第7話 『真夏のアイスクリーム作りと凝固点降下』
異世界にも、夏は来る。
しかも、容赦なく来る。
リューゲの街を支配する猛暑は、ケンタが経験したインドのラジャスタン州に匹敵するレベルだった。双月の角度がちょうど太陽と重なる「双月夏至」の時期は、日中の気温が四十度を超える。
石畳の大通りは陽炎が揺らめき、露店の商人たちは日よけの天幕の下でぐったり。獣耳の種族は大きな耳をぱたぱたと扇いで風を送り、鱗族は水盆に足を浸けている。
ドランの工房は地下室なのでまだマシだったが、それでも室温は三十度を超えていた。
「……暑い」
ぐったり。
ライラが工房の床に大の字になっていた。
紺色のローブは脱ぎ捨て、薄い白のインナー一枚。銀色の長い髪が床に扇のように広がり、紫色の瞳は半分閉じている。数百年生きたハーフエルフの美貌が、完全にだらけていた。
「ライラ……もうちょっとシャキッとしなよ」
「無理。ハーフエルフは暑さに弱いの。エルフの血が森林気候に適応してるから、三十度超えると機能停止するのよ……」
「機能停止って。生きてるよね?」
「かろうじて……」
「ぼ、僕もちょっとキツいです……ドワーフは地下の涼しい場所が好きなので……」
ドランも工具箱に寄りかかって息を荒くしている。
ケンタはと言えば、暑さには慣れっこだった。赤道直下の国を何カ国も旅してきたバックパッカーにとって、四十度くらいは日常だ。
だが、仲間がぐったりしているのは見ていられない。
「よし。アイスクリームを作ろう」
「…………え?」
ライラが、かろうじて片目を開けた。
「あいす……くりーむ?」
「冷たくて甘いデザートだ。俺の世界では、夏になるとみんな食べる。ミルクと砂糖と卵を混ぜて凍らせたやつで、口に入れた瞬間、体の芯から涼しくなる」
「凍らせた……ミルクと砂糖……?」
ライラの紫色の瞳が、ゆっくりと輝き始めた。
「それは……冷たいの?」
「めちゃくちゃ冷たい。舌の上でとろけて、甘さと冷たさが同時に広がるんだ」
「食べたい」
ライラが起き上がった。食い意地の力は偉大だ。
「でもケンタ、冷凍庫なんてものはこの世界にないわよ? 氷だって、この季節は北方の山脈まで行かないと手に入らないし」
「氷は自前で用意する。ライラ、氷の魔法は使えるよな?」
「『氷結の鎖』なら……でも、ミルク全体を凍らせるくらいの氷を作ったら、魔力が——」
「ミルクは凍らせない。氷を別に作って、それを使ってミルクを冷やすんだ。直接凍らせるんじゃなく、間接的に冷却する」
「間接的に……?」
「凝固点降下っていう原理を使う」
ケンタは工房のテーブルを片付け、材料を並べ始めた。
◇ ◇ ◇
「まず材料。ミルク、砂糖、卵。これは市場で買える」
ケンタは朝市で調達してきた材料を並べた。異世界のミルクは「白星牛」という銀色の毛並みの牛から取ったもので、地球の牛乳より脂肪分が高くコクがある。砂糖はサトウキビに似た「蜜草」から精製したもの。卵は大ぶりの鶏卵のような「陽卵」だ。
「次に冷却装置。必要なのは、氷と塩」
「氷はわかるけど、なんで塩が要るの?」
「ここからが理科の時間だ」
ケンタはテーブルの上に塩の袋を置いた。
「水は普通、零度で凍る。だよね?」
「ええ」
「でも、水の中に塩を溶かすと、凍る温度が下がるんだ。これを凝固点降下っていう。塩の濃度によって違うけど、最大でマイナス二十一度くらいまで凍る温度が下がる」
「マイナス二十一度!?」
「つまり、氷に塩を混ぜると、氷の表面が『マイナス二十一度で凍るべき塩水』に変わる。でも今の温度はそれよりずっと高いから、氷が溶け始める。溶ける時に周囲の熱を奪う——吸熱反応の一種だな。結果、氷と塩の混合物は、氷単体よりずっと冷たくなる」
「スライムを倒した時の吸熱反応と似てますね!」
ドランが目を輝かせた。
「そう、原理は近い。あの時は硝酸アンモニウムの溶解熱を使ったけど、今回は塩の凝固点降下を使う。氷に塩を混ぜた『冷却剤』でミルクの容器を包んで、かき混ぜながら凍らせれば、アイスクリームの完成だ」
「す、すごい……でも、かき混ぜる装置が要りますよね? ただ凍らせただけじゃ、ミルクの氷になっちゃう」
「その通り。凍らせながらかき混ぜることで、空気を含んだ滑らかな食感になるんだ。ドラン、出番だ」
「は、はいっ!」
「手回しの撹拌器を作ってくれ。要は、容器の中身をぐるぐるかき混ぜる装置だ。歯車を使って、ハンドルを回すと中の羽根が回転する仕組み」
ドランの目が、職人モードに切り替わった。
