第4話 『血を流す聖母像の呪い』
ケンタたちがリューゲの街で名を上げ始めた頃、一通の手紙が届いた。
差出人は、リューゲから北東に二日の距離にある聖都ソレイユの「光の大聖堂」の司祭長。光の神ルミナスを祀る、この地方最大の宗教施設の長だ。
手紙の内容は、切実だった。
「大聖堂の聖母像の目から、赤い血が流れる怪奇現象が発生。信者はパニックに陥り、闇の神ダクネスの呪いだと噂が広がっている。事態を収束させるため、噂の知恵者殿に調査をお願いしたい」
「聖母像が血を流す、か。ホラー映画みたいだな」
「笑い事じゃないわよ。光の教団はこの大陸最大の宗教組織で、信者は何万人もいるの。聖母像が血の涙を流してるなんて噂が広まったら、社会不安に繋がりかねないわ」
「しかも闇の神の呪いだと思われてるんだろ。ダクネスの信者と光の教団の信者の間で対立が起きる可能性もある」
「ぼ、僕の故郷のドワーフの集落にも光の教団の信者はたくさんいます……早く解決しないと大変なことに……」
「わかった、行こう。報酬も悪くないしな」
金貨五十枚。ギルド依頼ではなく直接依頼なので手数料もかからない。
◇ ◇ ◇
天上界。光の宮殿。
ルミナスは珍しく、おやつの天界フルーツにも手をつけず、水鏡を睨みつけていた。
「セラフ! 聞いた!? 私の聖母像が血の涙を流してるんですって!」
「はい。聖都ソレイユの光の大聖堂にて、奉納像から赤い液体が染み出している模様です」
「これ、絶対ダクネスの仕業よ! あいつ、私の像に呪いをかけて信者を怯えさせる気だわ! 私の像で! 私の信者を! 許せない!」
ルミナスが玉座の肘掛けをバンと叩いた。天上界の雲が一瞬びくりと震える。
「ムキーーーッ! あのクソガキ、今度という今度は――」
「……しかし、ルミナス様」
「何よ!」
「ダクネス様の魔力の痕跡が、聖母像からは一切検出されておりません」
「…………え?」
ルミナスの怒りが一瞬止まった。
「ダクネスの魔力が、ない? じゃあ……あの血の涙は、なに?」
「不明です。闇の呪詛でも、魔族の介入でもないようです」
ルミナスは腕を組んで、眉を寄せた。
「おかしいわね……。血の涙を流すなんて、どんな呪いをかけたらそうなるのかしら。魔力の痕跡がないのに、あんな不気味な現象が起きるなんて……。仮に呪いじゃないとしたら、余計に分からないわ」
水鏡に目を落とす。そこには、依頼の手紙を読んでいるケンタたちの姿が映っていた。
「……あの子、行く気ね」
「はい。異世界人のケンタが、調査依頼を受諾した模様です」
「…………」
ルミナスは、しばし沈黙した。それから、ふん、と鼻を鳴らして頬杖をついた。
「いいわ。見届けてあげる。あの子が、私にもわからないこの謎をどう解くのか——ちょっとだけ、興味あるし」
金色の瞳が水鏡の中のケンタを見つめる。その視線には、怒りよりも好奇心のほうが、ほんの少しだけ勝っていた。
◇ ◇ ◇
聖都ソレイユは、その名の通り太陽のような街だった。
白い石造りの建物が整然と並び、大通りは幅広く、陽射しが燦々と降り注ぐ。街の中心に聳える光の大聖堂は、白い大理石と金箔で飾られた壮麗な建築物で、尖塔の先端に掲げられた太陽の紋章が、遠くからでも輝いて見えた。
「うわ、きれいだな……バチカンのサン・ピエトロ大聖堂を思い出す」
「ばちかん?」
「俺の世界の宗教施設。似た雰囲気だ」
だが、街の雰囲気は暗かった。
普段は賑わう参道には人影が少なく、すれ違う信者たちの顔は不安に曇っている。あちこちで「呪いだ」「闇の神の怒りだ」という囁きが聞こえた。
大聖堂の入り口で、白い法衣を纏った初老の男が待っていた。額に深い皺を刻み、顔色が優れない。
「お待ちしておりました。司祭長のグレゴリオです。遠路お越しいただき感謝いたします」
「柏木ケンタです。さっそく、聖母像を見せてもらえますか」
「ええ、こちらへ」
大聖堂の内部は、外観以上に壮大だった。
高い天井からステンドグラスの光が差し込み、色とりどりの光の帯が石の床に模様を描いている。中央の祭壇に向かって長い身廊が伸び、木製の礼拝席が整然と並んでいた。白い蝋燭の炎が無数に揺れ、清廉な空気が満ちている。
