第52話 『壊れた記録』
遺跡の広間は。
静まり返っていた。
空中へ浮かぶ世界地図。
赤い亀裂。
崩壊予測。
そして。
ゼロスの言葉。
――救済と延命は違う。
その余韻だけが。
冷たく残っている。
誰も。
すぐには話せなかった。
悠も。
声が出ない。
視界には。
まだ崩壊ログが浮かんでいた。
残存期間予測
2.96年
三年。
短い。
あまりにも。
胸の奥が重かった。
ゼロスは急かさない。
穏やかな顔のまま。
ただ。
悠を見ていた。
まるで。
答えを待つ教師みたいに。
「……」
悠はゆっくり視線を落とした。
……合理的。
その言葉が頭に残る。
もし。
本当に。
世界が壊れていて。
修復できなくて。
全部終わるだけなら。
再起動は。
理屈として間違っていない。
むしろ。
管理機構の発想としては。
正しいのかもしれない。
壊れた世界。
停止した機能。
更新。
再構築。
システムなら。
そうする。
……でも。
悠は唇を噛んだ。
胸の中で。
別の景色が浮かぶ。
◇
ルーン村。
夕暮れ。
畑。
薪の匂い。
ドルフの不器用な優しさ。
『飯は?』
低い声。
大きな背中。
リアの笑顔。
『また来てね』
あの言葉。
胸の奥に。
まだ残っている。
エルド市。
ギルド。
レオンの笑い声。
『新人か?』
気楽な距離感。
無理に踏み込まない優しさ。
フィオ。
震えながらも。
少しずつ笑えるようになった少女。
王都。
アルト。
『君が誰でもいい』
セレスティア。
監視役だった騎士。
でも。
今は。
ちゃんと人として見てくれている。
ノクス。
『親!』
……兵器なんかじゃない。
全部。
記録じゃない。
数字でもない。
生きていた。
悠の胸が少し痛む。
ゼロスは静かに言った。
「迷っているな」
「……」
「当然だ」
責める声ではない。
穏やかだった。
「君は記録を見る」
「構造を知る」
「だから」
「感情だけでは選べない」
……その通りだった。
悠は。
否定できない。
世界の仕組みを知ってしまった。
壊れていることも。
終わりが近いことも。
知らなければ。
ただ叫べたかもしれない。
でも。
今は。
理屈が分かってしまう。
それが苦しかった。
リアが震える声で言う。
「……ユウ……」
悠は顔を上げた。
リアは。
不安そうだった。
でも。
逃げていない。
「……諦めるの?」
その問いに。
胸が強く揺れる。
諦める。
……簡単な言葉だった。
でも。
重かった。
レオンが腕を組む。
「俺は難しい話は分からん」
珍しく。
真面目な顔だった。
「でもな」
「全部壊して作り直すって話を」
「はいそうですかって飲めるほど」
「達観してねぇよ」
フィオも小さく頷く。
毛布を握る指が震えている。
「……私……消えたくない……」
小さな本音。
でも。
強い言葉だった。
アルトは静かに言う。
「正しさって」
「一つじゃないと思う」
ゼロスは彼を見る。
否定しない。
観察している。
そんな目だった。
セレスティアは剣を下ろさないまま。
低く言った。
「私は王国騎士だ」
「守るために剣を取った」
「世界ごと放棄する選択は認めない」
ゼロスは少しだけ目を細める。
「理解できる反応だ」
「……」
「だが」
視線は。
悠へ戻る。
「決めるのは君だ」
その言葉に。
全員が静かになった。
悠。
自分。
……なんで。
そんな立場なんだろう。
まだ。
人と話すのだって。
苦手なのに。
王都も怖かった。
会議も嫌だった。
人混みも。
視線も。
今でも苦手だ。
でも。
悠は思う。
少し前の自分なら。
たぶん。
ここまで来ていなかった。
一人だった。
閉じていた。
世界なんて。
どうでもいいと思っていたかもしれない。
……でも。
今は違う。
胸の奥に。
残っているものがある。
帰りたい場所。
会いたい人。
守りたい景色。
それを。
知ってしまった。
悠はゆっくり顔を上げる。
ゼロスを見る。
酷似した顔。
静かな瞳。
どこか。
自分の未来みたいにも見えた。
「……俺……」
喉が少し震える。
でも。
止まらなかった。
「……分かる……」
ゼロスは黙って聞いている。
「……理屈……」
「……正しい……かも……」
リアが息を呑む。
でも。
悠は続けた。
「……でも……」
視線が揺れる。
それでも。
言う。
「……まだ……」
胸の奥。
あの言葉。
また来てね。
帰ります。
全部。
繋がっていた。
「……諦めたく……ない……」
広間が静まる。
ゼロスは何も言わない。
悠は。
自分でも驚くほど。
はっきり言った。
「……村も……」
「……街も……」
「……王都も……」
「……仲間も……」
息を吸う。
「……全部……あるから……」
沈黙。
長い。
静かな時間。
そして。
ゼロスは。
失望しなかった。
怒りもない。
ただ。
少しだけ。
目を細める。
観察者の顔。
「……そうか」
穏やかな声。
「その答えを選ぶか」
悠は頷く。
怖かった。
間違っているかもしれない。
でも。
……それでも。
ゼロスは静かに笑った。
「悪くない」
「……」
「私は否定しない」
その言葉に。
悠は少し意外そうな顔になる。
ゼロスは続けた。
「感情による選択も」
「記録される価値がある」
そして。
一歩下がる。
黒衣が揺れた。
「なら」
その瞳が。
静かに悠を見る。
「証明しろ」
空間が震えた。
次の瞬間。
広間全体へ黒銀のログが走る。
警告
深層断裂域反応増大
全員が顔を上げる。
世界地図。
赤い一点が。
急速に広がっていた。
大陸北東。
巨大な裂傷。
ログが明滅する。
最大崩壊反応確認
深層断裂域
悠の背筋が冷えた。
ゼロスはそれを見る。
まるで。
最初から知っていたように。
「始まる」
静かな声。
そして。
黒衣の青年は。
最後に。
穏やかに言った。
「希望が延命ではないと」
「君が証明できるなら」
光。
空間が揺れる。
ゼロスの姿が。
霧のように薄れていく。
「……待っ……」
悠が声を出した時には。
もう。
そこには誰もいなかった。
残ったのは。
赤く染まる世界地図だけ。
深層断裂域。
最大崩壊反応。
そして。
悠の胸の中に残る。
静かな決意だった。




