四
「さて、これから如何いたすか?紗牙様はなんと?」
庭の真ん中で横たわっている鶏冠を、半ば哀れむような顔で見つめながら、爪紅が菖蒲にたずねた。
「知れたことよ、こやつの首持って、倫道のところへ攻め込んでやるわ、そして、歌舞伎者どもを皆殺しよ」
「その役、わしにやらせてはくれぬか?京まで来て何もやらずに帰るでは、皆に示しもつかんのじゃ・・・それに、すべて菖蒲にやらせては、柳に怒られるというもの、年寄りもたまに体を動かさねばな・・・そなたは、何と言うたか、寺の尼僧の方を片付けねばなるまい」
「連翹か・・・あの者など何の力もない・・・放っておいても良いと思うのだが、紗牙様が始末しろとおっしゃるのでな・・・そうせねばなるまい」
そう二匹の妖魔の話が終わるや否や、庭の真ん中より赤き炎が天高く立ち上ると、二首の龍がごとく二つに分かれ、妖魔目掛け部屋の中に飛び込んできた。
二匹は左右に跳び別れかわすものの、何が起こっているのか把握できずにいる。
炎の龍たちも左右に分かれ、二匹を追い続ける。
「小癪な真似を」
自分たちに追いすがる炎を、菖蒲は体中からの覇気を放ち、爪紅は体を回転させ、旋風を起こして退けた。
「どういうことか?」
宙より降りた二人は、顔を見合わせて炎の退いた方に目をやった。
「・・・ば、馬鹿な」
菖蒲は我が目を疑うように、小さく叫んだ。
そこには、先ほどまで体中に傷をつけられ、動くことすら、呼吸さえもままならないまま庭に突っ伏していた鶏冠が、緑の目を爛々と光らせ、仁王のような佇まいで立っていた。
『倫道様と連翹様を手にかけると言うたか!』
地獄の底から沸き上がるような、重苦しい低い声が、二匹の頭の中に直接響いた。
「手にかけると言うたであろう!」
今度は物凄き覇気とともに、鶏冠は声にして尋ねる。
《ドグァ~ムン》
その覇気を受けた二匹は、体がめり込むほどの勢いで、部屋の壁にたたきつけられた。
「う、動けるわけなどないはず、それに、まだあのように体中より血が流れ出しておる、心の臓に、卯津伎の刃も刺さったままよ」
「ば、化け物か・・・」
獣の姿をした者たちが、顔に恐怖の色を見せている。
(これ以上、私の大切な人を殺させはせぬ・・・逃げてはならぬ・・・守るには、殺さねば・・・殺す・・・殺す・・・こいつらを殺したい)
鶏冠の中で、人の感情以外の何かが目覚め始めている。
「心の弱き者ではなかったのか、風呂でも幻覚を見せ、心を弱らせておいたものを・・・卯津伎の裏切りにも心を保っておれるというのか」
目には見えぬが、目の前の者の恐ろしさを肌で感じている菖蒲が、動揺を隠し切れぬ声をあげた。
「狼狽えるではない、どのような者であろうと、我ら二人でかかれば・・・手負いの者なぞ、恐るるに足らぬわ」
自分に言い聞かせるように爪紅は叫ぶと、気を放ち続ける鶏冠の頭上に飛び上がった。
そして、長い両手を左右に広げ駒のように回転し始めると、物凄き大きな竜巻を起こした。
手入れされた庭の植栽や木立は、瞬く間に飲み込まれ、天空へと放り出されていく。
「この竜巻の中で、貴様を八つ裂きにしてくれるわ」
そう言いながら、竜巻を鶏冠目掛け走らせる。
竜巻に飲み込まれ、その勢いであの鉤爪に引き裂かれたら、いくら鶏冠といえども、たまったものではないはず・・・
「これで、仕舞いよ、ウキャエ~イ」
目を見開き、口からよだれを垂らし、奇声を上げながら、竜巻は鶏冠を飲み込んだ。
飲み込んだように見えた。
しかし、その姿は渦の中にはなく、爪紅も手ごたえを感じられない。
「上だ!」
菖蒲が甲高い声を出す。
三十三尺を超えるほどの竜巻のさらに上の宙に、鶏冠は立っていた。
真上を見上げた爪紅の顔が凍りついた。
そこには、殺すことを楽しむような邪悪な笑みを浮かべる赤き髪の者が、
印を組んで呪文を唱えている
「 رماد نار التنين 」
