第48話 『黒竜の子』
谷の風が。
静かに吹いていた。
古竜は。
動かなかった。
巨大な金色の瞳だけが。
ノクスを見つめている。
その視線は。
敵意ではない。
だが。
明らかな動揺だった。
「……何故」
古竜の低い声が響く。
「何故、それが……生きている」
「それ?」
リアが首を傾げる。
ノクス本人――本竜?――はまったく緊張感がなかった。
「大きい!」
ぱたぱた。
空中で羽ばたいている。
古竜は。
なおも見つめる。
長い沈黙。
そして。
「……降りてこい」
その言葉と共に。
巨大な身体が動いた。
岩が軋む。
古竜は断崖からゆっくり降下し。
谷底近くの平坦な岩場へ降り立った。
轟音。
風圧。
土煙。
悠は反射的に一歩下がった。
(……近い……)
大きい。
非常に。
改めて。
近距離で見ると山だった。
黒金の鱗。
長い角。
傷跡。
その身体には。
途方もない年月が刻まれている。
古竜は。
視線だけでノクスを追っていた。
「……来い」
ノクスは。
少しだけ悠を見た。
「……親?」
確認。
悠は迷った。
でも。
敵意は感じない。
「……大丈夫……たぶん……」
「たぶん!」
元気に飛んでいった。
たぶんに対する信頼が重い。
ノクスは古竜の前へ降り立つ。
そして。
古竜は。
その小さな身体へ。
静かに鼻先を近づけた。
空気が止まる。
匂いを確かめるように。
記憶を辿るように。
長い。
本当に長い沈黙。
やがて。
古竜は低く呟いた。
「……黒竜」
その一言に。
悠たちは顔を上げる。
「黒竜……?」
リアが繰り返す。
古竜は頷いた。
「失われた系譜」
「滅びたはずの個体群」
金色の瞳が細くなる。
「……いや」
「違う」
その声音が。
少し変わった。
驚き。
警戒。
そして。
理解。
「貴様……自然竜ではないな」
悠の胸がざわつく。
視界端。
ログが反応していた。
対象個体:ノクス
古代識別反応
嫌な予感がした。
古竜は静かに言う。
「これは竜ではない」
空気が張る。
悠は思わず口を開く。
「……え……?」
「竜の姿をした」
古竜の声は低かった。
「管理兵器だ」
沈黙。
風だけが吹く。
「……兵器?」
リアが小さく呟く。
フィオも息を呑んでいる。
悠は。
理解が追いつかなかった。
(……兵器……?)
ノクスが?
あの?
夜中に鍋へ頭を突っ込んで。
布団を奪って。
「親!」と飛びついてくる。
あれが?
古竜は続ける。
「古代管理文明」
「世界維持機構」
「その最終段階で生み出された個体群」
アステラ。
管理機構。
その単語に。
悠の胸が冷える。
「正式分類」
古竜が言う。
「終末対応個体」
その瞬間。
悠の視界が白く光った。
識別補助開始
対象:ノクス
分類照合……
ログ。
白い文字。
止まらない。
そして。
表示。
認定:終末対応個体
状態:幼体
機能:一部封印
悠は息を呑んだ。
……一致。
古竜の言葉と。
ログが。
一致していた。
「……そんな……」
リアの声が震える。
古竜は静かだった。
「世界修復」
「深層侵食抑制」
「環境再構築」
「必要ならば」
少し間。
「大陸規模の浄化」
誰も言葉を失う。
レオンですら。
表情を消していた。
兵器。
しかも。
世界規模。
悠の胸がざわつく。
視線は自然と。
ノクスへ向かった。
黒い小竜。
当人は。
きょとんとしていた。
「……?」
何の話?
そんな顔だった。
古竜は言う。
「我ら古竜でさえ」
「この系統を見れば退いた」
「戦う存在ではない」
「発動を祈らぬ存在だ」
怖い話だった。
でも。
悠の中で。
先に湧いた感情は別だった。
(……違う……)
違う。
兵器?
終末?
そんな言葉。
目の前の存在と結びつかない。
ノクスは。
小さくて。
騒がしくて。
寂しがりで。
時々やたら食べる。
兵器じゃない。
悠は小さく言った。
「……ノクス……は……」
皆が見る。
言葉は。
少し震えた。
「……そんなの……じゃない……」
古竜の瞳が向く。
「……兵器……じゃ……ない」
沈黙。
悠は続けた。
「……俺には……分からない……けど……」
「……でも……」
ノクスを見る。
小さな黒竜。
目が合う。
「……ノクス……だから……」
それだけだった。
うまく説明できない。
分類とか。
認定とか。
そういう話じゃない。
兵器かもしれない。
でも。
それで終わりじゃない。
古竜は黙っていた。
金色の瞳が。
悠を見る。
長い沈黙。
そして。
ほんの少しだけ。
目を細めた。
「……なるほど」
何を納得したのか。
分からない。
ただ。
その時。
ノクスが。
急に不安そうに羽を揺らした。
さっきまでの会話。
全部は分からなくても。
空気は感じたのかもしれない。
黒い小竜は。
ゆっくりと悠の方へ飛び戻る。
そして。
胸へぴたりとくっついた。
「……親?」
小さな声。
確認みたいに。
悠は少し目を見開く。
それから。
そっと。
頭を撫でた。
「……うん……」
ノクスは。
安心したように。
小さく喉を鳴らした。




