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神社紀行  作者: flat face
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坐摩神社

 坐摩神社は摂津国の一宮です。

 神功皇后が新羅より帰還の折に摂津の大江に奉祀したのが始まりとされています。

 神功は坐摩大神に教えられ、田蓑島の松枝に白鷺の群がるところを選び、坐摩を奉斎したとされるため、坐摩神社の神紋は鷺丸です。


 坐摩は生井神・福井神・綱長井神・阿須波神・波比岐神の総称で、斎部広成の『古語拾遺』によれば神武天皇が即位した時に神勅で宮中に奉斎したのが起源とされます。

 坐摩の名称は土地ないし居住地を守る居所知が転じたと言われていますが、坐摩神社は大阪城を築くに当たって豊臣秀吉に替え地を命じられ、寛永年間にも現在地に遷座し、境内社の陶器神社も高速道路の建設などで何度も立ち退きさせられています。

 私は大阪地下鉄の本町駅で下車し、坐摩神社へ参詣しに行きました。


 坐摩神社は町中にある神社ですが、思ったほど町の中に埋もれてはおらず、三ツ鳥居が存在感を放っていました。

 その時はたまたまであったのかも知れませんが、参詣者の方々意外ともいました。

 新天皇の即位を祝う幟などを横目に見ながら鳥居を潜りますと、これまた町中の割りに広々とした境内で、緑も結構ありました。


 社殿は大阪大空襲で燃えてしまったそうですが、戦後に鉄筋コンクリート造りで戦前の姿のまま復興されました。

 色合いが木材を思わせるからか、そこそこ風情がありました。

 中は石畳の面積が多いのが意外でした。


 大阪府神社庁のビルを横切り、「上方落語寄席発祥の地」の碑があるところを通り過ぎますと、火之迦具土神らが祀られている陶器神社に着きました。

 迦具土らは愛宕山将軍地蔵の名称で火除けの神として祀られ、陶器商人の守護神と仰がれました。

 灯籠が陶製であって由緒も陶器に書かれていたのが面白かったです。


 ただし、神功の創建した神社に陶器という組み合わせは不穏な気持ちにさせられます。

 秀吉は神功の故事を踏まえ、日本国に服属して入貢するよう李氏朝鮮に要求し、文禄・慶長の役では朝鮮の陶工が日本に連行されました。

 明治時代にも大日本帝国が大韓帝国を併合するのに神功が持ち出されました。


 明治天皇は大阪を行幸した際に坐摩神社へ親拝して相撲を天覧し、境内にはその石碑が置かれてあります。

 坐摩神社は明治天皇が生まれる時に宮中より祈願があり、秋季の大祭に皇子が降誕しました。

 神功も応神天皇の安産を坐摩神社に祈願しています。


 応神天皇を妊娠して出産した経緯など神功は神秘に包まれ、そのままでは実在を信じがたい人物ですが、好太王碑や職貢図によれば倭国の勢力が朝鮮半島まで伸びていたようです。

 これはヨーロッパよりも遅れているとされたロシアが欧州に進出したのと似たようなものでしょうか。

 神功は差し詰め倭のエカチェリーナ二世と言えるかも知れません。


 坐摩神社を参拝した後は、大阪産の食材を使っている料理屋さんで食事しました。

 そこでは上神谷の米を用いた日本酒が飲めました。

 堺にある上神谷は、天照大神が鳳凰に姿を変えて降臨したそうです。


 口に入れた時はきつく感じられましたが、喉を抜けるアルコールはフルーティーで、舌で転がせばまろやかでした。

 八尾の枝豆は薄味の中に仄かな甘味があって食べやすく、ほくほくしたところが芋のようで、大阪ウメビーフはステーキでもあっさりしており、サラダ感覚で平らげることが出来ました。

 魚庭あこうの塩焼きは弾力のある鱈のようであって上品な味わいでした。


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