四
遠くの空で、数羽の雁が鳴きながら飛んでいる。
芽蕗恵寺に向かう道で、鶏冠は思いに耽っていた。
(お師匠様も変に気を回される)
(連翹様にお会いするのも、いさかたぶりであろうか)
(お会いできるのは、嬉しくもあり・・・恥ずかしくももあり・・・)
(・・・どうも母上のことを呼び起こさせる)
(とはいえ、母上との想い出なぞ、何一つないはずであるのに・・・私が四つの時に・・・死に別れたのだから・・・)
(母も知らず、父も知らず、私はずっとひとりであるのだな)
(色々な人々が、いつも私に気を遣い、周りに居てくれるので、つい忘れてしまいそうになる)
(それにお師匠様は、このような魔物のような力を持つ私のことを、本当に大事に思っていてくださる)
(そういえば・・・江戸の方々は、皆大事ないであろうか・・・華蓮も・・・)
冬の日差しを受けながら、思考をやめずに歩き続ける鶏冠は、いつの間にか杉の木に囲まれた林の中にいた。
(もうここまで来ていたのか・・・あまり考え過ぎていると隙を突かれてもおかしくないもの・・・しっかりせねば)
天蓋が頭を上げると、中の瞳は、光を取り戻していた。
林を抜けると山寺が、それでいてただの寺とは思えぬ建築物が現れた。
(いつ見ても凄いものよ、異国の偉きお方が造られたとお聞きしているが、特にこの塔はいかなるものか、入ることならんといわれておるが・・・)
四角錐を思わせる形状の、高さ四間ほどの塔を見上げ、鶏冠は見入ってしまっていた。
不意に門の開く音がした。
「鶏冠様でございますか?」
そう言いながら、やや大柄のそれでいて若々しく女らしい体つきの町娘が姿を現した。
「そうだが」
「やはりそうでございましたか!いえ、連翹様が鶏冠様がいらっしゃるゆえ、御出迎えに上がるようおっしゃられたので、半信半疑で着てみましたところ、本当にいらっしゃったので驚いております・・・何故お判りになられたのでしょうか?・・・あ、すみません、どうぞ、どうぞお入りください、連翹様が奥で御待ちでございます」
女は慌てて鶏冠を促すと、自分もそそくさと門の中に入って行った。
(それほど驚くことでもないが・・・まあ、連翹様をよく知らぬ者は驚く事であるか)
少し微笑みながら、鶏冠は訳知り顔で中へと進んでいく。
四角い石を積み上げて造られたと見える寺は、葉の落ちた木立に覆われているが、荒れた感はなく、むしろ厳格な雰囲気を漂わせている。
「連翹様がおっしゃられたように、鶏冠様がいらっしゃいました」
先程の女が大きな声で、庭の木の芽をめでている尼僧に向かって叫んだ。
「これ、菖蒲はしたないですよ、そのような大きな声で」
「ですが、本当にいらっしゃるなんて・・・どうしてお判りになられたのですか?」
「もうよい、もうよい、なんとなくです、それより御茶をいれてくれますか」
含み笑いを袖口で隠し、照れ隠しのように菖蒲を促した。
菖蒲は納得できぬという感で、一人ぶつぶつ呟きながら寺の奥へとはいって行った。
「あの者は・・・」
「二月程前より、花嫁修業のために預かっております、ふもとの呉服屋の娘で菖蒲と言います」
奥の菖蒲のほうに目をやり、二人は今日はじめての言葉を交わした。
「しかし、久しぶりでありますな、鶏冠殿」
「はい、ざっと二年ぶりでございましょうか」
「そのように経ちますか、それにしてもまた立派になられましたね・・・立ち話もなんでしょう、ささ、中へ中へ」
しみじみ鶏冠の様子を見ていた連翹が、誰が見ても楽しそうな様子で、先に立ち鶏冠を中へと招き入れた。
「ほんに、大きゅうなられて、用がなくともお顔をみせてくださればよいのに」
「年をとるたびに忙しくなりまして、申し訳ございませぬ」
「何を謝ることがありましょうか、こうして久方ぶりであっても、元気そうなお顔が見れたこと、嬉しゅうございますよ」
「連翹様もお変わりないようで」
「そのようなお顔で、互いに話されておりますと、まるで離れ離れの母子のように見えますよ」
二人の様子を窺いながらお茶を運んできた菖蒲が、冷やかし半分で笑っていた。
そう言われて、はっとした鶏冠ははずかしそうに俯いた。
「あ、赤くなられた、鶏冠様は連翹様の事を思うておられるのですか?」
「鶏冠殿が困っておいでではないか、冗談も程々にせぬと怒りますよ」
興味津津という菖蒲に、連翹は諭すように言い、
「今日は大事なお勤めで参ってらっしゃるのですよ、そなたと語らいに来て頂いた訳ではないのですよ、ですからそのようにはしゃぐではない、さ、何かあれば呼びますゆえ、奥へ行っていなさい」
まだそこに居たげの菖蒲は、しぶしぶ奥へ戻っていった。
「ごめんなさいな、まだまだ子供のようで、あの様では何時になっても嫁には行けぬというものでしょう」
いまだ俯いたままの鶏冠に、優しき声をかけた。
(母のように慕っていることを、知られてしまったであろうか)
(私とてまだまだ幼心が残っており、そのようなこと恥じねばならぬ)
「お顔をおあげくだされ、私が鶏冠殿を実の子のように思うておるので、そのように見えてしまったのでしょう、悪いことをいたしました」
