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神社紀行  作者: flat face
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安居神社

 安居神社は非常な古社で、古文書が散逸したせいで詳かではありませんが、最初は少彦名命が奉祀されていたそうです。

 彦名は医薬禁厭や智慧の神とされています。

 そのような神を祀る神社に学問および文化の神である菅原道真も合祀されたのは、奇縁というものでしょうか。


 道真は太宰府へ左遷される途上、海上の浪が荒く、暫し休憩して安居神社にも立ち寄りました。

 安居神社は四天王寺の僧侶がそこで夏安居をしていたため、そう名付けられたとも伝えられます。

 境内では天王寺七名水の一つたる「癇鎮めの井」が湧出し、道真も口にしたと言われ、休憩を意味する「安井」が「安居」になったともされています。


 そのような旧跡として道真も合祀した安居神社は安居天満宮とも呼ばれ、大丸の業祖たる下村彦右衛門はその神徳を厚く被って繁栄したとされます。

 それ故に大丸天神とも称されます。

 しかし、安居神社はまた別の歴史人物との関わりによって有名です。


 「大坂夏の陣」で徳川方に討たれた真田幸村は、安居神社の境内にある一本松の下で戦死しました。

 当時の松は既に枯死しましたが、社殿の復興を機に記念で植樹されました。

 安井神社の建物は大東亜戦争の災禍で一切が烏有に帰しましたが、大丸を始めとした奉賛者の寄進によって復興しました。


 幸村は祭神となっていないのに、幸村祭が盛大に行われてもいます。

 私は大阪地下鉄の天王寺駅で下車して安居神社を参拝しました。

 向かいに一心寺のある出入り口から入り、狭い通りを抜け、記念の石碑や幸村の銅像があるところに出ました。


 碑にはペットボトル飲料などが供えられ、社務所には真田十勇士のポスターが貼られており、幸村の人気を窺わせます。

 像は腰を下ろしたもので、寛いでいるようにも見えました。

 実際、安居神社はこぢんまりとしたところで、木々が生い茂って天王寺区の喧噪と隔絶しており、臥牛の石像も微睡んでいるかのようでした。


 それらは永眠の地に相応しいものであるのかも知れません。

 「真田幸村公 終焉の地」という幟が立ってもいました。

 ですが、引っ掛かるところもありました。


 安井神社は彦名を奉祀した神社として始まりました。

 しかしながら、彦名は幸村と比較しては勿論、道真と比べても存在感が薄いです。

 それを象徴するかのごとく安井神社の本殿は小さくて地味で、幸村の像より目立たないかも知れません。


 もっとも、そのことは神社の変遷について考える上で興味深いとも言えそうです。

 そもそも、神社に奉祀されるのは天神地祇でした。

 人間が祀られるようなことはなく、『古事記』には現人神の雄略天皇が一言主神に礼を尽くしたと書かれています。


 ところが、怨霊を御霊として祀ることで鎮める御霊信仰が登場しますと、人も祭神となりました。

 その典型であるのが道真です。

 ただし、飽く迄もそれは怨霊を鎮めるためのものでした。


 偉人を顕彰する奉祀は、吉田兼倶が先鞭を付け、豊臣秀吉と徳川家康が祀られることで確立されました。

 祭神になってこそいませんが、安居神社における幸村の顕彰もその流れにあると言えましょう。

 つまり安居神社は実質的にはそれぞれ種類の異なる祭神がおり、種類の登場した順番が後である祭神ほど目立っているのです。


 それは新しい地表ほど表に出ているようなものでしょうか。

 散逸した古文書には更に古い地層があったかも知れません。

 今となっては夢物語ではありますけれども。


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