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神社紀行  作者: flat face
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宗忠神社

 京都の神楽岡にある宗忠神社は、府社にして黒住教の神社です。

 黒住教は備前岡山藩で神官をしていた黒住宗忠が江戸時代に開き、幕末三大新宗教に数えられる教派神道で、神道十三派の草分けとされています。

 宗忠は肺結核を患って臨死状態となりますが、冬至の朝に天照大御神との神秘的な合一を体験して蘇生しました。


 以後、彼は病気治癒の能力を獲得し、一方で天照の神徳を説いて絶大な支持を集めました。

 死線を病から蘇生してサイキック能力を獲得するのは、殆どの文化圏におけるシャーマン出現に共通します。

 幕末の神道リバイバルから出現した黒住教は民族的な新興宗教ですが、文化人類学的な見地からは太古からの普遍的な信仰に繋がると言えるかも知れません。


 宗忠が合一を体験した天照は、『東海道中膝栗毛』にも描かれた伊勢参りなどに見られる「生きた神」で、異端と紙一重のところにありました。

 それでいて黒住教は教義の内容が穏当だったので、京都の公家社会にも浸透し、神道元締めの吉田家から宗忠に宗忠大明神の神号が授与されました。

 宗忠神社も吉田神社の隣に建立され、明治維新で活躍する三条実美らも信者となり、孝明天皇が仰せ出した唯一の勅願所となりました。


 私は京阪電鉄の神宮丸太町駅で下車し、金戒光明寺の前を通って宗忠神社に参詣しました。

 金戒光明寺が浄土宗の大本山であるだけに周りには大きな寺院がちらほら見掛けられました。

 割りと歩いて急な坂も上り、正参道のところまで来ましたが、工事中であるために通れませんでした。


 仕方なく回り道しましたけれども正参道の入り口にある狛犬は見られました。

 それは逆立ちした備前焼のもので、全国でも余り見られないそうですが、ひょうげている感じがしました。

 勝手口のようにささやかな勅使門を抜けて境内に入りました。


 手水舎は自動で水が出るのに驚きました。

 それで手を洗い、社務所と教会所を兼ねる建物では「生きた狛犬」である白い忠犬コロを見掛けました。

 かなり大人しくて備前焼の狛犬の法が落ち着いていないように思えるくらいでした。


 正参道のところにある宗忠鳥居は裏から眺めました。

 神明鳥居の代表的な形式の一つらしいです。

 大変にシンプルな石造りで、それ故に典型とされたのでしょうか。


 宗忠神社は神明宮に天照が、本殿に宗忠が祀られ、拝殿から参拝することが出来ます。

 銅葺の入母屋造たる拝殿は神明宮と本殿より立派で、他を圧倒していました。

 もっとも、中には入れなかったため、屋内から建物の大きさを実感することは出来ませんでした。


 全体的な印象として宗忠神社は教派神道というよりも神社神道の神社のようでした。

 前に訪ねたサムハラ神社が教派神道の神社のようだったので、実際にそうであるところに赴いたのですが、神社神道のように感じられるのは幕末に創建されてサムハラ神社より古いからかも知れません。

 境内には東伏見宮の別邸であった料理旅館が隣接しており、同じ敷地に喫茶店もありましたので、そこでお茶を飲もうとしましたが、残念ながらお店は閉まっていました。


 ご飯はペルシャ料理のレストランで食べました。

 雑穀と野菜が入った薄めのスープを飲み、ラムの煮込みとピラフを食べ、最後はペルシアのチャイで締めました。

 古代において天照の神話が文書化されるようになってきた頃、日本にはペルシア人も渡来していましたが、彼らはどのような料理を口にしていたのでしょう。


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