出雲大神宮
出雲大神宮は出雲と名が付きますが、京都府の亀岡市にある丹波国の一宮です。
これは社伝によりますと出雲大社は元々ここにあり、奈良時代に島根県へ遷ったのだそうです。
それゆえ、旧称として出雲神社、別称として元出雲や千年宮とも言われているばかりか、出雲大社が明治時代に至るまで杵築大社と称していたため、出雲と言えば出雲大神宮のことで、兼好法師『徒然草』にも出雲大神宮のことが記載されています。
丹波は出雲と大和の勢力が接するところだったため、それが国譲りの神事に反映され、そのような社伝を生んだのかも知れません。
元は出雲姫なる巫女が御影山をご神体として奉仕するところで、その姫神が大穴牟遅神の后である三穂津姫にされたという説もあります。
三穂津は高皇産霊尊の娘ですが、御影山は国之常立神が鎮まる聖地と伝えられ、禁足の地となっており、かつては千年山と呼ばれて和歌に詠まれてもいます。
そのような出雲国の東端に私はJR西日本の千代川駅で下車して詣でました。
しかし、バスは本数が少なかったので、乗れなければタクシーを利用しようと思っていましたが、それさえ電話で呼び出さなければ来ないとのことでした。
そこで、私は徒歩で向かうことにしたのですが、月読橋という月読命に因んだ橋を渡れ、出雲大神宮に縁の車塚古墳を見られたのは幸いでした。
月読橋は月の満ち欠けや星座が描かれ、車塚古墳は草木に埋め尽くされていながらも中々に迫力がありました。
どちらもそこそこ見応えはあったのですが、如何せん道のりが長く、私は出雲大神宮に着きますと、まずは腹拵えをしました。
出雲庵という蕎麦処で、出雲大神宮と同じ水源の水で打った十割蕎麦のお店なのだそうです。
建物は日吉ダムを造るため、百十年ほど前の農家が移築されたもので、外観は余り手入れできていない感じでしたが、内装は雑多にものが置かれている割りには小綺麗でした。
山菜の冷たいお蕎麦を注文しましたが、季節でないからか麺の風味はあっさりで、料理のぬめりや酸味の方を強く感じました。
食事してお腹が膨れますと、弁財天社のある池を回って正門に行きました。
正門の鳥居にある石碑を見て魂消ました。
その側面に「梅原猛敬書」とあったのですから。
ここにまで足跡を残していたとは流石です。
他にも参道に立つ社名標は、出雲大社の元宮司たる千家尊福の筆によるもので、現宮司である千家尊祐の揮毫たる石碑もあります。
出雲大神宮は元出雲と名乗っていますが、同じく神社本庁に属さない単立神社として島根の出雲大社と仲が良いのでしょうか。
そうした出雲大神宮の本殿は重要文化財の三間社流造で、鎌倉末期に建立されたのを足利尊氏が室町前期に改修したらしいです。
前室を有したその本殿は、屋根が檜皮葺であって野趣のある感じですが、装飾を蟇股や手狭に留めて太い木割りを使用した装飾は力強く、ある種の品格が感じられます。
中では神職の人が儀式を行っていました。
スーツ姿の若い夫婦と赤ちゃんもいましたので、恐らくお子さんの安らかな成長を願っての神事なのでしょう。
境内には穴牟遅と三穂津が夫婦であるという神話を意識し、縁結びということで桃色のベンチが置かれてもいました。
一夫一妻主義者であって須勢理毘売命こそ妻であるという立場の私からすれば苦々しいものです。
ですが、三穂津とは飽く迄も出雲姫なる巫女で、女性の部下であっても妻ではなかったと思うことにします。