「いえ、そのようなこと・・・私とて連翹様にお会いできることは、とても嬉しゅうことに思っております」
やっと顔を上げたものの、やはり照れくさげに鶏冠は微笑んだ。
その顔を見て安心したように、先ほどの困り顔から優しき顔に連翹は戻ると、
「それで、本日はいかような御用向きでありましょうか?」
と、真の話へと踏み込んできた。
「これを預かってまいりました」
倫道から預かった文と『白の書』の入った包みを差し出し、鶏冠は続けた。
「近頃、妖魔たちの動きに妙なところがございまして、争いも激しく、怪我を負う者も絶えずにおります、江戸のほうの動きも気になるとお師匠様が申されまして、何かあってはかなわぬとお届けにまいりました」
鶏冠の言葉を受け止め、倫道からの文を広げ読んだ連翹は、一つため息をつくと、そ手の景色に目をやった。
「・・・なかなか、この世は平穏にはならぬということでしょうか・・・それでは急ぎ『時の間』へ、置いてまいります、しばしお待ちくだされ」
鶏冠に告げると連翹は、奥のほうへと歩みを進めていった。
一人になった鶏冠は、ふ~と大きく息を吐いた。
(連翹様と二人きりでいると、自分の幼心が沸いて恥ずかしくなる・・・が悪くはない)
木々の向こうに、小鳥のさえずりが聞こえ、鶏冠はこの時を幸せに感じていた。
しばらくすると衣擦れの音とともに連翹が戻ってきた。
「確かにお預かりいたしましたと、倫道様にお伝えくだされ」
「承知いたしました」
「ところで・・・今の暮らしは辛くはありませぬか?」
突然の問いに少し驚いたものの、鶏冠は胸を張って答えた。
「辛いといえば、そうに思うこともありましょうが、誰ぞがやらねばならぬ事、それにどのような仕事であろうが、辛きことは必ずあると思うております」
「しかし・・・願うてなりしことではあるまいに・・・」
「・・・そうではございますが・・・そういう定めと思うております、それに私の魔物のような力は、他の仕事では役立たずでありましょう、このような力授かりし事、それが全てと思うております」
少し哀しげな顔をしながらいう鶏冠に、連翹は包み込むような声をかけた。
「やめてしまいたき時もありましょうが、この世がそれを許さないでしょう、ですがそなた一人に全てを任すというのは、あまりにも不憫に思われます・・・やめたき時はやめてもよいと、私は思いますよ」
「ありがとうございます、そのお言葉だけで十分楽になれました」
なかなかそのような言葉をかけられることのない鶏冠は、心が軽くなるのを感じていた。
その顔を見つめながら、連翹は続けた。
「鶏冠殿は、ご自身の名前の意を、お知りでしょうか?」
「いえ、両親が亡くなりしおり、この名を名乗らせるようにと命ぜられたと、お師匠様から聞いております」
「そうでありましたか、鶏冠とは異国の花の名で『五徳を授かりし人』の意があります、そなたの力は、自身がいうほど、まがまがしきものではなく、天より授かりし五徳なのでありますから、あまり深く思い悩まぬよう」
なぜそのような事を話されるのかと思いながらも、鶏冠は神妙な顔で聞き入った。
「そなたに、これを授けましょう」
そう言うと、連翹は懐から何かを取り出した。
それは、銀でできた細工物の先に、水晶の玉がついた飾りものであった。
「これを肌身離さずお持ちなされ、そなたが危うき時、必ずやそなたを守ってくれるでありましょう」
そう言いながら、連翹は鶏冠に近づくと、その物を首にかけた。
首に掛けられたものは、少しの光であっても、まばゆい光を放ち、それと同時に、鶏冠の心を落ち着かせていった。
とても心地のいい気持になった刹那、鶏冠は何かを感じとり、倫道の屋敷の方へ目を走らせた。
連翹も同じように感じ取ったようで、
「まだまだお話ししたき事はたくさんございますが、そろそろお帰りになりませぬと・・・何やらお屋敷の方が騒々しく感じられます」
「はい、おっしゃられるように感じます、急ぎ戻ると致します
「そのもの必ずお付けください・・・それともう一つ・・・」
天蓋をかぶり、急ぎ立ち去ろうとする鶏冠を引き留めるように声をかけた。
「味方と思いし者、必ずしも味方にあらず、逆に敵と思いし者、必ずや敵にあらず・・・このこと肝に銘じてお忘れないように、さ、参りなされ」
「はい、それでは、またいつかお会いできることがあれば」
屋敷の方から感じる悪しき気に向かって、鶏冠の姿は疾風の如く消え去った。
「鶏冠様は、もうお帰りでしたか?」
不安げにその姿を見送った連翹に、がさつな声がかかった。
いつの間にか奥の間に居るはずの菖蒲が、庭先に立ち門の方を見ながら立っている。
「私も色々お話しとうございました」
「また、お会いできます、ささ、もう日も落ちます、片づけをいたしましょう」
いかにも残念そうにいう菖蒲に、何事もなかったように連翹は奥へと入って行った。
一人庭に残された菖蒲は、まだ門の先の方を見据えていた。
ただ、その口元には、怪しき笑みが浮かんでいた。
「そう、またすぐにお会いできますとも・・・」
雲一つなかった空を覆うように、雲が広がり始めていた。




