崩壊
暗いお話です
ぜひお読みくださいませ
義尚の異動先は今の居住地からかなり離れたところにあるため引っ越しをする必要があり、その準備を始めていた。
10年間住み続けた家から離れる、ということは一般的にはなかなか胸にこみ上げてくるものがあるだろう。しかしほとんど帰ってくることのなかったこの家には壁には絵の類もなに一つかかっておらず荷物もほんの少し無造作に散らかっているだけだった。まさにこの家に対する自分の気持ちを表現しているようであった。
明後日には立たねばならない。そう考えては見るもののこれといって感じるものもなく、面倒な荷造りのついでに荷物の整理を始めた。
義尚には趣味がなかった。というよりは戦時中のこのご時世である、そんなものを持つ時間も余裕もなくあるとすれば訓練の後の食事と風呂が最大の楽しみであった。そんな彼の荷物の整理に時間がかかるわけもなく最後の引き出しを残すのみとなってしまった。引き出しには見覚えのない写真と数十枚の便箋がはいっており、不気味ではあったが退屈をしのげるのならなんでもいい、と言う思いから便箋を読みふけるのであった。
陽がくれて真暗な時間が訪れる。彼の心と同じように。
写真を見たときには気づかなかったが便箋を読み進めるうちに思い出した。これはかつて戦場で死人から持ち去った紙切れだと思っていた「なにか」である。これまで自らの幸福のために生きていた彼の心を黒く染め上げる墨となるのは時間の問題だった。写真には妻と思しき女性と幸せそうに写る兵士の姿があった。彼はこの時再び世界の理を知ったのだ。
「人の幸せは他者の不幸の上に成り立っている」
同封されていた便箋を読みたくはなかった。すでに胸が苦しく痛みとてつもない後悔にかりたたされていた。しかし読まなければならない。彼のなにがそう思わせたのかはわからない。だが幸せを享受するためには必要だと思ったのだろう。
手紙は女性が兵士に宛てたものであった。無事に帰ってきて欲しいという願い、平和だった日々の思い出、そして女性が兵士の子を身籠っているということ。これらを読むうちに兵士が優しい男だったことを感じ取ると同時に知ってしまったのだ。この女性とその子から大きくて優しい男をこの手で奪ったということを。人を殺すことがどういうことかわかっているつもりであったがそれは自らの気休めのために生み出した幻想に過ぎなかったようだ。
彼は戦うことが嫌になった。そして人を殺した己を裁きたいとも思った。しかし死への恐怖は考えれば考えるほどに増していき償いもなに一つすることのできない自分やこんなことが平気で起こる世界に絶望した。
彼は闇に呑まれていった。
夜は明けたのに空は黒い雨雲が立ち込めていて光が届かなかった。
つづく




