第6話 『トロールの自己再生10倍速の恐怖』
銀ランクに昇格してから一週間。
ケンタたちの生活は格段に良くなった。受けられる依頼の報酬が跳ね上がり、宿屋に泊まれるようになった(ドランの工房は狭い)。ライラの杖も新調し、先端の欠けた旧杖は予備として保管している。
新しい杖は、リューゲの街の魔道具屋で買った中級品だ。白樺に似た白い木に銀の装飾が施されていて、先端に小さな青い魔石が埋め込まれている。ライラいわく「魔力効率が二割上がった」とのことだが、相変わらず大魔法を三発も撃てば燃費切れになるポンコツ仕様は変わらない。
その日、ギルドに駆け込んできたのは、南部の村の自警団長だった。
「た、助けてくれ! 村の近くの廃坑にトロールが住み着いた! もう三日間、村人が外に出られないんだ!」
トロール。
異世界ファンタジーの定番モンスターの一角。ケンタも漫画やゲームで散々見てきた名前だ。
ライラが解説する。
「トロールは三メートル級の巨人型モンスターよ。腕力は人間の十倍以上で、分厚い皮膚は並の剣を通さない。でも一番厄介なのは、自己再生能力。腕を切り落としても数分で生えてくるし、致命傷でも死なない」
「弱点は?」
「火。トロールは火に弱い。焼かれると再生できないの。だから、トロール討伐の基本は火魔法使いを連れていくことなんだけど——」
ライラが言い淀んだ。
「お前の火魔法は?」
「『小火炎』は使えるけど、あれは調理用の小さな炎よ。トロールの再生を上回る火力を出すには『焦熱砲』クラスが必要で……正直、今の私の魔力量じゃ一発が限界。それも、当たるかわからない」
「一発か……」
「しかも」
自警団長が青ざめた顔で補足した。
「そのトロール、普通のやつじゃないんだ。腕を切り落としたら、三秒で生えてきやがった。普通は数分かかるはずなのに。それと、体が黒い煙を纏ってる。何かの呪いか加護がかかってるみたいだ」
ケンタはちらりと天井を見上げた。黒い煙。闇属性の加護、とでも言うのだろうか。
「……黒い煙が纏ってるってことは、何か闇の力で強化されてるってことか?」
「闇の加護……まさか、ダクネス様!? 闇の神の加護が、このトロールに!?」
自警団長が絶句した。ケンタには神の名前にピンと来なかったが、状況は把握した。
「よくわからないが、何かヤバい力がかかってるってことだな。行こう」
「い、いや、ちょっと待ってください……」
◇ ◇ ◇
天上界。闇の宮殿。
ダクネスは今回、力の入れ具合を変えていた。
「今まで食い物の嫌がらせとか、チマチマしたことやりすぎた。だから今回は直球で行く。戦闘で相手するしかない状況を作って、あいつが知恵だけで戦えるか試す」
「トロールに再生の加護を与えたのですね」
「ああ。元々速い自己再生を、闇の力で十倍に加速した。三秒で腕が生えるレベルだ。このスピードだと、火で焼かない限り絶対に倒せない。で、あいつの仲間の魔法使いは火力不足のポンコツだ。さて、どうする?」
ダクネスは紅い瞳を輝かせた。
「今回こそ、お手上げにさせてやるぜ」
◇ ◇ ◇
南部の村は、リューゲから馬車で半日の距離にある小さな農村だった。
畑に作物が植わり、家畜小屋から羊の鳴き声が聞こえる。だが、村の空気は重かった。家々の窓は板で塞がれ、子供たちの姿はない。
村の外れにある廃坑の入り口は、板と丸太で急ごしらえのバリケードが築かれていた。太い幹で作った柵には、巨大な爪痕がいくつも刻まれている。
