城南宮
城南宮は平安京への遷都に際し、都の安泰と国の守護を願って創建されました。
平安城の南に鎮まるお宮を意味し、国之常立神・大穴牟遅神・神功皇后が城南大神として崇められました。
白河上皇や鳥羽上皇によって城南宮を取り囲むように城南離宮が造営されますと、離宮の鎮守となりました。
遷都のようであると言われた城南離宮の造営は、当時における最高の技術が駆使されて広大で、院政の拠点として政治・文化の中心となり、城南祭も神輿行列だけではなく、流鏑馬や競馬も行われて大いに賑わいました。
「錦の御旗」は後鳥羽上皇が城南離宮の馬場で行われる流鏑馬に事寄せて兵を募り、赤色の錦の旗を武将たちに授けたのが最初であると言われます。
明治維新の時に城南宮の参道からの砲撃によって鳥羽・伏見の戦いが始まりますと、この「錦の御旗」が翻り、官軍となった薩摩兵らの士気を高め、幕府軍に勝利を収めさせました。
鳥羽・伏見の戦いから始まる戊辰戦争で有栖川宮熾仁親王が政府軍の東征大総督となりましたが、その父である有栖川宮幟仁親王が染筆し、「城南離宮」の扁額が城南宮の東の鳥居に掛かっています。
京都市営地下鉄を竹田駅で下車した私は、西の鳥居から参拝しました。
城南宮に到着するまで些か歩きましたが、道すがら鳥羽天皇陵や白河天皇陵、縁の寺院などを見ることが出来ました。
境内はそれほど広いように思えませんでしたが、かなり整備されており、神社として空間の密度は濃いように感じられました。
城南宮に特有の城南宮鳥居は柱下に饅頭がありました。
島木と笠木の上に黒の屋根が葺かれ、日・月・星を表した「三光の紋」が刻まれてあります。
「三光の紋」は神功の軍船に刻まれていたものです。
昼夜を問わずに神徳が得られる神紋と言われます。
すらっと滑らかな姿から金属的な印象を受けました。
平安時代の建築様式を模した本殿や神楽殿も、木造でありながらも硬質な感じがしました。
しかし、寒々としたところはなく、七五三の時期であったため、神職の人や巫女さんが忙しそうにしており、アニメのキャラクターを描いた看板が置いてありました。
本殿は裏側にも回れ、そこは「源氏物語 花の庭」なる神苑と接していました。
「源氏物語 花の庭」は『源氏物語』に描かれた草木が植栽され、「曲水の宴」が行われております。
白河上皇は『源氏物語』に触発され、城南離宮の造営に取り組んだと言われます。
「曲水の宴」は奈良時代から平安時代にかけて宮中で催された歌会が再現されています。
城南宮は平安時代より熊野詣の精進所や方違の宿所にも充てられ、上皇や貴族が方位の災厄から無事であるよう祈願しました。
それから今まで「方除の大社」と仰がれており、引越・工事・旅行の安全や厄除が願われ、車のお祓いもなされています。
ご祭神の国之常立が「艮の金神」であるとされてもいるのを考え合わせますと、奇妙な因果を感じさせられます。
「艮の金神」は最も恐ろしい鬼門の方位にわだかまる祟り神です。
ですが、出口王仁三郎はそのような悪神を国之常立に他ならないと主張したばかりか、その復活によって世界の根本的な立て替え・立て直しが起こると『霊界物語』で唱えました。
金光大神も『金光教大神御覚書』で「艮の金神」を世界の氏神たる天地金乃神として理解しました。




