六
その夜の事であった。
自分の部屋の前に、誰かが来ているのを感じ取った鶏冠は、布団より起き上がると、その姿が判っているかのように、障子戸の外の廊下に向かって言葉をかけた。
(やはり、参ったか・・・)「何か用か!」
その声を待っていたかの如く、小声ではあるが嬉しそうな声が聞こえてきた。
「どうしてもお話ししたき事がございます、お気付きにならないようでしたら、戻ろうと思っておりましたが、お気付き頂き、嬉しゅうございます」
「そうか・・・部屋に入るがよい」
すっと軽い音を立てた障子戸の向こうには、赤き着物を纏った小袖がいた。
「今宵は部屋から出ぬよう言うておいたはず、いかに大事な話があると言うても、誓いを破っては困るというものだ」
冷静な口調で、鶏冠は諭した。
見張りの者たちがどうなったかなど、小袖を見れば一目瞭然である。
赤き着物は、人の血で染まったものである。
「私は・・・死ぬ前に一度、鶏冠様に抱かれとうて、生き恥をさらしてでも、ここへ戻ってまいりました。どうか、どうか、願いを叶えてはいただけませぬでしょうか?」
「・・・それは、そなたの本当の願いではあるまい」
「何故そのような・・・私はほんに、あなた様をお慕い申しております」
そう言うと小袖は、赤く染まった着物をずるりと脱ぎ落とすと、体にまで染み入ったいた血の線をつけた裸体をあらわにした。
そして、鶏冠がいる布団へと歩みを寄せる。
「どうか、どうか」
そう言いながら、鶏冠へ覆いかぶさると、口を激しく吸った。
舌を絡めようとする小袖の体を、鶏冠は突き飛ばし、自分は立ち上がると、小袖に布団をかけた。
「そなたが正気をとり戻したときに、ちゃんと抱くとしよう」
「・・・そのような事を申されて・・・真は私の事がお嫌いなんでありましょう」
鬼気とした顔で、小袖は鶏冠を睨みつけ、
「されば、共に死んでくださりませ!」
と言うと、どこから取り出したのか匕首を光らせ、鶏冠に斬りつけていった。
「よさぬか!そなたは操られておるのだ、己の心を落ち着かせよ!」
斬りかかってくる刃を、軽くいなしながら、鶏冠は小袖を何とか正気に戻そうと声をかけ続けた。
(ただ操られているのであろうが・・・それにしては何も・・・屋敷の外に、全く邪気を感じぬ・・・)
(とにかく、小袖への術を解かねば)
そう考えながら、鶏冠は全裸の女の攻撃をかわしていた刹那、小袖の動きがぴたりと止まった。
「何故本気で戦わぬのだ!この体には傷をつけたくないということか・・・ならば」
小袖の口を通して、全く別の声がそう言うと、唸り声を上げながら、全身に力をこめていった。
その時である、鶏冠の頭の中に小袖の声が悲痛に響いた。
『鶏冠様、お助けくださいませ・・・お助け・・・くだ・・・さ・・・きゃ~』
声が悲鳴とともに途切れた刹那、目の前の小袖の体が、脳天よりビリビリと音を立てながら、真っ二つにひき割れていく。
操られている物とばかり思っていた鶏冠は、我が目を疑り戸惑いをあらわにした。
「皮一枚とて、人の体の中は、真窮屈よのう」
そう言いながら現れた者は、妖艶な姿の魔物であった。
切れ長の目は美しいが、にやりと笑った口元からは、鋭き牙が見え隠れしている。
全身は黒き産毛で覆われ、形の良い乳房はあらわになっていたが、秘部にはその毛がより濃く密集しており、手足の指は長く、爪も鋭く伸びている。
そして、一番目をひくものは、頭部より背中にかけて、銀色の紐のようなものが、足首の方まで伸びている。
毛なのか・・・触手なのか・・・紐の先は針のように鋭く尖り、うねうねと蛇のようにうごめいていた。
「黒衣の頭が、お前のような甘ちゃんの子供であったとは・・・黒衣も大したことはないとみた」
余裕の笑みを浮かべながら、魔物は小馬鹿にしてように言い放った。
その言葉など、耳に入らぬように、小袖の体が目の前で引き裂かれてしまった事に、鶏冠は自分を責め俯いていた。
(なんと可哀そうなことを・・・幼き頃より姉のように、いつも傍にいて助けてくれたものを・・・何故にこのような目に合わねばならんのだ・・・)
(狙いは私なれば、私だけを潰せばよかろうに、いや・・・私がここにいなければ、小袖も死なずに済んだのではなかろうか・・・)
「何を考えているか知らんが、敵の目の前で涙を見せるとは・・・つくづく甘き男よ・・・まあ、こちらにしてみれば、楽に殺せるというものよ」
そういうと、全ての銀の紐がすさまじい勢いで、俯いたままの鶏冠の身体中に突き刺した。
「子どもと言えども、凄き力をもつ者、その力全て、吸いつくしてくれるわ!」
