第47話 『古竜』
谷の向こう。
巨大な影が。
動いていた。
霧が流れる。
夕焼けが岩肌を赤く染める中。
それは。
山そのもののようだった。
「……」
誰もすぐには声を出せなかった。
大きすぎる。
断崖の上。
岩のように見えていたものが。
ゆっくりと首を持ち上げる。
翼。
黒金色の鱗。
長い尾。
そして。
二つの金色の瞳。
悠は本能的に理解した。
(……竜……)
飛竜じゃない。
比べものにならない。
格が違う。
圧。
存在そのものが重い。
空気が震える。
セレスティアが即座に剣へ手を伸ばした。
「全員、下がって――」
「待て」
低い声。
響いた。
声なのに。
雷みたいだった。
谷全体へ反響する。
セレスティアが止まる。
レオンでさえ表情を引き締めた。
巨大な竜は。
断崖からこちらを見下ろしていた。
その瞳に。
獣の濁りはない。
理性。
いや。
知性があった。
長い沈黙の後。
竜は言う。
「……人間」
古い。
重い声だった。
「よくぞ我が谷へ踏み入った」
リアが小さく息を呑む。
「しゃ……喋った……」
「竜種は高位個体ほど知性を持つ」
セレスティアが低く言った。
「ですが……古竜級は伝承でしか……」
古竜。
その単語に。
空気が少し変わる。
悠は視界端のログを見る。
高位竜種反応
古代個体照合中
……やっぱり。
普通じゃない。
古竜はゆっくりと翼を動かした。
風圧。
岩棚が揺れる。
でも。
攻撃ではない。
ただ。
見ている。
観察している。
そんな視線だった。
「人間よ」
金色の瞳が。
一人ずつを見渡す。
「何故、アステラの匂いを纏う」
悠の胸が少し冷えた。
アステラ。
記録都市。
つまり。
この竜は。
古代文明を知っている。
レオンが肩をすくめた。
「説明すると長いんだが」
「短く言え」
「世界が壊れかけてる」
即答だった。
リアが少し焦る。
「レオン!?」
だが。
古竜は怒らなかった。
むしろ。
静かに目を細める。
「……ほう」
沈黙。
風が吹く。
やがて。
古竜は言った。
「ようやく気づいたか」
その言葉に。
悠たちは顔を上げる。
「……知ってる……んですか」
悠が小さく聞く。
古竜の視線が向く。
金色の瞳。
怖い。
非常に。
でも。
逃げるほどではなかった。
「知っている」
古竜は答えた。
「我ら竜は長命だ」
低い声が谷へ響く。
「人間王国が生まれる前より」
「連邦が海を渡る前より」
「神聖領が聖典を編む前より」
「この空を見てきた」
リアたちは黙って聞く。
その時間感覚は。
ほとんど歴史そのものだった。
「だから分かる」
古竜は空を見上げた。
夕焼け。
流れる雲。
「空気が違う」
「大地の鼓動が弱い」
「深層は近づき」
「記録は摩耗している」
悠の胸がざわつく。
イヴの言葉。
三年。
損傷率。
全部が繋がっていく。
セレスティアが問う。
「では……本当に世界は――」
「老いている」
古竜は言った。
静かに。
断定した。
谷が静まり返る。
その一言は。
あまりにも重かった。
「……老いてる……?」
リアが呟く。
古竜は頷く。
「人間は神戦争を語る」
「世界崩壊の原因を」
「古代神々の争いだと」
伝承。
歴史。
王都でも聞いた話だ。
神々の戦争が世界を傷つけた。
だから災厄が残る。
そういう神話。
だが。
古竜は鼻を鳴らした。
「愚かな解釈だ」
低い声。
「戦争はあった」
「だが原因ではない」
悠は息を呑む。
「……違う……?」
「世界は」
古竜の瞳が細くなる。
「ただ老いている」
風が吹く。
谷底から冷気が上がった。
「生まれたものはいずれ朽ちる」
「星も」
「文明も」
「世界も」
リアが小さく震える。
フィオは黙って俯いていた。
悠は。
言葉を失っていた。
(……老化……)
戦争じゃない。
呪いでもない。
もっと。
根本的なもの。
壊されたんじゃない。
……寿命。
その概念が。
胸に重く落ちる。
古竜は悠を見た。
「だが」
「貴様は違うな」
「……え……」
「アステラの記録」
「管理の匂い」
悠の背筋が冷えた。
セレスティアが視線を動かす。
レオンも。
リアも。
少しだけ悠を見る。
古竜は続ける。
「何者だ、人間」
沈黙。
悠は口を開きかけ。
「……俺は……」
……何だろう。
冒険者。
沈黙の記録者。
転生者。
管理権限保持者。
言葉が出ない。
その時だった。
「親!」
元気な声。
ノクスだった。
空気が壊れる。
黒い小竜が。
いつの間にか悠の肩から飛び立っていた。
「……っ、ノクス!?」
止める間もない。
ノクスは古竜を見上げる。
ぱたぱた。
そして。
「大きい!」
感想だった。
非常に素直な。
古竜が止まる。
金色の瞳。
巨大な視線。
ノクスを見る。
そして。
その瞬間。
空気が変わった。
「……何……?」
リアが呟く。
古竜。
その表情が。
初めて。
崩れた。
驚愕。
あり得ないものを見る目。
巨大な瞳が。
ゆっくり見開かれる。
長い沈黙。
やがて。
古竜は。
本当に信じられないという声で。
呟いた。
「……何故」
視線は。
ノクスへ。
「……それが……ここにいる……?」
谷の風が。
冷たく吹き抜けた。




