月を切り裂く嵐
カン——
クラウディアの刃が空気を切り裂く。速く、正確に。
だがアベルは動かない。
剣が首の数センチ手前まで迫った瞬間、彼はわずかに首を傾けた。刃は髪の毛一筋の距離で彼をかすめて外れる。
クラウディアの目が見開かれる。
遅い。
その思考は本能的に浮かび、彼女自身を苛立たせた。
カン!
剣と剣が衝突する。しかしアベルの一撃に込められた力は彼女の腕に衝撃を走らせ、一歩後退させた。
「……何?」
彼女の握力が強まる。
普通じゃない。夢の中ですら、こんな動きをする相手はいなかった。こんな反応はしない。
これは単なる技術じゃない。本能——恐ろしく研ぎ澄まされた本能だ。
アベルは彼女を静かに見ていた。その立ち姿、呼吸、目の鋭さ、そのすべてを観察している。夢の中であっても、クラウディアはクラウディアのままだ。
「予想通りだな」
彼は呟いた。
クラウディアは眉をひそめる。その声……アベルに似ているが、もっと年上で、冷たい。
彼女は躊躇しない。
踏み込む。
カン! カン! カン!
剣戟が繰り返され、その音が虚空に響き続ける。クラウディアの攻撃は無駄がなく致命的。しかしアベルは最小限の動きで全てを捌き、ほとんど力を使っていないように見えた。
無駄な動きはない。隙もない。
クラウディアの速度が上がる。攻撃はより鋭く、より予測不能になる。
それでも——当たらない。
思考が加速する。
どうして届かない?
彼女は途中で動きを変え、斬撃をフェイントにして心臓へ突きを放つ。
アベルは横に一歩ずれる。
カチッ。
刃が逸らされ、その流れのまま彼の剣が彼女の首に軽く触れた。
一撃必殺。
クラウディアは固まる。
「……私が、負けた?」
信じられないという声だった。
彼女は一度も負けたことがない。
アベルは剣をわずかに下ろす。「躊躇している」
彼女は顔を上げる。「躊躇?」
「考えすぎだ。剣は鋭いが、頭が鈍い」
「……意味が分からない」
「分かるさ」彼は静かに言う。「お前は勝つことに慣れている」
沈黙が落ちる。
虚空そのものが重くなったような感覚。
クラウディアは一歩踏み出す。その瞬間、彼女のオーラが立ち上る——冷たく、鋭く、圧迫するように。
「本気を出す理由が今までなかっただけよ」彼女は言う。「今、それをくれてありがとう」
氷が足元に広がり、ひび割れながら外へと伸びていく。
アベルの目がわずかに光る。ようやくか。
[スキル検知:ムーンブレード]
「……新しいな」
アベルが呟いた。
温度が一気に下がる。クラウディアの剣に氷がまとわりつき、淡い青の光が彼女の体を包む。
彼女は息を吐く——
そして消えた。
カン!!!
空中で剣が激突し、爆発的な衝撃波が虚空を揺らす。アベルはわずかに後退し、頬に細い傷が走る。
一滴の血が落ちる。
クラウディアはそれを見つめた。
「……当てた」
信じられない声。
アベルは頬に触れ、血を見てから静かに笑った。「……それでいい」
久しぶりに、彼のマナが漏れ出す。
黒い。重い。圧倒的な気配。
虚空そのものが震えた。
クラウディアの本能が叫ぶ。危険だ。
彼女は跳ぶように後退する。その瞬間、アベルが目の前に現れる。彼女の認識を遥かに超える速度。
カン!
ギリギリで防ぐ。しかし衝撃で地面に叩きつけられ、足元がガラスのように砕ける。
彼女は咳き込みながら体勢を整える。「……何なの……これ……」
夢じゃない。これは夢じゃない。こんな感覚は夢ではありえない。
アベルは彼女の上に立ち、少しの沈黙の後に言う。
「挑戦が欲しかったんだろう?」
彼女の呼吸が止まる。
その声……聞き覚えがある。あまりにも。
目がわずかに見開かれる。「……アベル? 本当にあなた?」
アベルの表情は変わらない。しかし内側で何かが動いた。
気づかれている。
想定外だ。
クラウディアはゆっくり立ち上がる。剣はわずかに震えている。「……あなたは誰?」
虚空が一瞬だけ揺れる。
それは微細だが、確かに起きた変化。
遠く現実世界で、ルシウス・モーニングスターは窓から離れ、眉をひそめる。
「……奇妙だな」
空気中のマナが変わった。一瞬だけだが、確かに感じた。
虚空へ戻る。
アベルは静かに息を吐く。これはまずい。
だが止めない。
彼は再び剣を構える。
「……終わらせろ」
クラウディアは彼を見つめる。心臓が高鳴る。理性は疑い、直感は警告する。それでも——彼女は笑う。
剣を握り直す。「やっと本物っぽくなってきたじゃない」
氷が再び広がる。空間が圧迫される。
二つの存在が向かい合う——真実を隠す者と、それに気づきかける者。
そして動いた。
カン!!!