「あのバリケードを毎晩壊しに来るんだ。今のところ押し返してるが、いつ突破されるか……」
自警団長が説明する間にも、廃坑の奥から低い唸り声が聞こえてきた。
ぐるるるるるる……
「よし、まず偵察する」
ケンタはバリケードの隙間から廃坑の中を覗いた。
暗い坑道の奥、ランタンの光がぎりぎり届く距離に、巨大な影が蠢いていた。
トロール。
三メートルはある巨体。灰緑色の分厚い皮膚。人間の顔を歪めて引き伸ばしたような醜い顔。腕は地面に届くほど長く、先端には鉤爪が生えている。
そして、全身に纏った黒い煙。闇の神ダクネスの加護の証だ。
「やっぱりでかいな……」
「あの黒い煙が再生の加護ね。あれがある限り、火で焼かなきゃ倒せないわ」
「ライラの火魔法一発で仕留められるか?」
「正直、五分五分。焦熱砲は火力は十分だけど、トロールに直撃させないと意味がない。しかも詠唱に十秒かかる。その間、あいつが黙って待っててくれるとは思えない」
「だよな。じゃあ、魔法以外で火を使う方法を考えよう」
ケンタは廃坑の周囲を歩いて回った。
村の外れに、横転した馬車があった。荷物が散乱している。
「あの馬車は?」
「ああ、三日前にトロールに襲われた小麦粉の輸送馬車だ。御者は逃げたが、馬車と荷物は放置されたまま……」
「小麦粉……」
ケンタの目が光った。
「どのくらいの量がある?」
「え? 二十袋くらいかな。一袋二十キロだから、四百キロくらいあるが……」
「完璧だ」
ケンタはにやりと笑った。
「粉塵爆発を起こす」
「ふん……じんばくはつ?」
ライラとドランが同時に首を傾げた。
◇ ◇ ◇
「小麦粉は、粉状のまま空気中にばらまくと、非常に引火しやすくなるんだ」
ケンタは横転した馬車の小麦粉袋を確認しながら説明した。
「粉塵爆発って言ってな。微細な粉末が空気中に高濃度で浮遊している状態で、火花ひとつあれば一瞬で爆発的な燃焼が起きる。地球の製粉工場や炭鉱で、実際に大事故を何度も起こしてる」
「こ、小麦粉が……爆発?」
「信じられないだろ。でも本当だ。小麦粉の粒子一つ一つは小さいから、空気と接する表面積が膨大になる。その全てが一瞬で燃えるから、爆発的なエネルギーが放出される」
「つ、つまり……小麦粉を撒いて、火をつければ……」
「密閉された空間でやれば、爆発で一瞬にして高温の炎が発生する。トロールの再生速度を上回るくらいの」
ライラの表情が変わった。
「それなら……私の焦熱砲を使わなくても……」
「いや、ライラの魔法は使う。ただし、発火装置としてだ。小麦粉を空中に舞わせた状態で、ライラに小さな火花を一つだけ飛ばしてもらう。それだけでいい」
「火花一つなら……『小火炎』で十分だわ。魔力もほとんど使わない」
「完璧だ。じゃあ、作戦を整理するぞ」
ケンタは地面に棒で図を描いた。
「まず、トロールを密閉空間におびき寄せる必要がある。自警団長、この村に頑丈な建物は?」
「石造りの古い穀物倉庫がある。壁は厚いが……窓もあるし、完全な密閉じゃないぞ」
「窓はドランが板で塞げるか?」
「は、はい! 釘と板があればすぐに!」
「よし。穀物倉庫にトロールを誘い込む。倉庫内の天井付近に小麦粉の袋を吊るしておいて、トロールが入ったら袋を破って粉を舞わせる。そこにライラが窓の隙間から火花を一発。あとは化学反応が全部やってくれる」
「でも、トロールをどうやって倉庫に誘い込むの?」
「エサだよ。トロールは何を食べる?」
