五
猫の目のような月を、一人の男が見つめていた。
月の脇を、ふた筋の星が流れた。
竹林に囲まれた庭の中に、翁の面を付けた黒装束の男が、夜空を見上げながら一つ息をついた。
「柳はおるか」
男は誰に言うでもなく見上げたまま立っている。
「は、ここに・・・」
黒き闇の中から浮かび上がるように、大男が庭より現れ、面の男の前に跪いた。
面の男からただならぬ気が発せられているのを感じた柳は、強張った顔をしながら問いかけた。
「いかがなさいましたか・・・紗牙様」
「うむ・・・今星が二つ流れた・・・一時前にも一つ・・・合わせて三つ流れた」
「・・・それは・・・もしや、京で何かございましたのでしょうか」
紗牙の重き声に、思い当たる節をのある事を、柳は巡らした。
「哀しい事よの・・・沙湖葉、爪紅そして菖蒲までも・・・死したと見える・・・星が流れた折、皆の気が感じられ無うなんてしまったわ」
「菖蒲もで・・・ございますか」
怒りを抑えきれぬ柳は、そう言いながら拳を庭に叩きつけた。
その勢いで庭に一筋の地割れが走る。
その様子にぴくりとも動じず、紗牙は同じように重き声を出した。
「同じ角を持つ者として、妹のように可愛がっておったの・・・大事なものを亡くした気持ち・・・わしにもよう判るぞ」
「されば、私を今すぐ京におやりくだされ、いか者とて、八つ裂きにしてまいります」
強く握りしめた拳からは、赤き血潮が流れだし、温和そうだった顔は・姿は、みるみる獣へと変容していった。
「落ち着くのだ、そなたの気持は判っていると言うておるだろう・・・一時の気で、それも怒りだけで行ったところで、返り討ちにされるのがおちよ・・・わかるであろう」
猛獣を手なずけるように優しく、されど絶対の強さのこもった声を、唸り声をあげている物にかけた。
覇気のこもった紗牙の言葉に、柳は元の姿に戻っていったが、やなり怒りは鎮めることができず、肩を震わせている。
「焦らずとも、そのうち会えるであろう・・・ただ生きておるとも思えぬが・・・菖蒲の気が消える折りに、も一つの強き気も消えていきおった・・・きゃつの物であろう・・・菖蒲はようやったと言えようぞ」
柳は、最後まで菖蒲を思いやる紗牙の言葉を、心の深き所で受け止めていた。
(死んでいればその時よ・・・もし生きておれば、生きながら地獄を味あわせてくれるわ)
「父上様」
音一つなく現れた娘は、幼き顔立ちとは裏腹に、怪しげな色香を漂わせ、少し着崩れた胸元から白き肌がのぞき、裾からは張りのある腿があらわに見えている。
その姿は、どんな男であろうと、奮い立たせるものであった。
柳とて例外ではなく、紗牙の前にいる事も忘れているかのように、自分の中の野性が反応して、さかりのついた獣のように涎を垂らし始めている。
「姫萩か」
紗牙は声のした方を一瞥するでもなく、来た娘に声をかけた。
「主が夜に出歩くと、皆にさかりがつく、主はまだ子どもゆえ、自らの力を加減ぜきずにおるゆえ、はよう下がれ・・・柳に襲われでもしたら適わぬわ」
自らの娘をからかい宥めるように、優しい父の言葉を笑みと共に続けた。
「わらわはもう子供ではございませぬ、それに女子の色気がある故男どもが騒ぐのでありましょう、わらわは何も悪うございませぬ」
「そう怒るではない、冗談を言うたまでよ・・・柳、少しは控えよ」
笑みの中にある覇気を感じた柳は、正気に戻ると恥ずかしそうに口元をぬぐった。
「私とした事が、申しわけございません」
「よい、姫萩の前では誰とてそうなろうよ・・・ところで、姫萩は何用であったか?」
恥ずかしげに俯いた柳に一声かけると、紗牙は初めて姫萩の方を向いた。
妖艶な娘は、意味深げな微笑みを浮かべながら、媚びるような声で甘えた。
「先程のお話・・・もしもその者生きておりし時は、わらわにその身頂きたいと思い、お願いに参りました」
「聞いておったのか・・・」
「ええ、西の方より消えた気を感じ取り、外へ出たところ、父上のお声が聞こえてまいりましたので、悪い事とは承知の上で聞かせいただきました」
「・・・そうか・・・主も感じたか・・・しかし、物好きな娘よの、どこの誰とも判らぬような者を欲しがるとは・・・」
無邪気さも見える姫萩を、呆れたように紗牙は見ていた。
怪しき父娘の会話を、俯いて聞いたいた柳が口をはさんだ。
「恐れながら、その者の始末は私どもが、姫様が自ら手を煩わせるほどの者とも思えませぬゆえ、どうかご心配なされませぬよう」
「おだまりなされ!わらわが欲しいと申しておろう、どのような者でも構わぬのじゃ・・・それに、わらわとて、よう尽くしてくれた菖蒲の事、忘れてはおらぬ・・・そちたちの気持ちも含め、わらわが遊ぶと言うておるのじゃ、それで良いな」
「その者生きておれば・・・好きにせよ」
二人のやり取りを見ていた紗牙は、また重き口調で意味ありげにいうと、また夜空を見上げた。
「卯津伎が全て見ておったであろう、いかような事が起こったのか・・・卯津伎が戻れば判るであろう、二人とも、取りあえずは卯津伎の帰りを待つ事にせぬか」
見上げた三日月をと同じ口元で、紗牙は笑った。
それは、これから行く先をすべて承知しているいるかのように楽しげであった。
冷えた空気の中、星は異様に明るく輝いていた。




