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神社紀行  作者: flat face
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サムハラ神社

 サムハラ神社はサムハラ大神を祀る神社です。

 岡山県の津山市に伝承された古祠の由緒によればサムハラ大神とは天之御中主神・高皇産霊尊・神皇産霊尊の造化三神です。

 「サムハラ」は漢字のような神代文字で書かれたものをそう読むのですが、平田篤胤『仙境異聞』でも言及されているらしく、古来より災難消除・身体堅固の護符として伝わる符字であったそうです。


 そのような文字を伝えていた津山の古祠は、謂われのあるところでしたけれども年紀は不詳で、歳月の中に荒廃し、付近の住人から細々と崇敬されつつ、継がれていたとのことです。

 しかし、同地に出生した田中富三郎が奉賛会たるサムハラ信光会を催し、荒廃の古祠を再建しました。

 富三郎は日清・日露の戦役でしばしば難を逃れ、それは「サムハラ」の護符を奉持したお蔭と畏んだのですが、類似宗教として特高警察から自主撤去を求められ、祠は撤去されて信光会も解散となりました。


 第二次世界大戦では大阪師団の司令部を通じ、出征する兵士にお守りを贈呈して武運長久を願いました。

 戦後は改めて社殿を再建し、次いで大阪市の要人たちから賛同を得て、大阪の中之島にあった豊国神社の摂社として岡山より分霊されました。

 それが大阪にあるサムハラ神社で、岡山の社殿は元宮ないし奥宮と称せられました。


 大阪市役所の増築により豊国神社が大阪城の内に奉遷されますと、サムハラ神社も西区の立売堀に移築されました。

 私はその遷座されたサムハラ神社を参詣しました。

 大阪地下鉄の本町駅で下車しましたが、最寄りの出口まで上り下りもしながら割りと歩きました。


 地上に出てからは上り下りがなく、道が碁盤の目になっていましたので、地下よりもスムーズに進めました。

 神社には裏口から入りましたが、表ではないからか道が狭くて曲がりくねり、本当にここで合っているのか不安になりました。

 幸い本殿のあるところに出られ、そこでやっと自分が裏口から入ったと気付きました。


 本殿は意外とこぢんまりして地味で、富三郎の胸像も想像していたような豪傑というものではありませんでした。

 ですが、境内には参拝者の老若男女が次々に現れました。

 どうやらお守りやお祓いの効果が絶大らしく、特に御神環守は混雑や徹夜、違法駐車、転売などのせいで頒布がお休みになっていました。


 それでも、御朱印などを貰いに来る人々で社務所は賑わい、知り合いの病気が神社の奇跡で治ったと言ってお供えをするお婆さんもいました。

 中国語で書かれた御初穂表もありましたので、サムハラ神社はそちらの方々にも評判なのかと思いました。

 そのように広く知られているから、アニメの『ポプテピピック』でもネタにされたのでしょうが、巫女服を着た初音ミクの縫いぐるみも、社務所には置かれてありました。


 社務所には合気道塾が隣接しており、待合室のようになってもいました。

 そこには富三郎が護符を寄贈したことに対する陸軍師団の感謝状が掲げられてもありました。

 なお、合気道の創始者である武道家の植芝盛平も「サムハラ」にゆかりがあったとされます。


 盛平は大本教の本部に居住し、聖師の出口王仁三郎から精神的な影響を受けました。

 大本は教派神道の一つに数えられますが、サムハラ神社もある意味でそうなのかも知れません。

 有志の作成した冊子が社務所に置かれていましたが、そこで物語られる「サムハラ」の歴史は古史古伝を思わせ、神字が使用されている点も、神社神道とはまた違ったものを感じさせられました。


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