第41話 『三年の世界』
夜の王都は静かだった。
……いや。
静かに見えるだけかもしれない。
窓の外には、修復された結界の光がまだ薄く揺れている。
空を縫った奇跡の余韻。
街を救った夜。
けれど。
悠の胸の中には、別の嵐が残っていた。
「……」
宿室。
薄暗い部屋。
机。
椅子。
閉じた窓。
現実感のある景色。
なのに。
どこか足元が浮いているようだった。
さっきまで。
アーカイブにいた。
白い世界。
イヴ。
そして。
あの言葉。
悠はベッドへ腰を下ろした。
手を見る。
震えてはいない。
でも。
落ち着いてもいなかった。
(……三年……)
頭の中で。
その数字だけが反響している。
世界寿命。
残存期間。
三年。
意味が分からない。
いや。
言葉の意味は分かる。
分かるから。
理解したくなかった。
部屋の空気がやけに重い。
静寂の中。
不意に視界が揺れた。
白いログ。
薄く浮かぶ文字。
アーカイブ通信接続中
悠は顔を上げる。
「……イヴ……?」
返事はすぐだった。
白い粒子が集まり。
部屋の片隅に小さな立体像が現れる。
掌ほどの投影。
白髪。
無表情。
記録精霊。
イヴだった。
「接続安定を確認しました」
相変わらず。
感情が薄い。
でも。
久しぶりに見るその姿は、不思議と現実感を伴っていた。
「……あの……」
悠は言葉を探した。
うまく整理できない。
「……本当に……?」
小さい声。
「……三年……?」
イヴは即答した。
「高確率予測です」
救いのない返答だった。
悠は視線を落とす。
「……高確率……」
「現在予測値、九二・七パーセント」
高い。
嫌になるほど。
イヴは続ける。
「世界管理機構の劣化が進行しています」
「……管理機構……」
「原因は未確定」
淡々。
まるで天気予報みたいに。
「ただし崩壊傾向は継続中」
視界にログが浮かぶ。
世界寿命予測
残存期間:3年
誤差:±0.4年
悠は息を止めた。
数字が現実味を持つ。
三年。
具体的だ。
短い。
「……どういう……崩壊……?」
「段階的です」
イヴの声は変わらない。
「深層汚染拡大」
「空間断裂」
「存在不安定化」
「最終段階で世界構造維持不能」
淡々と。
恐ろしいことを言う。
「生命活動継続は困難になります」
「……」
部屋が静かだった。
悠は言葉を失う。
世界が壊れる。
そんな話。
遠い神話みたいなものだと思っていた。
でも。
イヴは冗談を言わない。
むしろ。
冗談という概念に縁がない。
「……止められる……?」
恐る恐る聞く。
数秒。
イヴは沈黙した。
その僅かな間が。
逆に怖かった。
「不明です」
「……」
「現時点では情報不足」
少しだけ。
胸が苦しくなる。
不可能。
そう言われなかっただけ、ましなのかもしれない。
でも。
安心はできない。
「……なんで……俺に……」
声が落ちる。
「……こんな話……」
イヴは瞬きをしない目でこちらを見た。
「管理権限保有者だからです」
「……」
「そして」
少しだけ。
声が柔らかく聞こえた。
気のせいかもしれない。
「あなたは既に、この世界と関わっています」
悠は何も言えなかった。
ルーン村。
エルド。
王都。
浮かぶ。
人の顔。
リア。
レオン。
フィオ。
ドルフ。
セレスティア。
全部。
他人だったはずなのに。
いつの間にか。
遠いものではなくなっていた。
イヴの投影は静かに消えていく。
「休息を推奨します」
「……無理……」
「記録しました」
その返答が。
少しだけイヴらしくて。
悠はかすかに苦笑した。
そして。
夜は明けた。
◇
翌朝。
宿の食堂。
珍しく。
空気が重かった。
レオン。
リア。
フィオ。
セレスティア。
全員いる。
ノクスだけは机の上でパンをかじっていた。
「親! 朝!」
「……うん……」
悠は席につく。
話さなければならない。
でも。
どう言えばいいのか分からない。
世界があと三年で壊れます。
そんな話。
普通は頭がおかしい。
「……その……」
全員の視線。
圧。
少し息苦しい。
でも。
逃げられない。
「……昨日……イヴが……」
その名前で。
フィオが顔を上げた。
セレスティアも真剣になる。
悠は少しずつ言葉を繋げた。
「……世界……」
喉が乾く。
「……あと……三年……らしい……」
沈黙。
食堂の音が遠く聞こえた。
最初に反応したのは。
レオンだった。
「……三年?」
確認する声。
「……うん……」
「世界が?」
「……」
悠は頷く。
レオンの顔から笑みが消えた。
リアは目を見開いている。
「え……待って……」
声が震えていた。
「それ……本当に……?」
「……俺も……そう思った……」
信じたくない。
でも。
イヴは嘘を言わない。
フィオは俯いていた。
小さく肩が震えている。
「……深層……」
かすれた声。
「……やっぱり……」
裏市場。
暴走。
異常空間。
彼女は。
既に世界の歪みを見ている。
セレスティアは静かだった。
騎士らしい顔。
でも。
その表情は硬い。
「……国家への報告が必要です」
現実的な言葉だった。
「もし事実なら、王国単独案件ではありません」
「……」
「世界規模の危機です」
重い。
現実が。
言葉になるほど。
重くなる。
リアが小さく言った。
「……信じたくない……」
その一言が。
一番正直だった。
誰も否定できない。
悠自身だって。
信じたくない。
しばらく。
誰も話さなかった。
ノクスだけが空気を読まずパンを食べている。
「親? 暗い?」
「……いや……うん……」
説明が難しい。
やがて。
レオンが息を吐いた。
「で?」
視線が悠へ向く。
「どうする」
「……」
どうする。
そんなの。
本当は分からない。
でも。
逃げても。
世界は待ってくれない。
「……調べる……しか……」
小さい声。
それでも。
ちゃんと言えた。
レオンは頷いた。
「だな」
リアも少し迷って。
でも。
頷く。
「……うん」
フィオも。
恐る恐る。
「……私も……」
セレスティアは静かに言った。
「護衛および監視任務を継続します」
つまり。
一緒に来る。
悠は少しだけ驚いた。
逃げる。
という選択肢は。
誰も口にしなかった。
その時。
視界に白いログが浮かんだ。
悠だけに見える文字。
アーカイブ通信
イヴ。
再接続。
「調査対象候補を提示します」
食堂の空気が変わる。
次の瞬間。
空中に巨大な光が広がった。
「……!」
リアが息を呑む。
世界地図。
王国。
山脈。
海。
知らない大陸。
複数の光点。
そして。
イヴの淡々とした声。
「世界崩壊原因調査を開始します」
旅が。
本当の意味で。
始まろうとしていた。




