第18話 『街という迷宮』
ルーン村を離れてから、数日が過ぎていた。
旅は思っていたより穏やかだった。
街道は整備されているし、村周辺ほど魔物も多くない。
空は青く、風は穏やか。
隣には――いや、肩には。
「親!」
ノクスがいた。
「……違う」
いつものやり取りである。
小竜はすっかり元気になっていた。
いや、元気すぎた。
街道脇の花に反応。
蝶に反応。
鳥に反応。
見えるもの全部に興味を示している。
「親! 親!」
「……落ちる」
悠が肩を押さえる。
ノクスは小さな翼をぱたぱたさせながら前方を見る。
外の世界。
初めての旅。
楽しいらしい。
悠は少しだけ口元を緩めた。
旅そのものは嫌いじゃなかった。
人が少ない。
自分のペースで歩ける。
時々野営して。
ノクスが火を見て無駄に興奮して。
静かで。
落ち着く。
そして。
何より。
行く場所がある。
それは少し不思議な感覚だった。
ルーン村。
振り返れば帰れる場所。
リアの言葉を思い出す。
――また来てね。
「……」
胸の奥が少し温かくなる。
視界に小さなログが浮かんだ。
共鳴値:7.4
存在同期:安定
まだ低い。
でも。
前とは違う。
悠は静かに空を見る。
そして。
街道を越えた先。
目的地が見えた。
「……」
エルド市。
地方都市。
ルーン村より遥かに大きい。
石壁。
門。
立ち上る煙。
遠くからでも分かる。
――人が多い。
その瞬間。
悠の足が少し止まった。
(……大きい)
ノクスは逆だった。
「親!」
テンションが高い。
門へ向かって身を乗り出す。
悠は少し深呼吸した。
「……行くか」
自分に言い聞かせるみたいに。
そして。
エルド市へ入った。
――圧倒された。
「……」
石畳。
人。
人。
人。
屋台の匂い。
焼いた肉。
香辛料。
果物。
馬車の車輪。
呼び込みの声。
「安いよ安いよー!」
「採れたてだ!」
「冒険者募集!」
商人。
旅人。
職人。
鎧姿の冒険者。
人の流れが絶えない。
音が多い。
視線も多い。
ルーン村とはまるで違う。
悠は門を抜けた瞬間、軽く硬直した。
(多い……)
視線が落ち着かない。
誰も自分なんか見ていない。
分かっている。
でも。
脳が勝手に警戒する。
(人……)
横を馬車が通る。
子供が走る。
商人が声を張る。
近い。
全部が近い。
(視線……)
ノクスが肩にいるせいか、ちらちら見られている気もする。
いや。
実際見られていた。
「竜?」
「珍しいな」
小声。
興味。
悪意ではない。
でも。
悠の精神には十分だった。
(帰りたい……)
まだ入って五分である。
村との温度差が凄かった。
ノクスだけは楽しそうだ。
「親!」
屋台を見る。
「親!」
犬を見る。
「親!」
噴水を見る。
「……元気だな……」
ノクスは尻尾を振った。
問題は。
ここからだった。
街へ来た。
いい。
だが。
宿が必要である。
「……」
悠は立ち止まる。
宿。
つまり。
聞く必要がある。
人に。
道を。
「……」
難易度が高い。
非常に。
結果。
二十分後。
悠はまだ街を歩いていた。
(……どこ……)
聞けない。
看板はある。
でも読めないものも多い。
なんとなく歩く。
曲がる。
戻る。
迷う。
完全に迷宮だった。
ノクスだけは元気である。
途中。
屋台の串焼きを凝視していた。
「……食べたい?」
「親」
即答。
仕方なく一本買った。
買えたのは奇跡だった。
ほぼ指差し注文である。
ノクスは満足そうにもぐもぐしていた。
悠は串を片手に街をさまよう。
宿。
宿。
宿。
ない。
いや。
ある。
でも決断できない。
高そう。
入りづらい。
怖い。
そんなことを繰り返して。
気づけば。
少し広い通りへ出ていた。
「……?」
視界の先。
ひときわ大きな建物がある。
石造り。
重厚。
人の出入りが激しい。
武器を持った者が多い。
入口上部には巨大な紋章。
剣と盾。
そして文字。
悠は読んだ。
――冒険者ギルド。
「……」
思考が止まる。
冒険者。
つまり。
登録。
受付。
会話。
社会。
建物はやたら大きかった。
人も多い。
中から笑い声まで聞こえる。
ノクスは興味津々だった。
「親?」
悠はしばらく無言で見上げる。
そして。
静かに青ざめた。
(……入るの……?)
エルド市という迷宮は。
まだ入口だった。