その刹那、鶏冠の両腕より放たれた赤き炎が、爪紅の竜巻に注ぎ込まれると、炎の竜巻を作り上げた。
「うぎゃわあわあ~ん」
物凄き叫び声をあげた爪紅の体は、炎に焼かれ、それでいて、まだ体は旋回を続けさせられ、地に下りることもできず、宙に留まされている。
「私の首を差し出すのではなかったのか?」
鶏冠は残忍な笑みを浮かべながら、旋回を続ける爪紅の頭上現れると、哀れむような皮肉を口にした。
「ウギャギャギャギャギャギャギャ~~~」
火に焼かれ焦げた猿は、もう人の言葉を話せなくなっているのか、奇声だけを上げ、鶏冠目掛け長い腕を振り回すものの、全ては空を切った。
自分では風よりも早く動かしている爪紅の両腕を、いともたやすく鶏冠は掴んだ。
血の気の引いた顔の猿は、なんとか逃れようと逃れようと足をばたつかせる。
そのばたつかせた足の爪が、鶏冠の頬をかすめた。
切れた傷から、血が一筋流れ落ちる。
そのことで、より一層冷酷な表情を浮かべた鶏冠は、その血を舌で舐めあげると、爪紅に微笑みかけた。
「弱き物は死ぬのよな・・・弱肉強食とは、よう言うたものだ」
その刹那、両手に力を強めると、そのまま爪紅の両腕を引き抜いた。
「ぎゅようえ~ん!」
絶叫を上げる爪紅。
その声が消えるまもなく、爪紅の目におのれの右腕の先が迫るのが映る。
《ドシャグシャグ》
爪紅の引き抜かれた右手は顔に、左手は心の臓に鶏冠はためらいもなく突き刺した。
そして、そのまま周りで旋回を続ける竜巻の中へ投げ込む。
爪紅の体は、粉々に引き裂かれ、肉片があたりに飛び散った。
「 إيقاف دوامة 」
鶏冠がつぶやくと、炎も竜巻も一瞬で消え去ってしまった。
あまりの事に、顔についた爪紅の肉片にも気づかず、言葉もなく立ち尽くしてしまっている菖蒲の前に、音もなく鶏冠は舞い降りた。
「き、貴様・・・いったい何者なのだ・・・我らの言葉を使い、我らの術も・・・」
「私にもよく解らぬ・・・が、ただただ貴様ら妖魔と関わることで、妙な力が溢れ、色々な言葉が頭に浮かんでくるだけだ」
敵を前にしているのに、まるで友に語りかけるような穏やかな言葉で鶏冠は答えた。
先ほどまでの魔人化した鶏冠ではなく、元の優しき目に戻っている。
「菖蒲よ、このまま江戸へ戻り、己が主に伝えるが良い、もうこの世を我が物にしようなどという甘き考え捨て去るが良いと・・・私がおらなくなろうと、その願い・・・叶いはせぬと」
鶏冠の言葉を、菖蒲は両手に拳を握り締めながら俯いて聞いている。
(そのような事、口が裂けても言えぬわ、このままおめおめと戻ったとあっては、元よりこちらの命もないというものよ)
「 الأطفال شيا! 」
菖蒲が鶏冠と同じような呪文を唱えると、ぼうっと立ちつくしている鶏冠の周りに霞がかかってきた。
そして、その霞の中よりたくさんの子供たちが刀を振りかざし、鶏冠へ斬りかかった。
「お前に、子供が斬れるか?」
霞の中に菖蒲の声が響く。
幻術であろうが子供を斬るなどできるはずがない。
無防備の鶏冠の体を、無数の刃が貫いていく。
その刃と共に、菖蒲の双角が鶏冠に突き進む。
「まだ判らぬのか・・・الفن أنه 」
鶏冠の呪文とともに、子供たちは弾け飛び、霞は消え失せ、菖蒲も鶏冠に触れることもできぬまま突進を止められてしまった。
霞が消えていく中に、怒りの覇気を再び発し始めた魔人が立っていた。
草食動物である牛の魔物の菖蒲は、自分が狩られるのを感じた。
「百獣の王・・・赤き獅子・・・」
鶏冠から発される覇気の中に、肉食獣の影が見えていた。
爪紅につけられた頬の傷の辺りに、真っ赤な一本隈が現れ、緑の目はつり上がり異様な光を放ち始めている。
「 في الظلام أنت الميت ببساطة إعادة بنائها 」
呪文を唱えた鶏冠が、菖蒲目掛けて飛び込んだ。
(う、動けぬ)
このままやられると思い、目を伏せた菖蒲の周りを闇が包みこんだ。
