第2話 『アーカイブ』
空でも、地面でもない場所だった。
真っ白――そう思ったのは最初だけだ。
よく見ると、そこは白一色ではなかった。
無数の文字が漂っている。
誰かの記憶のような景色。
聞き取れない声。
街並み。
海。
笑い声。
泣き声。
季節。
知らない誰かの人生の断片みたいなものが、光の粒になって周囲を流れていた。
「……」
真白悠はその場に立ち尽くした。
立っている――はずだ。
だが足裏の感覚はない。
重力も曖昧だった。
落ちているわけでも、浮いているわけでもない。
ただ存在している、という感覚だけがある。
頭が追いつかない。
(……夢?)
まずそう考える。
次に。
(いや……)
夢にしては、妙に現実感があった。
空気の冷たさもないのに、感覚だけが鮮明だ。
思い出す。
夜道。
交差点。
強い光。
ブレーキ音。
そして――白。
胸の奥が少し重くなった。
(……死んだ?)
さっき浮かんだ考えが、また頭に戻ってくる。
だとしたらここは何だ。
死後の世界?
天国?
いや、もっと違う。
そんな宗教的な場所というより――。
ふいに。
視界の端で光が走った。
悠は反射的に肩を震わせる。
何もない空間に、文字が浮かび上がっていた。
記録照合中
個体識別処理開始
「……っ」
思わず後ずさろうとして、足場がないことを思い出す。
なのに、なぜか体は少しだけ下がった。
余計に怖い。
文字は淡く発光しながら流れていく。
個体識別完了
対象:真白 悠
記録同期確認中
(な、何これ……)
ゲームのUIに似ている。
でも、もっと無機質だった。
歓迎感ゼロ。
事務処理感百パーセント。
役所の窓口が宇宙規模になったような冷たさがある。
しかも自分の名前が出ている。
悠は思わず周囲を見回した。
誰かいるのか。
説明してくれる存在は――。
「……」
いた。
さっきまではいなかったはずなのに。
いつの間にか、すぐ近くに。
白髪の少女が立っていた。
年齢は十代半ばくらいに見える。
肩口で揃った白髪。
淡く光を宿した瞳。
白い衣服。
表情はほとんどない。
人形のようだった。
悠の背筋が硬直する。
人。
いや、人……なのか?
視線が合う。
無表情なまま、少女はこちらを見ていた。
何か言わなければ。
そう思う。
けれど。
「……ぁ……」
声が出ない。
第一声候補。
ここどこですか。
あなた誰ですか。
死んだんですか。
色々浮かぶ。
全部喉で詰まる。
数秒の沈黙。
少女はその様子を観察するように見つめてから、淡々と言った。
「会話困難個体確認」
「……」
直球だった。
悠は固まった。
(死後でもコミュ障判定あるの……?)
少し傷つく。
少女は気にした様子もない。
「対話能力低下傾向あり。記録と一致」
「記録……?」
やっと声が出た。
小さい。
自分でも聞き返したくなるくらい小さい。
少女は頷いた。
「私はイヴ。記録補助個体です」
「……」
「現在地点はアーカイブ」
彼女は周囲を示す。
漂う光景と記憶。
「世界記録管理領域」
説明は短かった。
しかし、内容が重い。
悠はゆっくり瞬きをする。
(……アーカイブ?)
管理領域?
意味が分からない。
イヴは淡々と続けた。
「状況説明を開始します」
抑揚がない。
本当に事務連絡みたいな口調だった。
「対象個体、死亡済」
「……」
「転生候補登録済」
「……え」
「管理障害発生中」
「……はい?」
情報量が多い。
しかも淡々と投げてくる。
悠は数秒遅れて理解を試みる。
死亡済。
転生。
管理障害。
(なんでこんな冷静なんだ……)
こっちは死んだかもしれないのに。
イヴは相変わらず表情を変えない。
「質問を受け付けます」
言われても。
質問が整理できない。
悠は口を開いて、閉じた。
死んだ?
本当に?
転生って何だ。
ここは何なんだ。
自分はどうなる。
聞きたいことは大量にある。
でも、どれから聞けばいいのか分からない。
「……俺……死んだんですか」
結局、一番基本的な質問になった。
「はい」
即答。
迷いゼロ。
胃が重くなる。
やっぱり。
あれは夢じゃなかった。
悠は視線を落とした。
驚きはある。
実感は、まだ薄い。
けれど否定もできない。
イヴは彼をしばらく見ていた。
そして。
ほんの少しだけ首を傾げた。
「……不一致」
「え?」
「通常と記録が一致しません」
悠は顔を上げる。
イヴの瞳が、こちらをまっすぐ見ていた。
「通常、対象は混乱・否認・感情波形増大を示します」
「……」
「あなたは静かです」
そう言われて。
悠は少し考えた。
静かというより。
現実感がないだけかもしれない。
それに。
感情を外に出すのは、昔から得意じゃなかった。
「……どう反応すればいいか……分からないので」
イヴは数秒黙った。
その無表情な顔に変化はない。
けれど。
何かを観察するような視線だけが残る。
「記録更新」
小さく呟く。
そして、空間に再び文字が浮かび上がった。
今度はさっきより大きい。
光の帯が幾重にも広がる。
悠は思わず息を呑んだ。
イヴはその表示を見上げながら、感情のない声で告げる。
「管理権限照会開始」