「歯車の減速比を変えれば、ハンドル一回転で羽根が三回転するようにできます。効率的にかき混ぜられますよ」
「最高だ。じゃあ、ドランは撹拌器。ライラは氷の準備。俺はアイスクリームのベース液を作る。分担して進めよう」
◇ ◇ ◇
一時間後。
ドランは見事な手回し撹拌器を完成させた。
金属製の円筒形の容器(内釜)と、それを囲む一回り大きな容器(外釜)の二重構造。内釜の中にはドラン手製の金属の撹拌羽根が入っていて、蓋の上のハンドルを回すと、歯車を介して羽根が回転する仕組みだ。
「三倍速歯車っ。ハンドル一回で羽根三回転ですっ」
「完璧だ。これ、地球に持って帰ったら特許取れるレベルだぞ」
ケンタはアイスクリームのベース液を準備していた。
白星牛のミルクに蜜草の砂糖を溶かし、陽卵の卵黄を加えて丁寧に混ぜる。弱火で温めながらかき混ぜ、卵黄に含まれるレシチンで乳化させる。
「これがアングレーズソースっていうベースだ。卵黄と砂糖とミルクを混ぜて加熱した、なめらかなクリーム」
完成したベース液は、淡い黄金色をしていた。甘い匂いが工房に満ちている。温かい状態でも美味しそうだが、これを極限まで冷やせば——
「ライラ、氷の準備はどう?」
「できたわよ! 見て!」
ライラが杖を振り、工房の隅に用意した大きな木桶に向かって魔法を放った。
「『凍結創造』!」
木桶の中に、純白の氷の塊が次々と生成されていく。拳大の氷が桶を満たすまで、十秒ほど。
「これで魔力の三割くらいかな。まだ余裕あるわ」
「十分だ。ありがとう。じゃあ、仕上げに入るぞ」
ケンタは外釜に氷を敷き詰め、その上にたっぷりの粗塩を振りかけた。
氷と塩が触れた瞬間、変化が始まった。
パチパチと細かい音を立てて、氷の表面が急速に溶け始める。溶けた水が塩と混じり合い、透明な塩水が外釜の底に溜まっていく。
外釜に手を当てると——
「つめたっ!」
ライラが手を引っ込めた。
「え、嘘。さっきまでただの氷だったのに、急にすっごく冷たくなった!」
「凝固点降下だ。氷と塩が混ざったことで、温度がマイナス十五度くらいまで下がってる」
「マイナス十五度って……冬の北方より寒いじゃない!」
「この冷たさでベース液を冷やす。さあ、ドラン、ハンドルを回してくれ」
冷えたベース液を内釜に流し込み、外釜の中にセットする。蓋を閉め、ドランがハンドルを握った。
「い、いきますっ!」
ぐるぐるぐるぐる。
ハンドルが回り、歯車が噛み合い、内釜の中の撹拌羽根が高速で回転する。ベース液をかき混ぜながら、外釜の氷塩水が内釜を通して冷却していく。
一分。二分。三分。
「おっ、手応えが変わってきた」
ドランがハンドルを回す手応えが、液体の軽さからクリーム状の重さに変わり始めた。ベース液が冷却されて、少しずつ固まってきているのだ。
「もっと回して。空気を含ませるように」
「はいっ!」
五分。七分。十分。
「そろそろかな。ドラン、蓋を開けてみ」
ドランが蓋を開けた。
内釜の中に広がっていたのは——
淡い黄金色の、なめらかなクリーム。
表面はとろりとして、スプーンで掬うとゆっくりと流れ落ちる柔らかさ。空気を含んだきめ細かなテクスチャが、光を受けてかすかに輝いている。
そして、立ち上る冷気。
工房の猛暑の中で、その冷たい容器から白い霧が漂い出している。
「……何これ」
ライラが、息を呑んだ。
「見たことも……嗅いだこともない……甘くて、冷たい匂い……」
「アイスクリームだよ。完成だ」
ケンタは木のスプーン——ドランが即席で削ったもの——で、アイスクリームを三つの小さなボウルに盛り付けた。
こんもりと盛られた黄金色のアイスクリーム。表面から白い霧が立ち上り、スプーンを入れるとなめらかに沈む。
「さ、食べよう。溶ける前に」
三人がスプーンを持ち上げた。
「「「いただきます」」」
同時に。
ケンタの口の中で——冷たさと甘さが爆発した。
まず、ひんやりとした冷気が舌の上を走る。真夏の体温を一瞬で冷やすような、鮮烈な冷たさ。だがすぐに、それは柔らかい甘さに包まれる。
白星牛のミルクの濃厚なコクが、蜜草の砂糖のほのかなカラメル風味と溶け合い、陽卵の卵黄が生んだなめらかさが全体を絹のように繋いでいる。舌の上でとろけるそのテクスチャは、雪が陽に溶けるのに似ている。
飲み込んだ後、喉から胸にかけて、冷たい甘さの余韻が残る。
地球のアイスクリームよりも、ずっとリッチで、ずっと濃厚だ。異世界の素材の力だろう。ミルクも卵も砂糖も、全てが規格外に上質なのだ。
「…………」
ライラが、固まっていた。
スプーンを咥えたまま、紫色の瞳が限界まで見開かれている。
