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神社紀行  作者: flat face
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京都大神宮

 京都大神宮は京都のお伊勢さんです。

 江戸時代の末期より盛んであったお伊勢参りが叶わない人々のため、全国に伊勢神宮を遙拝できる設備を設けて伊勢神宮大麻を頒布してほしいとの要請が明治時代にありました。

 そうして伊勢神宮から天照大御神や豊受大神をお迎えし、神宮司庁の出張所として京都大神宮は設立されました。


 もっとも、京都大神宮と呼ばれるようになったのは戦後からで、戦前は神宮教会所・神宮京都本部・神宮奉斎会京都本部と改称されていました。

 伊勢神宮の出張所であるからか明治より皇女や親王、時の大臣ら多くの参拝があり、神風講社の結成は百一に及んだそうです。

 また、神前結婚式の祭式は京都大神宮で誕生しており、そのことを私は神社の掲示で知りました。


 京都大神宮には阪急電鉄の河原町駅で下車して詣でました。

 お握りなどを売っているお店がくっついた塀を抜け、境内に入っていきました。

 京都という大都市に設けられた伊勢神宮の出張所の割りに案外こぢんまりとしており、本殿とお伊勢さんの遙拝所は別々ですけど、本殿の方が余り目立たない感じの遙拝所より大きかったです。


 本殿は一条家の書院を移築したもので、唐破風の優美さは日本有数と言われてこれを模した建築物も作られたと伝えられるらしいですが、昔ながらの芝居小屋のような印象を受けました。

 建物に掲げられている額が演目の看板を思い起こさせるからかも知れません。

 しかし、芝居とはまた別の娯楽が本殿を飾っていました。


 本殿には巫女さんを描いた萌え絵のポスターが貼られており、神さまへの手紙を入れるポストやお神籤のガシャポンがありました。

 同じ建物にある社務所でも萌え絵のグッズが色々と売られていました。

 私はインターフォンを押して受付の人に出ていただき、令和への改元を記念したクリアファイルを買いました。


 サブカルチャーを取り入れて胡散臭く感じる向きもあるでしょうが、他方で伏見城にあった水盤が手水舎に寄進されているなど由緒正しいところも見られます。京都大神宮が日本で最初に斎行した神式の婚礼も、当時の宮司であった冷泉為紀が資料を収集・研究して草案が出来たそうです。そして、大正天皇と貞明皇后が皇居内の賢所で神前結婚を行い、多くの国民から要請があって京都大神宮と東京大神宮が祭式を吟味・完成させ、現在はそれに各神社で様々な色付けがされているらしいです。


 神社には神前結婚式の案内もあり、その写真を見ましたところ、新郎と新婦は一般的な黒いスーツを着ていました。

 私はワイシャツにノーネクタイでビジネススーツを着た女性に弱いので、真宗門徒ですけれども神式の婚礼に心が傾きました。

 そう言えば明治に真宗から神道に改宗した人の話を聞いたことがありますけど、その頃は神社がナウく感じられたとのことです。


 京都大神宮も現在の精華学園たる精華女学校を創立しており、復古とは維新であるという西田幾多郎の言葉を思い出します。

 例えば平田神道は単なる反動のように思われていますが、平田派が追求していた王政復古とは社会革命で、神仏分離も古典古代に回帰しようとしたフランス革命の非キリスト教化運動のように徳川の政治体制からの解放を意味し、平田篤胤とて『静の岩屋』に見られるがごとく必ずしも単純に排外的ではありませんでした。

 そのような複雑さを考慮せず、神道を太古から続く日本固有の民族宗教と讃えるのも浅はかでしょうし、そうかと言って逆に「創られた伝統」と嘲るのもさもしいでしょう。


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