第50話 『ゼロス』
翌朝。
空は薄曇りだった。
竜境の風は相変わらず冷たく。
谷の岩肌を静かに撫でている。
昨夜の観測異常。
あの人影について。
結局。
誰も正体を掴めなかった。
悠も。
夢だったのかもしれないと考えた。
……考えようとした。
けれど。
ログは確かに反応していた。
偶然とは思えない。
「親ー!」
ノクスが頭上を旋回する。
少し気が逸れた。
悠は荷物を背負う。
今日は移動日だった。
竜境を抜け。
次の調査地点へ向かう。
古竜から示された。
旧時代の観測遺跡。
管理機構関連の痕跡が残っている可能性がある場所。
朝食を終え。
一行は出発した。
◇
数時間後。
遺跡は断崖の奥に現れた。
「……すご……」
リアが思わず声を漏らす。
岩山の中腹。
巨大な石造構造物。
半ば崩れ。
半ば埋もれ。
それでも。
異様な存在感を放っていた。
自然物じゃない。
明らかに。
誰かが造ったもの。
古代文字。
黒い柱。
風化した門。
そして。
地面の下から微かに響く振動。
悠は立ち止まる。
視界にログ。
記録照合中
旧観測施設反応確認
(……管理系……)
アステラと似ている。
でも。
少し違う。
もっと古い。
もっと。
静かだった。
セレスティアが周囲を警戒する。
「警戒を」
白銀の鎧が鳴る。
「この種の遺跡は魔物の巣になっている場合があります」
レオンは肩を回した。
「冒険っぽくなってきたな」
「……十分……冒険……」
悠は小さく返す。
フィオは少し落ち着かない様子で周囲を見る。
「……嫌な感じする……」
深層反応だろうか。
彼女はこういう時。
妙に勘が鋭い。
アルトも遺跡を見上げていた。
「観測施設、か……」
知的好奇心が顔に出ている。
「古代文明って本当にあったんだね」
「……うん……」
あった。
しかも。
思ったより。
機械的に。
一行は慎重に内部へ入った。
◇
遺跡内部は。
静寂だった。
高い天井。
崩れた通路。
黒石の壁。
時折。
淡い光が床を流れていく。
生きている。
いや。
眠っている施設。
そんな印象だった。
悠だけが。
少し違う感覚を覚えていた。
……視線。
誰かに見られている。
そんな感覚。
「……?」
足を止める。
ログが微かに揺れる。
異常観測
昨夜と似ていた。
その時。
前方の広間へ出る。
巨大な円形空間。
崩れた観測台。
天井には穴。
白い光が差し込んでいる。
そして。
そこに。
人影が立っていた。
全員が止まる。
「……誰だ」
セレスティアの声。
剣へ手がかかる。
黒衣。
青年だった。
年齢は。
悠とそう変わらない。
黒髪。
細身。
穏やかな立ち姿。
だが。
異様だった。
悠は息を止める。
「……え……」
似ている。
顔。
雰囲気。
目元。
……自分に。
酷似していた。
空気が張り詰める。
ノクスが低く唸る。
「……親……」
フィオが悠の袖を掴む。
セレスティアは完全に警戒態勢だった。
「所属を名乗れ」
青年は。
静かにこちらを見る。
穏やかな目だった。
敵意は。
ない。
……はずなのに。
背筋が冷える。
その視線が。
真っ直ぐ。
悠へ向く。
そして。
青年は微笑んだ。
「久しぶりだ」
空気が止まる。
悠は瞬きをした。
久しぶり。
誰に?
「……誰……?」
小さく聞く。
本当に。
分からなかった。
青年は少し首を傾げる。
まるで。
不思議そうに。
「覚えていないか」
「……」
「そうか」
声は穏やかだった。
落ち着いている。
怒りもない。
焦りもない。
……それが逆に怖い。
レオンが前へ出る。
「知り合いか?」
「……知らない……」
悠は即答した。
本当に。
会った記憶がない。
青年はレオンを見る。
それから。
視線を戻した。
「警戒しなくていい」
その言葉に。
セレスティアの警戒はむしろ強まった。
「その台詞で警戒が解ける者はいない」
正論だった。
青年は小さく笑う。
「それもそうだ」
アルトが静かに観察していた。
彼も気づいている。
似ている。
外見だけじゃない。
……空気が。
悠と似ている。
でも。
決定的に違う。
悠は。
怯えながら人を見る。
この青年は。
人を見ながら。
怯えていない。
むしろ。
全部知っているような顔だった。
悠の視界に。
ログが走る。
認識不能個体
記録照合失敗
失敗。
アーカイブでも珍しい表示。
悠の背筋に冷たい汗が流れる。
青年はそれを見たように。
静かに言った。
「当然だ」
「……」
「君の記録には残っていない」
空気が重くなる。
フィオが不安そうに呟く。
「……誰……?」
青年は答えた。
「ゼロス」
その名前が。
遺跡に静かに響いた。
ゼロス。
聞いたことはない。
でも。
どこか。
胸の奥がざわつく。
ゼロスは悠を見つめる。
優しい顔だった。
……なのに。
底が見えない。
「会いたかったよ」
「……」
悠は何も言えない。
ゼロスは一歩だけ近づいた。
セレスティアが剣を抜く。
「止まれ」
金属音。
だが。
ゼロスは気にも留めない。
その視線は。
ずっと悠へ向いていた。
そして。
穏やかな声で。
言った。
「君は知るべきだ」
悠は息を呑む。
何を。
そう聞く前に。
ゼロスは微笑んだ。
「……君の失敗作だよ」
その言葉に。
遺跡の空気が。
凍りついた。