そして、祭壇の背後に——聖母像があった。
高さ三メートルほどの白い石像。両手を広げて祈りを捧げる女性の姿。顔立ちは穏やかで、慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。ルミナスを模した像だ。
その、右目から。
赤い筋が、一本、頬を伝って流れ落ちていた。
「……確かに、赤いな」
ケンタは祭壇に近づき、聖母像の顔を間近で観察した。
赤い液体は、右目の目頭あたりから染み出している。乾くと暗い赤褐色になり、頬から顎にかけて筋状の痕が残っている。
「触っていいですか」
「ど、どうぞ……」
ケンタは指先で赤い液体を少量拭い取り、鼻に近づけた。
匂いを嗅ぐ。
「…………」
次に、指と指で液体を擦り合わせた。
「……ライラ」
「何?」
「これ、血じゃない」
「え?」
「血だったら鉄の匂いがするし、乾くと黒っぽくなる。これは鉄の匂いはするけど、生臭さがない。あと、粒子がザラザラしてる」
「じゃあ何なの?」
「たぶん、赤サビだ」
「あかさび?」
「酸化鉄。鉄が水と酸素に触れて錆びたもの。赤い色をしてて、粉状になると水に溶けて液体みたいに流れる。『酸化』っていう、自然界でありふれた現象だよ」
司祭長のグレゴリオが眉をひそめた。
「酸化……? しかし、聖母像は純粋な白大理石で作られています。鉄など使われていないはずですが……」
「本当にそうですか? この像、中に補強材が入ってませんか」
「ほ、補強材?」
「三メートルの石像だ。腕を広げたポーズは重心が不安定で、石だけだと自重で折れる可能性がある。内部に金属の芯を入れて補強するのは、地球でもよくある手法です」
グレゴリオが青ざめた。
「そ、そう言えば……この聖母像は二百年前に奉納されたもので、当時の建造記録は失われていますが……最近、屋根の修理をした際に、像の背面に小さなひび割れが見つかったことがあります」
「ひび割れか。時期は?」
「ひと月ほど前です。修理ついでに、作業員が像のひびも補修したのですが——」
「その作業員は、ひびの中に何か見ましたか」
「え……確認はしていませんが……」
「見せてください。像の背面を」
祭壇の裏に回ると、聖母像の背中に、確かに補修の跡があった。白い漆喰で埋められたひびだ。
ケンタはマルチツールの細いドライバーで、漆喰の一部を慎重に剥がした。
「ケンタ、聖母像を壊しちゃダメよ!」
「壊さない。最小限に確認するだけだ」
漆喰の下から現れたのは、黒ずんだ金属の棒だった。
「やっぱり。鉄の芯が入ってる」
鉄の芯は、見事に錆びていた。赤茶色の錆が表面をびっしりと覆い、ところどころ膨張して石を押し広げている。
「二百年分の鉄の錆だ。ひびが入ったのは、錆が膨張して石を内側から押したからだろう。そして、ひびの隙間から雨水が染み込んで、さらに錆が進行した」
ケンタは聖母像の目の周辺を観察した。
「像の内部には鉄の骨格が通っていて、頭部にも芯がある。その芯が錆びて、赤サビが溶けた水と一緒に石の微細な隙間を伝って流れ出している。ちょうど目頭のあたりに隙間が集中してるから、そこから染み出してるように見えるんだ」
「つ、つまり……闇の神の呪いではなく……」
「ただの錆です。鉄が酸化しただけ。自然現象です」
静寂が落ちた。
グレゴリオ司祭長は、しばし呆然としていたが、やがて深い深いため息をついた。
「……そんな……二百年間、信者たちの祈りを受けてきた聖母像の涙の正体が……錆……」
「いや、逆に考えてください。呪いじゃなかったんですよ。闇の神の呪いでもなく、不吉な前兆でもない。ただの経年劣化です。修理すれば止まります」
グレゴリオの目に、安堵の涙が浮かんだ。
「……そう、ですな。呪いでないなら……それは、むしろ喜ばしいこと……」
「ドラン」
「は、はい!」
「この像の内部の鉄の芯を、錆びない金属に交換することはできるか? 全部じゃなくていい。目の周辺だけ」
「え、えっと……像の内部構造を把握できれば、可能です。真鍮か青銅なら錆びにくいですし、鉄より加工もしやすい」
「司祭長。修理の許可をいただければ、仲間が像の芯を錆びない金属に交換します。これで二度と『血の涙』は流れなくなるはずです」
