第49話 『感情と記録』
竜の谷の夜は静かだった。
昼間の強風が嘘みたいに弱まり。
空には。
無数の星が広がっている。
谷の岩棚。
焚火が小さく揺れていた。
古竜との会談から半日。
一行はその近くで野営をしていた。
古竜は敵ではなかった。
けれど。
話の内容は重かった。
世界は老いている。
そして。
ノクスは。
終末対応個体。
世界修復兵器。
……らしい。
悠は火を見つめる。
「……」
まだ。
整理できていない。
視界の端では。
ノクスが丸くなって寝ていた。
小さな寝息。
尻尾が時々動く。
……兵器。
(……見えない……)
どう見ても。
寝相の悪い子竜だった。
◇
少し離れた場所。
フィオが座っていた。
膝を抱えて。
谷の夜景を見ている。
悠は迷った。
話しかけるか。
いや。
邪魔かもしれない。
でも。
なんとなく。
放っておけなかった。
ゆっくり近づく。
フィオは気づいて。
少し顔を上げた。
「……ユウ」
「……隣……いい……?」
小さく聞く。
フィオはこくりと頷いた。
「……うん」
悠は隣へ座った。
しばらく。
沈黙。
気まずいわけじゃない。
むしろ。
この沈黙は少し楽だった。
焚火の音。
遠くの風。
星。
フィオが先に口を開く。
「……怖かった?」
「……」
問い。
悠は少し考えた。
「……古竜……?」
「……ノクス」
そっちだった。
悠は寝ている黒竜を見る。
「……少し……驚いた……」
「……うん」
フィオは小さく頷く。
「……私も」
風が吹く。
彼女は視線を落とした。
「……兵器って……嫌だね」
悠は黙る。
「……誰かが決めた名前」
「……怖い名前」
その声は。
少しだけ苦かった。
悠は思い出す。
フィオ自身も。
深層遺物保持者として。
危険視された。
管理対象。
保護対象。
問題個体。
名前をつけられる側だった。
「……でも」
フィオはノクスを見る。
「……ノクスはノクス」
悠は小さく目を見開いた。
……同じことを。
考えていた。
「……うん……」
その返事に。
フィオは少し笑った。
静かな笑顔だった。
◇
その夜。
悠は少し離れた岩場へ出ていた。
星空。
谷の冷たい風。
皆は眠っている。
たぶん。
……レオンはまだ起きているかもしれない。
寝るのが遅い。
その時。
視界へ白いログが浮かぶ。
通信接続要求
悠は瞬きをした。
「……イヴ……?」
光。
空間が少し揺れる。
白い粒子。
そして。
いつものように。
少女の姿が現れた。
白髪。
無表情。
夜の星空の下でも。
彼女だけ少し現実感が薄い。
「こんばんは」
「……こんばんは……」
挨拶。
成立した。
少しだけ。
慣れてきた気がする。
イヴは淡々と言う。
「定期接続確認です」
「……定期……」
「はい」
事務連絡みたいだった。
いつも通り。
悠は少し安心する。
イヴは周囲を見た。
「竜境到達を確認」
「……うん……」
「古竜接触も記録済みです」
「……早い……」
「リアルタイム記録ですので」
当然みたいに言う。
相変わらず。
スケール感がよく分からない。
少し沈黙。
悠は何となく聞いた。
「……イヴ……」
「はい」
「……ノクス……兵器……なの……?」
イヴは即答しなかった。
珍しい。
数秒。
間。
「……分類上は」
それから。
淡々と続ける。
「終末対応個体」
「世界修復補助機能」
「高位環境制御能力」
記録。
定義。
事実。
それだけを並べる声。
「……つまり……兵器……?」
「用途定義としては近似します」
近似。
柔らかく言った。
……気がする。
悠は視線を落とす。
「……でも……」
「……?」
「……ノクス……だよ……?」
イヴは黙った。
風が吹く。
白い髪が揺れる。
「……理解困難です」
正直だった。
「分類と感情評価が一致しません」
悠は少し苦笑する。
「……うん……」
それは。
イヴらしい答えだった。
その時。
背後から小さな声。
「……ユウ?」
フィオだった。
眠れなかったのか。
毛布を抱えている。
そして。
イヴを見た瞬間。
止まった。
「……え……」
悠。
イヴ。
交互に見る。
「……誰……?」
あ。
説明が必要だった。
難しい。
非常に。
悠が口を開く前に。
イヴが答えた。
「記録精霊イヴです」
「……精霊……?」
「管理補助担当」
余計難しくなった。
フィオは少し警戒した。
でも。
怖がってはいない。
むしろ。
不思議そうだった。
イヴも。
フィオを見ている。
白い瞳。
観察。
「深層共鳴反応保持個体」
フィオが少し身を固くした。
イヴは続ける。
「感情波形が不安定です」
「……っ」
フィオはむっとした。
「……失礼」
「事実確認です」
「……失礼!」
即答。
珍しく。
フィオが少し怒っていた。
イヴは首を傾げる。
「……?」
分かっていない。
完全に。
悠は二人を見る。
……対照的だった。
フィオ。
感情。
不安。
怒り。
嬉しさ。
全部が顔に出る。
イヴ。
記録。
定義。
事実。
感情より情報。
まるで逆。
でも。
どちらも。
悪いわけじゃない。
フィオは少し膨れながら言う。
「……私……そんなに不安定……?」
「はい」
「……即答……」
「深層反応変動率が平均の――」
「数字やめて……」
フィオが毛布に顔を埋める。
悠は少し笑いそうになった。
イヴは本当に分からない顔だった。
「……問題発言でしたか?」
「……少し……」
「記録します」
素直だった。
フィオは小さくため息をつく。
そして。
少しだけイヴを見る。
「……イヴは」
「はい」
「……悲しいとか……あるの?」
夜風が止まる。
イヴは沈黙した。
「……定義困難です」
「……ない?」
「……判別不能です」
曖昧だった。
フィオは少し考える。
「……私はいっぱいある」
「確認済みです」
「……だからその言い方……」
また少し膨れる。
悠は二人を見ながら。
ふと思った。
感情。
記録。
どっちが人を形作るんだろう。
イヴみたいに。
全部を正確に記録できても。
それだけで人なのか。
フィオみたいに。
感情だけで揺れても。
それだけで人なのか。
たぶん。
どっちかじゃない。
……そんな気がした。
その時だった。
視界端。
ログが。
小さく揺れた。
観測異常
「……?」
悠は顔を上げる。
谷の上。
遠い岩峰。
そこに。
何かいた。
人影。
黒い。
星空の中。
こちらを見ている。
ほんの一瞬。
目が合った。
そして。
影は。
音もなく消えた。
悠の背筋を。
冷たいものが走った。