魔物は、勝ち誇ったように高笑いを上げた。
身体中に針を刺され、何本もの管を通して精気を抜かれ、意識がもうろうとしたまま、いまだ俯いたままでいた鶏冠の心が叫び始めた。
(何故殺した・・・何故殺した・・・何故殺した・・・)
「こんな女一人のために、何もせぬまま命を落そうとは・・・ほんに馬鹿よ、この女も、当に自分が死んでいるとも知らずに、ようここまで連れてきてくれたものよ」
鶏冠の精気を吸い上げながら、魔物は嘲笑った。
《何故殺した、何故殺した・・・誰が殺した・・・・・・お前が殺した》
鶏冠の中で、何かが弾けた。
身体中よりすさまじき気を発し、青き炎となって鶏冠を包みこんでいく。
「子供騙しは通じないよ」
あらかた精気を吸いつくした魔物は、ちゃかすように笑う。
確かに吸いつくしたはずであった。
しかし魔物は、今までに感じたことのない重苦しさを感じていた。
いや、その重苦しさを持っている男がひとり・・・
(こ、この感じは・・・まさか・・・そんなことが・・・)
そして、吸いつくしているはずの自分の方が、目の前の炎に包まれし者に、力を吸い取られて始めている事に気付いた。
目の前から発せられる重苦しい気に、悪寒が走り、血の気が引くほどの恐怖に身震いし始める。
(攻めているのは私の方・・・なのに何故・・・このままでは・・・)
危険を察知した魔物は、鶏冠の体に刺していた無数の針を、一気に引き抜くと、少し距離を取った。
その刹那、鶏冠から放たれていた気も静まり、無気力に立ち尽くす者となっていた。
(気のせいであろうか・・・そうよ、このような小童が、あの方と同じ力を持っているはずはない)
まだ確たる証はないが、目の前には気を落とした子供が一人いるだけと、自らに言い聞かせるように、魔物は呼吸を整えていった。
「そんなお前じゃ、敵が私でなかろうと、あの娘は助けられなかったね・・・今すぐ、同じようにあの世に送ってやるから、二人で仲良くおしよ」
そういうと、魔物は鶏冠の両腕を掴むと、壁へと押しつけた。
そして、背中の紐をシュルシュルと音をたてて編み込まれ、太き2本の束を作っていった。
それは変化を続け、最後には背より生えし、二本の大鎌を造り出した。
「最後に何か言いたいことでもあるか?」
気に圧された事もあり、勝負を急いでいる感のあった魔物は、ここまでくればと、余裕の笑みを浮かべ、いやらしげに長い舌で、舌なめずりしながら聞いた。
鶏冠は、相変わらずぶつぶつと呟きながら俯いている。
「お前が殺した・・・お前が殺した・・・お前が殺した・・・」
「そう、私が殺したのさ・・・そして、お前も!」
その言葉が終わるや否や、二本の大鎌が、鶏冠の体を引き裂いた。
はずであった。
しかし魔物の前には鶏冠の姿はなく、鎌は壁に深く突き刺さっている。
「ど、何処だ!」
慌てて鎌を引き抜くと、魔物はぐるりと見回した。
丁度真後ろにその者は立っていた。
赤き髪は逆立ち、緑の眼を光らせ、身体中より物凄き赤き気を発している鶏冠が、まるで獲物を見つけた獣のように、魔物を見据えていた。
先程に感じた以上の重苦しさと恐怖が魔物を襲った。
「そんな脅しはきかぬわ!うりゅあ~~~!」
その言葉とは裏腹に、焦りの色が魔物の顔を染めている。
掛け声とともに、闇雲の二本の鎌を振り回すものの、全てが鶏冠の体をすり抜けていくだけであった。
正確にいえば、鶏冠の体が消えては現れ、現れては消えていたのである。
実像のないものと戦っているような魔物は、どんどん追い詰められていった。
(殺そうと思えば、いつでもやれるものを・・・何故仕掛けてこぬのだ)
「楽には殺しはしない」
不敵な笑みを浮かべた鶏冠が、魔物の眼前に現れた。
「うぎゃ~~~~!」
恐怖にひきつった顔で、狂ったような叫び声をあげながら、魔物は再び大鎌を振り回した。
《グサッ!》
軽い音を立て、二本の鎌が鶏冠の両肩に突き刺さった。
(やった、このまま引き裂いてやる)
ふっと気を抜いた魔物の眼に、魔物以上に残忍な顔が映った。
「は!」
「ぎゅやお~~」
鶏冠が掛け声とともに大鎌を通じて気を放つと、二本の鎌は木っ端微塵に砕け落ちた。
魔物の背中から流れ落ちる血が、部屋の畳を赤く染めていく。
(・・・この場は引くしかあるまい)
飛ぶように逃げ出そうと外に向かった魔物が、障子度に触れた刹那、雷が魔物の体を貫いた。
「ここが真の結界の間だとは知らぬわな、お前に逃げ場などない・・・いかがする・・・小袖も、同じように恐ろしかっただろうに」