「何をした・・・殺すなら一思いに殺すが良い」
『・・・楽には・・・殺しはしない』
地獄からの声がやみに響き渡る。
(だ~れが殺した~、だ~れが殺した~)
闇の中より子守唄のような歌が、小さく聞こえてきた。
それはどんどん近づいてくる。
幼き子供の顔が、一つ又一つと闇の中よりあらわれてくる。
(だ~れが殺した~、だ~れが殺した~)
口々にそう言いながら、子供たちは篭目をするように、菖蒲の周りに円を作り回りだした。
子供たちは皆、青白い顔をして、少し俯いている。
その子供たちの顔をよくよく見た菖蒲は、心の臓が止まるのを感じた。
子供たちの顔は、今まで自分が利用したり、餌にしたり、精気を吸い取って利した者達であったのだ。
(子供も確かに殺した・・・されど、この者たちは子供の体をしているだけの化け物よ)
菖蒲は自分が魔物であることを、忘れてしまうかのように困惑している。
(だ~れが殺した~、だ~れが殺した~)
子供の体をしたやくざ者や、女郎、町人、爺や婆、赤ん坊が歌い続けながら、輪を小さくしていき菖蒲の体に触れてきた。
「やめろ、来るな、来るな」
動かぬ体をなんとかしようとも、どうも出来ず、菖蒲は叫ぶのがやっとであった。
「このようなまやかしの術など効かぬわ、早く姿を現せ!」
『ただの術と思うか?・・・それに子供を先に出したは、貴様の方よ』
強気の言葉とは裏腹に、どんどん生きた心地のしなくなっている菖蒲の頭に、あざ笑うような声が響いた。
その刹那、子供たちは一斉に顔を上げると、目をぎらつかせながら満面の笑みを浮かべ
「腹が減った~腹が減った~」
と、言いながら菖蒲を見上げ舌なめずりをしている。
その口元には、肉食獣のそれである鋭い牙が見え隠れしていた。
菖蒲は、これから自分に起こることを予見して、身震いした。
(我らと同じ言葉を使い、その上、闇の術までも出せるとは・・・奴も同じ異界の者・・・されば、何ゆえ・・・)
「わかった、悪かった・・・お前の言うとおり、江戸に戻り主に伝える・・・だから、離せ、離してくれ」
苦し紛れではあったが、こんな形で死ぬのは嫌だと思った菖蒲は、所在無き物へ向かって叫んだ。
『もう、遅い・・・』
その刹那、菖蒲を取り囲んでいた子供たちが、牙を剥き出しにして喰らいついた。
「ギャワ~~~~」
悲鳴は肉を食いちぎられていく音にかき消されてしまう。
(やめろ~やめろ~・・・・やめてください~もう殺しませぬ~助けて~)
菖蒲の意識だけが、闇に広がっていく。
(たすけ・・・て・・・たす・・・け・・・て・・・)
生きたまま食べられた菖蒲の体は、瞬く間に骨だけになってしまった。
(だ~れが殺した~、だ~れが殺した~)
子供たちは、また歌をうたいながら、闇の中へ戻っていった。
闇が消えると、荒れた庭には菖蒲の骨と血まみれの鶏冠だけが残されていた。
「馬鹿なことよ・・・」
それは骨と化した菖蒲に言ったのか、そのようなことをしてしまった自分に対して言ったのか・・・
「帰らねば・・・」
胸に卯津伎の刃を刺したまま、蒼白な顔の鶏冠は、外へ向かって歩き出した。
一歩、一歩進むにつれ、鶏冠は意識が遠のくのを感じていた。
そのはずである、全ての気を使い尽くしてしまったのであるから・・・
ついに鶏冠は、庭の真ん中に倒れこんでしまった。
雨上がりの空はいまだどんよりしており、自らの血の海に溺れ、映りこむ景色全てを真っ赤に染めた。
目も開けられぬ鶏冠は、残り少しの気の中で、何かが自分に近づいてくるのを感じていた。
いや、感じたような気がしたというほうが、今の鶏冠には当てはまるだろう。
そんな中で、聞き覚えのある、いや忘れることのない声が聞こえたように思えた。
(幻聴か・・・)
意識の消えかかっている鶏冠に声は優しく、激しく繰り返された。
「主様、主様、しっかりしてくださいませ、主様、主様・・・」