「肉よ。生肉が大好物。特に牛肉」
「自警団長、牛肉は?」
「家畜小屋に牛が三頭いるが……殺すのはちょっと……」
「殺さない。血の匂いだけでいい。牛の血を倉庫まで点々と垂らしておけば、トロールはその匂いを辿ってくる」
「あ、牛の血なら獣医が瀉血で出したやつが桶に一杯ある!」
「最高だ」
◇ ◇ ◇
作戦準備は、二時間で完了した。
穀物倉庫の窓をドランが全て厚い板で塞いだ。出入り口は一か所だけ。天井の梁には小麦粉の袋を十袋、合計二百キロ分吊るした。牛の血を廃坑から倉庫まで断続的に垂らし、倉庫の中にも撒いた。
「あとは夜を待つ。トロールは夜行性だ」
三人と自警団は、倉庫から五十メートル離れた場所に陣取った。
日が沈む。双月が昇る。夜の帳が村を包んだ。
一時間ほど経った頃。
廃坑から、地面を揺らすような足音が聞こえてきた。
ずしん。ずしん。ずしん。
「来た」
ケンタが囁く。
月明かりの下、灰緑色の巨体が廃坑のバリケードを片手で粉砕して出てきた。全身に纏った黒い煙が、月光を飲み込むように揺らめいている。
トロールが鼻をひくつかせた。血の匂いを嗅ぎ取ったのだ。
ぐるるるる……
地面の血の跡を辿り、のっそのっそと倉庫に向かって歩いていく。
倉庫の入り口の前で立ち止まり、中の匂いを嗅いだ。血の匂いが充満している。
そして、身をかがめて入り口をくぐった。
「入った!」
ケンタの合図で、自警団員が入り口に丸太を転がして塞いだ。完全な密閉にはならないが、トロールがすぐに脱出できないレベルの障害にはなる。
「ドラン、天井のロープを!」
「は、はいっ!」
ドランが倉庫の外壁を伝う細いロープを引いた。このロープは天井の梁を通って、吊るした小麦粉の袋の結び目に繋がっている。
ぶちぶちぶちっ。
十袋の小麦粉の袋が一斉に裂けた。
二百キロの白い粉が、倒れた滝のように倉庫内に降り注ぐ。
中からトロールの困惑した唸り声が聞こえた。目や鼻に粉が入って、さすがの巨人も混乱している。
「ライラ、今!」
ライラは倉庫の壁に開けた小さな隙間——ドランが覗き穴として残しておいた部分——に杖を差し込んだ。
倉庫の中は、白い粉で視界がゼロだった。空気中の小麦粉濃度は、爆発下限値を遥かに超えている。
ライラの杖の先端に、小さな火の粒が灯った。
「『小火炎』」
静かな、囁くような詠唱。
小さな火花が、闇の中に放たれた。
一瞬の、静寂。
そして——
どおおおおぉぉぉぉんっ!!!
穀物倉庫が内側から炸裂した。
爆発的な燃焼が、密閉空間を満たす小麦粉の粒子を一瞬で発火させた。空気が膨張し、壁板が吹き飛び、屋根が持ち上がった。窓板が弾けて、隙間から真っ白な炎が噴き出す。
五十メートル離れた場所にいたケンタたちにも、熱波が髪を揺らした。
自警団員たちが腰を抜かしている。
「な、なんだ今のは……!?」
「粉塵爆発だよ。小麦粉の威力を思い知ったか」
倉庫の残骸から、黒煙がもうもうと立ち上っている。
中を覗き込むと、トロールの姿があった。
立っていた。
「まだ立ってるのか……タフだな」
だが、その状態は凄惨だった。分厚い皮膚は全身が炭化し、ぼろぼろと剥がれ落ちている。纏っていた黒い煙は完全に吹き飛ばされていた。ダクネスの闇の加護が、爆発の衝撃で剥がれたのだ。
トロールが、よろめきながら腕を持ち上げた。
再生が——始まらない。
「加護が剥がれた! 再生能力が通常に戻ったわ! 今のうちに——」
