第5話 『転生』
白い世界が、揺れていた。
転送準備が始まった瞬間から、アーカイブの景色は少しずつ形を変えている。
いや。
崩れている、という方が近いかもしれない。
空でも地面でもなかった場所が、光の波になって流れていた。
文字列がほどける。
記憶が舞う。
遠い誰かの笑い声。
海辺の景色。
雪の日。
戦場の炎。
赤ん坊の泣き声。
知らない人生の断片が、星屑みたいに周囲を漂っていた。
悠はそれを見上げる。
「……」
綺麗だった。
でも、どこか落ち着かない。
世界そのものが解体されているような、不安定さがある。
イヴは少し離れた場所で転送処理を続けていた。
無数のログが彼女の周囲を巡っている。
世界接続処理
個体転送準備
存在補正実行中
転生。
本当にするらしい。
ここまで来ても、まだ実感は薄い。
異世界。
新しい人生。
普通なら、希望に満ちた場面なのかもしれない。
けれど。
悠の胸にあるのは、期待より不安だった。
(……大丈夫なんだろうか)
死んだこと。
それ自体より。
新しい世界の方が怖い。
知らない場所。
知らない人。
また最初から。
また人間関係。
胸の奥が少し重くなる。
(……また失敗したら)
考えてしまう。
(また馴染めなかったら……?)
元の世界でも、うまくやれなかった。
話したかったのに。
関わりたかったのに。
結局距離を取ってしまった。
世界が変わったからといって、自分まで変われるんだろうか。
共鳴値〇・三。
その数字が頭に残っていた。
世界から認識されにくい存在。
一人では長く存在できない。
そんな説明を受けた直後だ。
不安にならない方がおかしい。
「……」
悠は視線を落とした。
その時だった。
「記録には誤差があります」
イヴの声が聞こえた。
悠は顔を上げる。
彼女はログから目を離し、こちらを見ていた。
「……?」
突然だった。
さっきまで事務処理しかしていなかったのに。
イヴは静かに続ける。
「誤差?」
「はい」
白い瞳が揺らがない。
「あなたの死亡も、誤差でした」
「……」
それは。
慰めなんだろうか。
判断が難しい。
イヴらしいと言えば、らしい。
彼女は少し間を置いて言った。
「だから未来は、確定していません」
悠は瞬きをした。
漂う記録の光が二人の間を流れていく。
未来は確定していない。
その言葉は。
妙に静かに胸へ落ちた。
励ましだった。
たぶん。
ものすごく不器用な形の。
悠はしばらく何も言えなかった。
でも。
少しだけ。
肩の力が抜ける。
「……ありがとう」
小さく言う。
イヴは数秒黙った。
そして。
「礼の必要性を確認できません」
と、いつもの調子で返した。
やっぱり事務的だった。
でも。
その無表情の奥に、ほんの少しだけ何かがあるような気もした。
光が強くなる。
足元から白い粒子が浮かび上がった。
世界接続完了
転送開始
周囲の記録が一斉に流れ出す。
悠は反射的に目を細めた。
「――っ」
重力。
いや、落下感覚。
身体が引っ張られる。
アーカイブが遠ざかる。
白い世界が線になり、光になり、そして。
消えた。
落ちている。
本当に。
風があった。
初めて感じる異世界の空気。
冷たい。
湿っている。
鼻に入る匂い。
土。
草。
木々。
耳に届く音。
葉擦れ。
鳥の声。
水の流れる音。
視界が開く。
深い森だった。
青々とした木々。
柔らかな陽光。
地面へ向かって身体が吸い込まれていく。
「……っ!?」
着地とか聞いてない。
心の準備もない。
というか高い。
普通に高い。
死んだばかりなのに、また死ぬんじゃ――。
その瞬間。
身体がふわりと軽くなった。
見えない力に支えられるように落下速度が緩む。
管理権限の補正だろうか。
柔らかく地面へ降り立った。
「……」
悠は呆然と立ち尽くく。
風が髪を揺らした。
森の匂いがする。
現実だった。
本当に。
異世界だ。
その時。
近くの茂みが揺れた。
「……?」
悠は反射的に振り向く。
そこには。
小さな籠を抱えた少女がいた。
栗色の髪。
動きやすそうな服。
薬草らしき植物を手に持っている。
少女もまた、驚いた顔でこちらを見ていた。
目が合う。
数秒。
沈黙。
悠の脳内で警報が鳴る。
人だ。
初対面。
会話イベント。
(終わった……)
異世界初ミッションが、もう来てしまった。
少女は首を傾げる。
「あれ? 人?」
森の風が、二人の間を吹き抜けた。




