14
「私にも……メルディアを封じることが、できる……?」
「……封じられるかどうかまでは、まだ言い切れない。それでも、もし初代の力だけで殺しきれなかった時のために、試しておく価値はある」
フェルは再び、懐から初代の髪飾りを取り出す。
「封印の力は、共鳴し合う。僕の魔力を通して、初代の力を君の力に触れさせれば……眠っている力を、呼び起こせるかもしれない」
そう言うと、手にした髪飾りを私の耳の後ろへそっと近づけた。
(まだろくに整えてもいない髪のそばに、飾るみたいに寄せられるのは……少し、恥ずかしいわね)
前にこの髪飾りを着けられた時は、まだ初代のものだと知らなかった。
いまは、フェルにとっても大事なものだとわかったからか、変に意識してしまう。
少しして、耳の後ろがじわりと温かくなった。
一拍遅れて、澄んだ水のような流れが、頭から首筋にかけてゆるやかに巡っていく。
やがてそれは胸の奥まで届き、私のなかで眠っていたなにかに、そっと触れる。
どくん、と。
強い鼓動がひとつ、内側から返ってきた。
「……っ」
思わずぎゅっと目をつむる。
自分のなかで、なにかが目を覚ました気がした。
苦しいわけではないのに、身体の芯が押し広げられるようで落ち着かない。
(なんだか……変な感じね)
ゆっくりと、深呼吸をしてみる。
それでも、妙な違和感は消えなかった。
「どうだい? エステア」
フェルに呼びかけられ、薄く目を開く。
「ん……よくわからないわ。確かに、さっきまでは感じなかったなにかが、自分のなかにある気はするのだけれど……」
「……眠っていた力は、確かに表に出てきている。でも、思いどおりに使えるとか、そういうわけではないみたいだね」
そのまま、髪飾りを耳元から離して自分の懐に戻す。
「その力を、どうすれば扱えるようになるか……僕にもわからない。未知の力に頼るよりは、当初の狙いどおり――鏡から移した初代の力で、メルディアを殺しきれるか試そう」
「試すって……どうするつもり?」
フェルはゆっくりと立ち上がる。
「できれば、定例の儀が始まるよりも前になんとかしたい。追い詰めすぎると、彼女は災いの病を振り撒くからね。幸い、この時間ならひとりで王城の離れにいる。――そこを狙う」
「王城の……離れ……」
第二王子の婚約者とはいえ、私が王城に行くことは滅多にない。
王族の私的な離れなら、なおさらだ。
そんな場所に彼女が――災いが入り込んでいたことに、動揺を隠せなかった。
「マルクが出ている打ち合わせが終わると、王子様が離れにやってくる。いまならまだ間に合うから、一度行ってみようか」
「行ってみようか、って……」
言葉どおり、ちょっと行ってみるくらいの軽い言いかたに、嫌な汗が出てくる。
最悪、自分から死にに行くようなものだ。
心の準備なんて、全然できていない。
(でも、ここで立ち止まっていても……仕方がないものね)
私は小さく息を吸って、頷いた。
「……わかったわ。支度するから、少し待ってちょうだい」
◇ ◇ ◇
大神殿を出て門を抜け、王城のほうへ向かう。
フェルのように気配を消して忍び込むことは、私にはできない。
だから、聖女であり第二王子の婚約者でもある立場を使って、正面から王城の敷地へ入ることにした。
定例の儀の前に、セオドリク殿下へ直接確認したいことがある。
大神殿にいなかったので、王城に戻っているかもしれないと聞いたのだと、門番の兵たちには説明した。
フェルを連れていたせいもあってか、兵たちには訝しげな目を向けられた。
それでもどうにか王城の門をくぐり、少し進んだところで、すぐそばのフェルが小さく言った。
「メルディアのいる離れは、こっちだよ。奥のほうにある」
彼に導かれるまま進むと、やがて人気の少ない庭園に出た。
普段の私なら、足を踏み入れることもない場所だ。
少し先には、白い壁の小さな建物があった。
蔦が絡み、窓辺では薄い布が揺れている。
一見すると、ただ誰かが休むための穏やかな場所に思えた。
けれど、あのなかにいるのは――大いなる災いの一部、メルディアだ。
そう考えた途端、背筋に冷たいものが走った。
「あの離れには、結界が張られている。そのまま入ろうとしても、弾かれるんだ」
「……じゃあ、入れないの?」
答える代わりに、フェルは懐から初代の髪飾りを取り出した。
