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「何処をどう歩いたのか、やはりここへ来てしまった」


 傘をさしているものの、鶏冠はずぶ濡れのまま、御蘭の茶屋の前に立ち尽くしていた。

 入りづらく、引き戸の前を通り過ぎてしまおうと、再び歩き出した鶏冠の後ろより、か細き声が聞こえてきた。


「・・・鶏冠様で・・・ございまするか?・・・やはり・・・何処へ行かれようと言うのでありんす?わちきの所にお越しくださいましたのでしょ?・・・ささ、どうぞお入りくださいませ、こんなに濡れになられてしまわれて、ささ、早く早く」


 丁度、他のお客を送りに来た御蘭が、蛇の目の先をちょいとあげた姿で手招きをしていた。

 少し戸惑いもあったが、やはりほっとした鶏冠が、言われるままに中へと入って行く。


「ささ、早う湯の方へ、着替えをご用意して、すぐに参りまする、今宵はお客様も少ないようで、離れをお使いくださいませ」


 御蘭は、何がそんなに嬉しいのかと思わせるほど、小娘のようにはしゃいだように奥へと入って行った。

 いつもであれば、その姿は無邪気なものにのみに感じられたはずであるのだが、小袖の姿が重なり見える鶏冠には、微笑ましくも思えずにいた。


(とりあえずは、湯につかるとするか、このままでは店にも迷惑がかかるようだ)

 

 濡れ鼠の自分の姿を眺め、ひとつ息を吐くと、鶏冠は重い足取りで風呂場へ向かった。

 二坪ほどの風呂は、檜の香のする湯気が、霧のように立ち込めていた。


「うっ・・・」


 桶で肩口に湯を流した鶏冠は少し呻いた。


(そうか、あの魔物に斬られたのだった・・・しかし、あれほど深く刺された傷・・・もう擦り傷程度とはいかなることか)


 鶏冠は自分の身に何かが起こっている事を、少なからず感じ取っていた。


(私自身・・・何か変わろうとしているのであろうか、瞬時に移動できる力・・・されど、力がこれ以上強くなろうと、何ができるというのだ・・・これ以上化け物になろうとて・・・小袖は帰らぬ・・・)


 湯殿に浸かりながら、鶏冠は自身に問い、答えを探した。


〈ちゃぱ~ん・・・ちゃぽ~ん・・・〉


 天井にのぼった湯気が、水滴となって音を立てている。

 その規則正しい音が、心身ともに疲れ果てた鶏冠を、眠りへと誘っていった。


(・・・ここは何処であろうか・・・確か風呂に入っておったはず・・・)


 辺り一面どこまでも続く霞みに覆われた中に、鶏冠は裸のまま立ち尽くしている。


「誰かおらぬか?御蘭、御蘭は何処におるのか?」


 声に出して呼んでみるものの、返る言葉は何もなかった。


(どういう事だ・・・)


 戸惑いを隠しきれない鶏冠の耳に、聞きなれた声が聞こえてきた。


「鶏冠様・・・鶏冠様・・・」


 湯気の奥の方より、鶏冠の名を呼びながら、何かが近づいてくる。

 近づいて来る者・・・それは紛れもなく、小袖であった。

 小袖は頬笑みを浮かべながら、一糸まとわぬ姿で鶏冠の前まで歩いてきた。


「こ、小袖、どうして・・・」


 我が目を疑い、このような事があるわけないと疑うも、目の前に小袖がいることに、嬉しき気持ちを抑えきれぬような声を漏らした。


「今一度、お目にかかりたく思い、戻ってまいりました、どうか、小袖を不憫に思われるのでしたら、抱いてくださりませ」


 そう言うと、小袖は鶏冠に抱きつき、押し倒すように体を重ねていった。


「少し待たぬか・・・どういう事なのか聞かせてくれぬか?」

「またそのような事を申されて、私をお抱きにならぬのでしょう、私はもう嫌でございます」


 そう言いながら、激しく口を吸い、柔らかな肢体を鶏冠に絡みつけていった。

 しかし、鶏冠の心の中は、小袖の動きと裏腹に、快楽よりも悲しみが広がっていた。


「何故、涙を流されるのです」


 鶏冠の様子に動きを止めた小袖が驚いている。


(私は泣いているのか・・・)


 知らぬ間に涙がこぼれ落ちている自分に気付くと、鶏冠は小袖の顔を哀しげに見つめた。


「そのような目でみないでくだされ」


 哀願するように叫ぶ小袖の姿に異変が起こり始める。

 髪の毛が抜け始め、顔の皮が歪み始めた。


「私の事を好いていると言うてくださいませ、一番好いていると言うてくださいませ・・・そうでないと・・・言うてくださりませ」


 半狂乱のような小袖はそう叫びながら、腐り始めた両手で、鶏冠の首を絞めた。


「鶏冠様は、二度も私を殺そうというのですか!」


 半分が腐り落ち、片目が垂れ下がってきた顔で恨めしげに小袖は言うと、鶏冠の首にかけた手に力をこめていった。


「お前に殺されるのであれば、それも本望よ」


 血の気が引き始めた顔に、笑みを浮かべながら鶏冠は答える。


「好いていると、好いていると言うて下さりませ、私は死にとうございません・・・たすけて・・・くださり・・・ませ・・・」


 小袖の意識が消えていくと同時に、首を絞めていた小袖の腕も体も、霞みとなって消えていった。

 しかしその刹那、倒したはずの銀針鼠の姿が現れ、今一度両の手が、鶏冠の首を締めていった。


「お前が殺したのだ、お前が!」


(そうだ・・・私さえいなければ、小袖は死なずに済んだ・・・このまま死ぬもよかろう)


 そう心でつぶやき、意識が遠のき始めた刹那、鶏冠の緑の眼が光を放つと、首に掛けられた両手を引きちぎり、逆に魔物の首を絞めていった。


「お前が殺した、お前が」


 苦しみながらも嘲笑うように声を絞り出す魔物に、


「違う違う違う、誰かがやらねばならなかった事、小袖とてそう思うておるはずだ」


 そう叫びながら鶏冠は、魔物の首を捻り上げながら引きちぎった。


「お前が・・・殺し・・・助け・・・ころ・・・」


 声が途切れた。

 息を整えるとともに、自身へと戻って行った鶏冠は、


(この体・・・私自身の意のままならぬというか・・・死ぬのも勝手にならぬか・・・)


 そう思いながら、改めて手の中に残るものを見て、発狂したような叫び声をあげた。


「うぉ~~~~~小袖~~~~~~~」


 引きちぎった首の先には、青白くなった小袖の顔があった。


「私が、私が殺したのだ・・・うぉ~~~お~~~」





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