腕を焦がした魔物に向かって、鶏冠は距離をつめた。
鶏冠のあまりの変貌に恐怖した魔物の中に、一つの考えが浮かんでいた。
(こやつも人に非ずか、ただ己自身は気づいていないよう、されど、私と争う事で力を目覚めさせたと・・・されば私はこいつを目覚めさせるための呼び水・・・そのことを知ってのことでありましょうか・・・紗牙様)
無駄だと判っているものの、このまま犬死には適わぬと、魔物は渾身の力をこめて、鶏冠に向かっていった。
鋭い爪を振り上げた魔物の前には、鶏冠の姿はなかった。
《ドグシャ~》
魔物の後ろに回った鶏冠の左腕が、魔物の体に突き刺さり、その手のひらが心の臓を握りしめた。
徐々に手に力をこめていく鶏冠。
魔物の体は細かく痙攣をはじめ、口から血と泡を噴き出し始めた。
「楽には殺さぬといったろう」
鶏冠は、ゴム球で遊ぶように、強く握っては緩めを繰り返し、その旅に魔物は苦痛に顔をゆがめる。
(小袖の思いを・・・許しはせぬ)
気の高まった鶏冠は、その勢いのまま、魔物の心の臓を握りつぶした。
辺り一面に血飛沫が広がり、痙攣していた魔物の動きも止まり、しべ手が終わりを告げた。
いつの間にか降りだした雨の音が、静寂を取り戻した部屋の中に響いた。
《ドサッ・・・》
魔物が腕から抜け落ちた音で、鶏冠は我に返った。
(なにがなにやら・・・途中からあまり覚えてはおらぬが・・・そういえば)
部屋の中のあまりの様子に、鶏冠は小袖を探した。
隅の方に抜け殻のように皮一枚になっている小袖がいた。
その抜け殻を抱きかかえた鶏冠の頭の中に、弱々しいがはっきりとした小袖の声が聞こえてきた。
『鶏冠様、ご迷惑をおかけいたしました、このような事になってしまい・・・でも、こうして最後に鶏冠様の腕に抱いていただけるなんて・・・私は幸せでございます・・・鶏冠様にお会いできたこと、ずっと忘れません』
頭の中の声が消え行くとともに、腕の中にいた小袖もはらはらと崩れ落ちていった。
「小袖~」
涙が止めどなく、鶏冠の頬を伝い落ちる。
「終わったか・・・ようやってくれた」
悲しみに落ち込む鶏冠のもとへ、倫道と数人の歌舞伎衆が入ってきた。
「裏十二支が一人、銀針鼠か・・・やはり動き出しておったか、・・・しかし、うまくこちらの思惑通り食らいついてくれたわ」
魔物の亡骸を横目に、倫道が呟いた。
その言葉に顔を上げた鶏冠に、倫道は重き声を続ける。
「しかし、小袖には可哀そうな事をした、お前にも言ってはおらぬ事ではあるが、今度の特命は、江戸の動きを探る事、裏十二支の復活を確認する事であった、その事では4人ともよくやってくれた・・・この石板とて偽物よ」
そう言いながら、石板を拾い上げると、音を立てて砕いてしまった。
その様子を見ていた鶏冠が
「ということは、小袖は捨て石ということでございますか?お師匠様」
と、泣き叫んだ。
「・・・そういう事になるな」
「そのような事、私に申しつけてくだされば・・・私が全てやりまする」
「馬鹿を申すな!主には主のやるべきことがあるであろう・・・それに・・・小袖は、自ら望んでこの役を請け負ったのだ」
「そのような・・・」
倫道の言葉を受け、鶏冠はその場に崩れ落ちた。
甘音が、鶏冠の悲しみをより深くしていく。
「幾多の犠牲の上に、主は立たねばならぬのだ、この世に生れし時より定められた事・・・忘れることなきよう」
「私は誰かが死ぬのはもう・・・」
そう言いながら鶏冠は立ち上がると、庭先よりふらふらしながら、雨の中に出て行った。
「何処へ行く」
厳しくも優しき倫道の声が、鶏冠の背後に聞こえた。
雨に打たれ、力ない笑みを浮かべながら振り向いた鶏冠は、
「大丈夫にございまする・・・少し頭を冷やして参ります」
そういうと、裸足のまま門の方へ歩き出した。
黒衣の一人が、慌てて草履と傘を持ち、鶏冠に走りよりながら
「どうか、傘をお持ちください、風邪を召されては小袖も心配いたしまする・・・私ども、いつでも捨て石になる覚悟はできておりますが、決して無駄死にとは思っておりませぬ」
と告げた。
やはり力なく微笑む鶏冠は
「ありがとう、気持ちだけで十分よ」
と、とぼとぼ雨の中に消えていった。
その姿を、ただただ倫道は見送った。
(たぶん、しばらくは戻っては来ぬであろう・・・されど、この事・・・どうしても乗り越えねばならぬこと・・・この先もっと辛き事が、主を待ち構えておるのだ)
倫道は、その思いを告げず、弟子の行く末を案じていた。
雨は次第に強くなり、街行く人の数を減らしていった。