「メルディアがこの髪飾りに反応した後……朝に一度、これを持ってここに来たんだ。思ったとおり、初代の力で結界は解けた」
朝に一度――その言葉で、フェルが部屋の外にいなかった時のことを思い出す。
まだ彼が私を助けてくれていたことを知らなかったから、あの時はずいぶん怪しんで探し回ったっけ。
「結界を解いたこと自体は気づかれなかったみたいでね。扉を少し開けて、なかも覗いた。……人の形を解いた彼女の、本来の姿を見たよ。隙がなくて、その場ではとても手を出せそうになかった。髪飾りに残っていた力だけじゃ、心許なくてさ」
フェルは、手のなかの髪飾りをくるりと回す。
「でもいまは、鏡から移した力もある。まずは不意打ちから試してみよう。僕が気配を消して近づいてみる。もし上手くいかなくて、巻き戻ったら……また髪飾りを取ってきてから、君の部屋を訪ねるよ」
「待って、フェル。不意打ちなら……封印の力が使えなくても、私がメルディアの気を引くほうがいいんじゃないかしら? 私に触られるの、嫌みたいだし」
「うーん……それは次の手にしよう。後回しにするぶん、君には苦しい思いをさせてしまうけれど……まずは、僕だけでどこまでやれるか見ておきたいんだ」
「……わかったわ。今回は、大人しくしておく」
フェルが離れへ向かって歩き出し、私は少し遅れてその後を追った。
近づくにつれ、空気がわずかに重くなっていく。
(これがメルディアの結界……なのかしら)
先に離れの扉へたどり着いたフェルは、手にした髪飾りを扉の前へかざしていた。
少しして、ぴしり、と薄いガラスにひびが入るような音がする。
空気がふっと、軽くなった。
「これで入れる。……君はここにいて」
フェルは離れの扉に手をかけ、わずかに開く。
隙間から、なかの様子が少しだけ見えた。
最初に目に入ったのは、褪せた金の髪と、乳白色の衣をまとった肩だった。
それだけなら、確かにメルディアだと思えた。
けれど、その身体は人のものではなかった。
底のない穴みたいに真っ黒いものが、かろうじて人の輪郭を保つようにうごめいていた。
「っ……!」
とっさに口元を押さえた。
悲鳴をあげなかったのは、奇跡みたいなものだった。
その時、前にいたはずのフェルの姿が、いつのまにか消えていることに気づく。
慌てて離れのなかへ視線を戻すと、彼はもうメルディアのすぐ背後にいた。
手にした髪飾りの細い銀の軸を、その背中へ勢いよく突き立てる。
「――ァ」
耳障りな音がした。
悲鳴のような、ガラスや金属が擦れた時のような、聞いただけで頭の奥が痛くなる音だった。
褪せた金の髪がずるりと剥がれ落ち、乳白色の衣の下で黒い身体が大きく震える。
軸が突き立った場所から、銀白の光がじわりと広がった。
(効いている……!)
定例の儀の時とは明らかに違う。
あの時は、傷口から黒いもやがにじんだだけだった。
銀白の光に焼かれるように、黒い輪郭が崩れていく。
このまま、いけるんじゃないか。
そう思った――次の瞬間だった。
崩れかけていた黒がぶわりと膨れ上がり、フェルの腕へ絡みつく。
彼は構わず、髪飾りの軸をさらに深く押し込もうとする。
けれど、腕にまとわりついた黒は、肩から胸元へ一気に広がっていった。
「フェル!」
突き立てた軸を抜くことも、手を離すことももうできなくなっているのだろう。
彼の顔が、みるみる苦痛に歪んでいく。
気づいた時には、扉を押し開けて離れのなかに入っていた。
助けられるはずもないのに、足が勝手に動いていた。
見ているだけなんて、できなかった。
(私のなかにある、封印の力……お願いだから、動いてよ……っ!)
さっき確かに、自分のなかで目覚めたはずのものへ、必死に意識を向ける。
それでも、なにも起こらなかった。
「エステア! 来るな!」
フェルが叫ぶ。
彼に絡みついていた黒が、私めがけて一気に伸びた。
「……きゃあっ!?」
胸の奥に、焼けるような痛みが走る。
息が詰まり、足がもつれて床に転がった。
倒れ込んだまま、激しく咳き込む。
(また……災いの病……)
どうせ死ぬなら、せめてフェルを助けられればよかったのに。
そんなことを思っても、巻き戻るのだからなにも意味はないのだけれど。
なぜだか、彼のことになると冷静に考えられなくなる。
(恩とか、申し訳なさとか……そういうものなのかしら)
答えの出ないまま、私の意識は途切れた。