カン!!!
衝突が響き、クラウディアの剣がアベルに弾かれ、腕に衝撃が走る。その事実だけで十分だった。この相手は普通じゃない。強いだけではなく、制御されている。精密で危険だ。
冷気が剣に集まる。「……なら、手加減はしない」
氷が刃にまとわりつき、オーラが高まる。彼女は踏み込む。その動きは滑らかで、まるで見えない流れに導かれているようだった。
「ルナ・ゲイル・セヴァランス」
剣が弧を描く。一瞬は単純に見える——だが風が追従する。冷たい不可視の力が刃に巻きつき、空気を歪めながら加速する。
カン!
アベルは防ぐ。しかし接触した瞬間、風が彼の防御を抜け、脇腹を切る。細い血の線。冷気が傷に残り、動きをわずかに鈍らせる。
彼は一歩下がる。
『これが彼女の型か』
クラウディアは止まらない。流れるように次の攻撃へ。
カン! カン! カン!
刃が途切れない流れのように動く。アベルは最小限の動きで捌くが、完全ではない。今度は腕に浅い傷。さらにもう一つ。
クラウディアは目を細める。『届いてる……でも足りない』
構えが変わる。流動性が消え、より鋭く、意図的になる。踏み込みを変える。
今度は待つ。
アベルが動く。剣が落ちる。
クラウディアの目が鋭くなる。今。
「ルナ・カタクリズム:シャッター・リバーサル」
カン!
剣が交わり、その瞬間、彼女は精密に三度打ち込む。防御ではない。崩しだ。
アベルの剣が僅かにずれる。
それだけでいい。
クラウディアは踏み込み、全てを込めて次の一撃を放つ。
カン!!!
鋭い亀裂音と共にアベルが押し返される。
「……取った」
だがその言葉は言った瞬間に違和感を持った。
アベルは立っている。圧されてもいない。驚きもない。むしろ——興味。
「……いいな」
空気が変わる。
彼が一歩踏み出し——消えた。
クラウディアの目が見開かれる。速すぎる。
振り返る。
カン!!!
衝撃で剣が弾かれ、地面に叩きつけられる。腕が震える。回復する前に次の一撃。
また一撃。
カン! カン! カン!
一撃ごとに重く、速くなる。後退を強制される。呼吸が乱れる。
『適応している……』
いや——最初から抑えていた。
その事実が最も重い。
彼女は歯を食いしばる。「まだ終わってない——」
言葉が途切れる。
アベルが止まっていた。
剣をわずかに下ろし、静止している。
そして風が集まる。
暴風ではない。圧縮された制御された風。刃に絡み、鋭く研ぎ澄まされる。背後に虎のような気配が形を成し、虚空を震わせる。
クラウディアの体が固まる。
動けない。
「……何それ……」
アベルは剣を上げる。
「テンペスト・アーツ」
風が唸る。
「ホワイトタイガー・スラッシュ」
動いた。
その瞬間、目の前の全てが消えた。音も抵抗もない。ただ一つの絶対的な斬撃。
クラウディアの視界が白く染まる。
彼女は目を見開いたまま息を吸い、現実世界の部屋で目を覚ました。全身が汗で濡れている。心臓が激しく鳴る。
「……何だったの……」
夢にしては、あまりにも現実すぎた。
視線がゆっくりとドアへ向く。
——
廊下に立ちながら、私は独り言を呟く。
「……思っていたよりギリギリだったな」
危険だったのは事実だが、それ以上にクラウディア自身が予想より遥かに強かった。
拳を握る。
認めたくはないが、今のままの俺では、神々の中で最弱にすら勝てないだろう。
自分の部屋へ向かい、ドアを開けて中に入り、後ろで静かに閉めた。