「ライラ、まだ魔力はあるか!?」
「焦熱砲一発分なら……!」
「頼む! 止めを刺してくれ!」
ライラが杖を構えた。
新しい白樺の杖の先端に、今度は小さな火花ではなく、圧縮された炎の塊が生まれる。青白い核を持つ高温の火球が、みるみる大きくなっていった。
ライラの銀髪が逆立ち、紫色の瞳が炎の色に染まる。彼女の周囲の空気が歪み、熱を帯びた。
「ここは通さないわ。この村の人たちも、私の仲間も——あなたの牙にはかけさせない」
低く、凛とした声。
普段のポンコツぶりが嘘のような、数百年を生きた魔法使いの矜持がそこにあった。
「消えなさい。『焦熱砲』!!」
白と青の炎の奔流が、夜を引き裂いた。
焦熱砲がトロールの胸部に直撃した。炭化した皮膚を貫き、体の芯まで焼き尽くす。トロールの巨体が炎に包まれ、断末魔の咆哮が夜空にこだました。
やがて、炎が静まった時。
トロールは、灰となって崩れ落ちた。
静寂が戻った。
ライラが杖を下ろし、長い銀髪がさらりと肩に落ちた。
「……終わったわ」
「かっこよかったぞ、ライラ」
「え? ……えへ、そう?」
凛々しかった表情が一瞬で崩れ、照れた笑顔に変わった。切り替えが早い。
「ケンタさん……すごかったです……小麦粉で爆発なんて……」
「ドランが窓を完璧に塞いでくれたから、密閉度が高くて爆発の威力が上がったんだ。ドランの仕事なしじゃ成立しなかった」
「そ、そうなんですか……? 僕は板を打ちつけただけですけど……」
「それが重要なんだよ。チームワークだ」
自警団長が、涙ぐみながらケンタたちの手を握った。
「ありがとう……本当にありがとう……これで村人が安心して暮らせる……」
「いやー、穀物倉庫壊しちゃいましたけど」
「あんなもん建て直せばいい! 命に比べりゃ安いもんだ!」
村人たちが家から出てきて、三人を囲んで歓声を上げた。
ケンタは笑いながら、ふと夜空を見上げた。
双月の間に、一瞬だけ紅い光が瞬いた気がした。
◇ ◇ ◇
天上界。闇の宮殿。
ダクネスは、今回ばかりは黙っていた。
水晶の映し鏡に映るのは、焼け跡の上で村人に囲まれて笑うバックパッカーと仲間たちの姿。
「…………」
「ダクネス様?」
「ベルゼ。あいつ、俺の加護を爆発で吹き飛ばしやがった。闇の最高神の加護を、小麦粉の爆発で」
「……はい」
「しかもその後、仲間の魔法使いに花を持たせた。爆発で弱らせて、止めは仲間に任せる。あいつ自身は一切戦ってない。全部、仕組みと仲間で勝ちやがった」
沈黙が続いた。
やがて、ダクネスがくくっと笑い声を漏らした。
「……やっぱり面白いわ、あいつ。ベルゼ、次はバジリスクだ」
「バジリスク、でございますか」
「ああ。目を合わせたら石になるやつ。あれなら、知恵だけじゃどうにもならないはずだ。見た瞬間に終わりだからな」
「……お手柔らかに」
「三回目だぞその台詞」
「三回目で通じたことがないので、四回目も言わせていただきます。お手柔らかに」
「断る」
少年神の笑い声が、闇の宮殿に響いた。
◆ ◆ ◆
【次回予告】
討伐から一転、日常系ほっこり回!
猛暑でぐったりのライラのために、ケンタが「アイスクリーム」を作ると宣言!
でも異世界に冷凍庫はない。どうやって凍らせる?
鍵は「氷に塩を混ぜると温度が下がる」——凝固点降下!
次回、『バックパッカー、神々の砂場を往く』第7話——
『真夏のアイスクリーム作りと凝固点降下』
お楽しみに!