「も、もちろんです! お願いします!」
◇ ◇ ◇
ドランは二日がかりで聖母像の内部補修を行った。
目の周辺の鉄芯を慎重に取り除き、青銅の芯に交換する。ひびは防水性のある特殊な漆喰で丁寧に埋め直した。
その間、ケンタは信者たちに向けて「説明会」を開いた。
「聖母像の涙は呪いではありません。像の内部にある鉄の補強材が、二百年の歳月で錆びただけです。鉄というのは水と空気に触れると赤く変色する性質があって——」
噛み砕いて説明すると、信者たちの顔に安堵が広がっていった。
「呪いじゃなかったのか……!」
「よかった……闇の神の仕業じゃなかったんだ……」
「でも、なんてことだ。聖母像に雑な工事をしたやつが悪いんじゃないか!」
最後の発言に、信者たちが「そうだそうだ!」と盛り上がった。怒りの矛先が闇の神から二百年前の建築業者に移ったのは、ある意味正しい解決だった。
修理が完了し、聖母像はもとの慈愛に満ちた表情を取り戻した。赤い涙の跡もきれいに拭き取られ、白い大理石が光を受けて穏やかに輝いている。
「見事だ……元通りだ……いや、元通り以上だ」
グレゴリオ司祭長が感無量の表情で聖母像を仰ぎ見た。
「ケンタ殿、あなたのおかげで教団の危機が救われました。報酬の金貨五十枚に加えて、教団からの感謝状をお送りします」
「感謝状はいらないですけど、メシ奢ってください。この街の名物料理が食べたい」
「もちろんです! ソレイユの黄金焼き鱒をご馳走しましょう。世界一の川魚ですぞ!」
「やった!」
ライラが即座に反応した。
◇ ◇ ◇
天上界。光の宮殿。
ルミナスは、今回ばかりは笑っていなかった。
「セラフ」
「はい」
「私の像の中に、錆びた鉄が入ってたって?」
「はい。二百年前の建造時に、構造補強として挿入されたものです」
「私の像に……雑な工事を……」
ルミナスの金色の瞳が、ゆっくりと細くなった。
「許さない」
「ル、ルミナス様?」
「私の像になんて雑な工事をしてくれたのよ! 二百年そのままって、誰も中を確認しなかったの!? 信者たちが怯えてたのは、全部あの錆のせいじゃない! ムキーーーッ!!」
ルミナスが玉座の肘掛けをばんばん叩いた。天上界が微かに揺れた。最高神の癇癪は物理法則を歪める。
「まあまあ、結果的にあの異世界人が解決しましたので……」
「……そうね。あの子、今回も見事ね。呪いでも何でもなくて、ただの錆だって一目でわかったみたいだし」
ルミナスの怒りが、しゅうんとしぼんだ。切り替えの早さは相変わらずだ。
「でも、悔しいのは悔しいわ。私の信者が私の像のせいで怯えてたのに、解決したのが私じゃなくてあの子なんだもの」
「……ルミナス様が直接手を下すこともできたのでは?」
「あー、うん、まあ。気づいてたといえば気づいてたんだけど……あの子がどうやって解決するか、見てみたかったのよね」
「…………」
セラフは何も言わなかった。主人の中で、あのバグ人間への感情が変化しつつあることを、天使は静かに見守っていた。
闇の宮殿では。
「ベルゼ」
「はい」
「今回、俺は何もしてないよな」
「はい。ダクネス様は一切関与しておりません」
「なのにルミナスの信者たちは、最初に『闇の神の呪いだ』って騒いだ。俺がやったことにされた」
「……はい」
「ムカつくな。俺がやってもいない呪いの犯人にされて、あのバグ人間が解決して英雄扱い。最悪のパターンだ」
「お気の毒です」
「慰めるな。余計ムカつく」
ダクネスは頬杖をつきながら、しかしどこか楽しそうだった。
「まあいい。次こそ俺の出番だ。あいつの知恵で解けないような謎を作ってやる——いや、違うな。あいつが解けなさそうな状況に、あいつを放り込んでやるか」
「お手柔らかに」
「その台詞、前回も言ったぞ」
◆ ◆ ◆
【次回予告】
幻のキノコ「夢幻茸」を求めて霧の谷へ!
だがルミナスの善意の浄化が裏目に出て、旨味が全滅!?
ケンタの秘策は「灰汁(アルカリ性の液体)で毒を中和する」——!
次回、『バックパッカー、神々の砂場を往く』第5話——
『痺れキノコと中和の科学』
お楽しみに!




