八坂神社
八坂神社は祇園信仰の中心とされていた神社です。
祇園信仰とは祇園精舎の守護神である牛頭天王に対する信仰です。
祇園精舎とは天竺の舎衛国に須達長者が釈尊のために建てた寺ですが、インドには天王に対しての信仰はありません。
天王は日本の神仏習合において信じられた神で、祇園信仰における「祇園」は「地祇の園」をも意味します。
八坂神社は円如なる僧が建立し、僧侶が神事を行い、感神院ないし祇園社と称しました。
「八坂」は神社が建てられた八坂郷に由来し、そこにいた八坂造の一族は、高句麗より来朝した使節の子孫で、その使節は八坂郷に高い柱たる蘇塗を立てて神を奉斎したそうです。
蘇塗の頂上には鈴や太鼓が懸けられて聖地の標示とされたのですが、蘇塗の頂上を意味する韓国語の「ソシモリ」に漢字を当てましたら、牛頭山や曽尸茂梨になります。
『日本書紀』には素戔嗚尊が新羅の曽尸茂梨に降ったと記されています。
当初、八坂神社の祭神は天神とだけ呼称されましたが、恐らく八坂造との縁から天王が習合し、後から素戔嗚も加わったのでしょう。
しかし、八坂神社に参拝して神社の看板を見たところ、天王を祭神としたのは、一時の間違いであるかのように書いてありました。
私は阪急電鉄の河原町駅で下車し、八坂神社へ参詣しに行きました。
繁華街に来てみましたら、やはり京都は他の観光地と規模が違うなと感心させられました。
西楼門から境内に入りましたが、建物では西門が最も美しかったです。
そこだけが朱と白に加え、緑も配していたからでしょうか。
ですが、かつて別棟であった二つの建造物を合わせて一棟の屋根で覆った本殿の祇園造りも、他に類例のない建築様式らしく、本殿が植物のように別棟を呑み込んだ姿は印象的で、木の根に覆われたワット・マハータートの仏頭が思い出されました。
その本殿はかつて中の座に天王が、西の座に彼の后である波利采女が、東の座に天王と波利采女の子供たちたる八王子権現が祀られていました。
彼らは陰陽道において道教の神とも結び付いて天王は天刑星ないし天道神の、波利采女は歳徳神の、八王子は八将軍の属性を持ちました。
中国の神である天刑神は疫病を取って食うと信じられ、韓国には牛頭山なる山があり、そこでは熱病に効果のある栴檀を産したそうです。
八坂神社も防疫に霊験があると信じられ、疫神のもたらす災厄を鎮める祇園御霊会は、祇園祭として現代まで続いています。
応仁の乱で祇園祭は途絶えますが、十六世紀から十七世紀に復興し、海外との交易も盛んになったので、輸入された染織品で祭礼が装飾されました。
染織品には中国や朝鮮、インド、トルコ、ペルシア、インド、ベルギー、コーカサス、フランス、イギリス、ロシアなど世界中から渡来した貴重品もあります。
それらは謡曲や神仏信仰の来歴、中国や日本の故事、ギリシア神話、ローマ史話、『旧約聖書』などが題材とされています。
祇園祭が神道や仏教、儒教、道教、果てはキリスト教まで混然と融合したものであったと分かります。
真にそれは天王の来歴に相応しい装飾です。
帰りに私は天王への信仰があったかも知れない朝鮮半島に思いを馳せるべくマッコリを飲んで韓国冷麺を食べました。
韓国の冷麺は日本のものと食感が異なり、付け合わせの肉もチャーシューのごときものかと思いきや豚足のようでした。
この予想外もまた異文化。




