さんが神社に関わることになったって、健一さんから聞きました。本当ですか」

「本人から聞きましたか」

「聞いていません。健一さん経由です」

「本当です」

 少し間があって返信が来た。

「なんか、いろいろなことが繋がっていますね」

「そうかもしれません」

「師匠が言っていた、繋ぐ役割って、こういうことですか」

 靈は少し考えてから返信した。

「こういうことかもしれません。ただ、意図してやっていたわけではありません」

「意図してないのに繋がるのが、師匠らしいです」


 夜遅く、倉敷から連絡が来た。

「川口の状況を、三田先生と一緒に聞いていました。SNSの動きの変化について、先生が一つ言いました」

「なんと」

「怒りが力になるとき、力の形が問われる、と。追いかけることと記録することは、同じ怒りから来ているが、力の使い方が違う。使い方が変わったことは、方向が変わったことではない。ただ、方向は変わらなくても、結果が変わる可能性がある、と」

「三田さんは、今の状況をどう見ていますか」

「始まりだと見ています」倉敷から返信が来た。「ただ、先生が付け加えました。始まりを始まりのままにしておくためには、形を守ることが必要だ、と。何かが始まったとき、形のないものはすぐに別のものになる。形があるものは、時間をかけて育つ」

「形を守ること」靈は返信した。「今日、雨森さんが八雲神社に関わることになりました。神職として」

 しばらくして返信が来た。

「それを三田先生に伝えました。先生は、それが形の一つになるかもしれないと言っています」


 靈は板の間に立った。

 今日起きたことを整理した。

 雨森が榊原に会った。榊原が神職の資格を聞いた。雨森が八雲神社に関わることを決めた。SNSの動きが変化し始めた。石丸が南部の状況を報告した。きゃるんが変化を確認した。

 全部が、繋がっているわけではない。ただ、無関係でもない。

 木刀を手に取った。

 型を始める前に、道場に礼をした。

 今日も、道場はここにあった。それが報告だ。

 礼から戻して、型を始めた。

 摺り足で板の間を移動しながら、靈は一つのことを確認した。

 今日、誰かが次の場所を見つけた。雨森が八雲神社に関わることを決めた。それは小さいことだ。ただ、小さいことが積み重なることで、形になる。

 型を終えた。

 木刀を壁に戻した。

 板の間の隅の真剣を見た。

 今夜も、触れなかった。

 ただ、今夜の真剣は、以前より少し違って見えた。守るべきものが増えたからかもしれない。守るべきものが増えることで、最後の手段の重さも変わる。

 靈は正座した。

 窓の外に、川口の夜が広がっていた。

 文書の波紋は、まだ続いている。帰化議員の追跡は、記録へと形を変え始めた。自警団の動きは少し落ち着いた。ただ、これは終わりではない。

 零の状態でいる。始まる前の、全部の可能性がある場所。

 ただ、今夜の零には、昨日より多くのものが入っていた。

 四人が礼をして道場に入ってきた。雨森が次の場所を見つけた。榊原が決断した。きゃるんが続けることを選んだ。健一がシステムを作ると言った。

 それぞれが、それぞれの場所に根を張り始めている。

 靈は目を閉じた。

 明日も、道場はここにある。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