「ラ、ライラ? 大丈夫?」
「…………」
五秒後。
「っっっ——!!!! なにこれえええええ!!!!」
ライラが椅子から飛び上がった。
「冷たい! 甘い! なめらか! 全部が! 同時に! 口の中で! 全部!」
「落ち着け」
「落ち着けない! こんなの食べたことない! は——生きてて良かったっ……! 三百年生きてて! 良かったっ……!」
ライラは涙と鼻水を垂らしながら、二口目、三口目とスプーンを口に運んだ。もはや上品さのかけらもない。ハーフエルフの矜持は、アイスクリームの前に完全崩壊していた。
「ぼ、ぼくも……ぼくも……こんな幸せ初めてですぅ……」
ドランはぼろぼろ泣きながら食べていた。泣き虫の本領発揮である。涙がアイスクリームに落ちて、しょっぱくなっているはずだが、気にしていない。
「よかった。口に合ったみたいだな」
ケンタは満足そうに三口目を頬張った。異世界の素材で作ったアイスクリームは、控えめに言って人生で五本の指に入る美味さだった。
「おかわり!」
「おかわりですっ!」
「はいはい。まだベース液は残ってるから——」
その時。
工房の外の気温が、唐突に下がった。
ぶるっ、と三人が同時に身震いしたほど、劇的に。
「え? な、何……? 急に涼しく——いや、寒い!?」
窓の外を見ると、さっきまで灼熱だった空に、薄い雲がかかり始めていた。風が涼しくなり、石畳から陽炎が消えている。
街の気温が、一気に十度近く下がった。
「な、何が起きたの……?」
ケンタは、なんとなく原因に心当たりがあった。
◇ ◇ ◇
天上界。光の宮殿。
ルミナスは、水鏡を覗き込んだままぶるぶる震えていた。
だが、寒さではない。
うらやましさで、だ。
「あの子たち……あのクリーム状の冷たいお菓子……すっごく美味しそう……」
「アイスクリーム、と呼ぶもののようです」
「セラフ、私も食べたい」
「天上界には材料が——」
「地上の気温を下げれば、あの子たちがもっとアイスクリームを作ってくれるかもしれないわ! そしたら私がこっそり取りに……いや、それは最高神としてどうなの……でも食べたい……」
「ルミナス様、まさか地上の気温を操作する気ですか?」
「ちょっとだけ! ほんのちょっと! 十度くらい!」
「十度は『ほんのちょっと』ではございません」
だが、すでに遅かった。ルミナスの「食べたい」の感情が、無意識に光の権能を発動していた。太陽の照射角がわずかに変わり、リューゲ一帯に涼風が吹き込んだのだ。
最高神の食い意地は、天候すら動かす。
◇ ◇ ◇
「……なんか急に涼しくなったな」
「嬉しいけど、不自然ね。何かの魔法?」
「さあ。まあ、涼しくなったおかげでアイスクリームが溶けにくくなったし、二杯目を作ろうか」
「さんせー!」
結局、三人はアイスクリームのベース液を全て使い切り、六杯分のアイスクリームを平らげた。
最後の一杯を食べ終えたライラが、満足げにスプーンを舐めた。
「ケンタ」
「ん?」
「このアイスクリーム、商売にできないかしら? この世界にはない食べ物でしょ? 夏場に売り出したら、絶対に大ヒットするわ」
「あー……確かに。材料費は安いし、凝固点降下の原理さえわかれば量産も可能だ。問題は氷の安定供給だけど——」
「私の氷魔法があるじゃない! 毎日ちょっとずつ作れば、十杯分くらいの氷は確保できるわ」
「ぼ、僕は撹拌器を量産できますっ! 今回の試作で設計は固まりましたし!」
「……マジでやるか?」
「やりましょうっ! 副業! アイスクリーム屋さん!」
ケンタは笑った。
異世界でアイスクリーム屋。バックパッカーのセカンドキャリアとしては、なかなか悪くない。
「じゃあ明日から試作を重ねよう。フレーバーも色々試したい。金太陽果のシャーベットとか、夢幻茸の塩アイスとか——」
「夢幻茸の塩アイス!? 天才かあなたは!?」
「やった! 僕、容器のデザインも考えますねっ」
工房に笑い声が響いた。
窓の外では、不自然に涼しくなった風が、街の人々に束の間の涼を運んでいる。
天の上で女神が「食べたいなー」と呟いているとも知らず、三人の夏の午後は穏やかに過ぎていった。
◆ ◆ ◆
【次回予告】
日常回から一転、謎解きミステリー!
「まっすぐ歩いてるはずなのに、気づくと同じ場所に戻ってしまう」
呪われた森で迷い続けるケンタたち。魔法の迷路か? 空間歪曲か?
答えは意外にも——人間の体の「癖」にあった!
次回、『バックパッカー、神々の砂場を往く』第8話——
『迷いの森と人間の偏り』
お楽しみに!




