第53話 『再起動派』
風が強かった。
竜境を離れる準備を進める野営地。
断崖の縁を吹き抜ける風が、焚き火の火を揺らしている。
空は曇っていた。
どこか落ち着かない灰色だった。
「……」
悠は崖の向こうを見ていた。
深層断裂域。
あの巨大な反応。
今も頭から離れない。
ゼロスとの会話も。
あの静かな声も。
消えなかった。
――救済と延命は違う
胸の奥に、小さな棘みたいに残っている。
焚き火の向こうでレオンが荷物をまとめていた。
「王都まで急ぐぞー」
いつも通りの声だった。
それが少し救いでもある。
リアは旅地図を畳みながら眉を寄せている。
「でも、こんな急ぎで戻るなんて初めてかも……」
フィオはノクスを抱えて静かだった。
彼女も感じているのだろう。
空気が違う。
旅の終わりではない。
何かの始まりだ。
ノクスだけはよく分かっていなかった。
「親! 移動!」
「……うん……」
「旅!」
「……そう……」
元気だった。
それはそれでありがたい。
セレスティアが通信結晶を閉じる。
白銀の鎧が朝光を受けて鈍く光った。
彼女の表情は硬い。
「王都からの返信です」
空気が少し張る。
「……早い……」
悠が小さく言う。
「ええ。異常なほどに」
セレスティアは短く息を吐いた。
「……各国が動いています」
嫌な予感しかしなかった。
その時。
イヴのログが視界へ浮かんだ。
接続要求承認
情報更新
白い文字。
アーカイブ通信。
相変わらず前触れがない。
『情報更新を確認』
淡々とした声。
頭の中へ直接響く。
「……イヴ」
リアたちはもう慣れていた。
突然の独り言扱いも減った。
慣れとは怖い。
『対象:ゼロス』
空気が静かになる。
『観測記録拡散を確認』
「……拡散?」
『はい』
視界にログが広がった。
大陸地図。
無数の光点。
各国。
都市。
通信網。
そして。
高速で広がる記録。
悠は息を止める。
「……これ……」
『ゼロス存在情報』
『および再起動理論』
焚き火が小さく弾けた。
レオンが顔を上げる。
「……おい」
イヴは続ける。
『各国上層部へ伝播済』
『思想分裂発生』
「思想……?」
リアが呟く。
ログが切り替わった。
再起動支持層
修復支持層
対立発生予測:上昇
悠は目を瞬かせる。
何が起きているのか。
理解が少し遅れる。
イヴは説明した。
『世界寿命情報』
『再起動理論』
『管理機構老朽化』
『以上が接触記録経由で拡散』
つまり。
世界はあと三年。
修復は不明。
だが。
再起動すれば世界は作り直せる。
その情報が広まった。
「……」
悠は嫌な沈黙を感じた。
セレスティアが低く言う。
「……早すぎます」
『意図的拡散の可能性:高』
「ゼロス……」
フィオが小さく呟いた。
焚き火の向こうでレオンが腕を組む。
「で」
豪快な声。
「再起動派って何だ?」
イヴのログが整理される。
再起動派
現世界終了容認
新世界生成支持
修復派
現世界存続優先
修復模索
悠は黙った。
文字を見る。
簡単に書かれている。
でも。
意味は重い。
レオンが眉をひそめる。
「……待て」
「……」
「つまり世界ごと作り直せばいいって考える奴らが出たのか?」
『はい』
静かな肯定。
リアが顔を青くする。
「そんな……」
イヴは感情なく続けた。
『合理主義層』
『一部議会』
『苦痛終末回避思想』
『支持増加傾向』
フィオがノクスを抱く手に力を入れた。
「……でも……それって……」
声が小さい。
「……みんな……」
消える。
世界が消える。
言葉にしなくても分かった。
悠は視線を落とした。
ゼロスの言葉を思い出す。
理屈。
合理。
否定しきれなかった。
実際。
世界は壊れかけている。
三年。
もし修復できないなら。
なら――
「親?」
ノクスが服を引っ張った。
悠は我に返る。
「……あ……」
「親、暗い?」
「……」
レオンが空気を変えるように笑った。
「まぁ落ち込むのは後だ」
「……」
「まず帰って話聞くしかねぇだろ」
豪快だった。
単純。
でも。
少し助かる。
セレスティアは通信結晶を握る。
「王国も無関係ではいられません」
声が硬い。
「むしろ中心になるでしょう」
「……」
「世界存続か、更新か」
風が吹く。
嫌な言葉だった。
更新。
ずいぶん軽く聞こえる。
なのに。
意味は終末だ。
旅支度は急ぎになった。
馬車。
飛竜便。
各国連絡。
慌ただしい。
旅の終わりというより。
戦前準備みたいだった。
その途中。
リアが小さく隣へ来る。
「……ユウ」
「……?」
「大丈夫?」
聞かれて。
悠は少し止まった。
大丈夫。
便利な言葉だ。
でも。
今回は。
「……分からない……」
正直に出た。
リアは驚かなかった。
「そっか」
「……」
「私も」
少し笑う。
無理した笑顔じゃない。
不安を認める笑顔だった。
それを見て。
悠は少しだけ肩の力を抜く。
だが。
休む時間は長くなかった。
昼過ぎ。
セレスティアの結晶が強く光った。
彼女の表情が変わる。
「……!」
全員が見る。
通信。
緊急。
嫌な予感。
セレスティアは短く内容を読み。
静かに顔を上げた。
「王都からです」
声が重い。
「緊急召集命令」
悠の背筋が冷えた。
「……また……?」
「はい」
間。
そして。
「議会・軍・教会合同会議」
嫌な単語が並んだ。
レオンが苦笑する。
「おお」
「……」
「面倒そうだな」
面倒どころではない。
悠の顔色は既に悪かった。
議会。
軍。
教会。
社会ラスボス三連戦である。
しかも合同。
(……無理……)
心が即座に撤退を開始する。
だが。
セレスティアの次の言葉が空気を変えた。
「議題は一つ」
風が止んだ。
「――世界存続方針について」
沈黙。
焚き火が小さく揺れる。
遠く。
灰色の空。
悠は思った。
(……なんで……)
村から始まったはずだった。
森。
薬草。
会話。
それだけで精一杯だった。
なのに。
どうして。
世界規模の話になっているんだろう。
答えはない。
ただ。
馬車はもう準備されていた。
王都への道。
再び。
大きな流れが。
彼らを待っていた。




