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第3話 『物理無効の巨大スライムには塩も効かない!』


 ある朝、ギルドの掲示板に赤い封印つきの依頼書が貼り出された。


 赤い封印は、緊急依頼の証。報酬が通常の三倍になる代わりに、危険度も高い。


「『ラズール鍾乳洞の巨大スライム討伐。交易路を塞いでおり、隊商が通行不能。至急対処されたし。報酬:金貨三十枚。推奨ランク:銀以上』……銀以上って、俺たちまだ銅なんだけど」


「でも報酬が金貨三十枚よ! これだけあれば二ヶ月は暮らせるわ!」


 ライラの目がまたしてもギラギラしている。今回は食い意地ではなく、金の亡者モードだ。


「ランク制限じゃなくて推奨だから、自己責任で受けることはできるわ。ギルドのルール上はね」


「ぼ、僕は反対に一票を……」


 ドランが小さく手を挙げるが、誰も見ていない。


 ケンタは依頼書の詳細を読んだ。


 ラズール鍾乳洞は、リューゲの街から南に半日の場所にある天然の洞窟だ。洞窟を貫通する道が南部への主要交易路になっており、ここが塞がると物流に大きな影響が出る。


 問題の巨大スライムは、洞窟の最も狭い通路にどっかりと居座っているらしい。通常のスライムと違い、体長五メートル以上の超大型個体で、剣で斬ると分裂して増殖する。魔法の火を当てても表面だけ蒸発してすぐ再生。すでに銀ランクのパーティが三つ撃退されている。


「銀ランクが三パーティやられてるのか……」


「物理攻撃が効かないモンスターは厄介よ。スライムは体の九割が水分だから、切ったり叩いたりしても意味がないの。ダメージを受けた部分が分裂して、二匹に増えるだけ」


「塩は?」


「塩がスライムに有効なんて知らなかったけど、このサイズになるとすごい量が必要になるわ。そんな量を運ぶのは不可能よ」


「じゃあ、火は?」


「表面を焼いても中心核まで届かない。水分が蒸発して膜を作るから、中核は無傷で再生するの」


「なるほど……。じゃあ、水分ごと倒す方法を考えないとダメだな」


 ケンタは顎に手を当て、しばし考え込んだ。


 スライムの体の九割が水分。物理無効。火で表面を焼いてもダメ。


 ……水分が問題なら、水分を攻めるしかない。


「ライラ。氷の魔法で凍らせるのは?」


「試したパーティがいたわ。でもダメだった。スライムは自分で体温を上げて、氷を内側から溶かすの。小さいスライムなら凍らせきれるけど、五メートル級は魔力が足りないわ」


「外から冷やすんじゃダメか……。じゃあ、中から冷やしたら?」


「中から?」


「吸熱反応だ」


 ライラとドランが、きょとんとした顔をした。いつものことだ。


「化学反応の中には、反応する時に周囲の熱を奪うものがある。吸熱反応って言うんだ。たとえば、硝酸アンモニウムを水に溶かすと、一気にマイナス十度以下まで温度が下がる。冷却パックの原理だよ」


「しょうさん……あんもにうむ?」


「窒素を含む化合物だ。自然界にもある。具体的には——コウモリのフン」


「えっ」


「コウモリのフンが長年堆積すると、微生物の分解で硝酸アンモニウムが生成されるんだ。洞窟にコウモリがいるなら、フンの堆積層もあるはずだ」


「つ、つまり……コウモリのフンをスライムにぶち込んで、体内で吸熱反応を起こして、内側から凍らせるってこと?」


「その通り」


 ライラは三秒ほど固まった後、ぽんと手を打った。


「天才じゃない!?」


「いや、理科の基本原理の応用なんだけど」


「ぼ、僕はちょっと……コウモリのフンって聞いて……うぷ……」


「ドラン、この作戦でお前の出番は最後の最後だ。凍ったスライムを砕く。ハンマーで」


「ハ、ハンマーなら……得意です……!」


 ドランの表情が変わった。ハンマーを振ることだけは、ドワーフの血が騒ぐらしい。



   ◇ ◇ ◇



 ラズール鍾乳洞は、入り口からして美しかった。


 高さ十メートルほどのアーチ状の開口部は、青い鉱石で縁取られている。洞窟の名前の由来であるラズール石(ラピスラズリに似た鉱石)が、天然の青い光を放ち、まるで海底に続くトンネルのようだった。


 中に入ると、天井から無数の鍾乳石が垂れ下がっている。水滴がぽたり、ぽたりと落ちるたびに、洞窟全体が微かに反響して音楽のように聞こえた。


「きれいだな……」


「観光気分はいいけど、奥にスライムがいるのよ。気を引き締めて」


「わ、わかってます……」


 三人はランタンの灯りを頼りに、洞窟の奥へと進んだ。


 途中、天井にコウモリの群れがぶら下がっているのを見つけた。数百匹はいる。その下の床面には、予想通り、黒っぽい堆積物が分厚く積もっていた。


「ビンゴ。コウモリのフンだ」


「うぷ……匂いがすごいですぅ……」


「この匂いの正体がアンモニアだ。窒素化合物が分解されてる証拠。下の層ほど長期間堆積されてて、硝酸アンモニウムの濃度が高いはず」


 ケンタは持参した麻袋に、堆積層の下部をスコップで掘って詰め込んだ。粉状に乾いた部分を選ぶ。水に溶かした時に最大の吸熱効果を得るためだ。


 麻袋三つ分——約二十キログラムのフンを確保した。


「よし、十分だ。次はスライム本体を見に行こう」


「見に行くだけよ! まだ戦わないからね!」


 ライラが釘を刺した。賢明だ。



   ◇ ◇ ◇



 その頃、天上界。闇の宮殿。


 ダクネスは水晶の映し鏡を覗き込みながら、にたりと口角を吊り上げた。


「ベルゼ、見ろ。あのバグ人間ども、巨大スライムに挑む気だぜ」


「銅ランクで銀推奨の緊急依頼ですか。無謀ですね」


「無謀だから面白いんだよ。……しかし、このまま見てるだけじゃつまらないな」


 ダクネスは玉座から身を乗り出し、紅い瞳を愉快そうに細めた。


「あのスライム、五メートルだっけか。ちょっと可愛すぎるな。――俺の魔力で、もうちょっとデカくしてやるか」


「……ダクネス様。あれは自然発生した大型個体です。これ以上大きくすると、洞窟そのものが崩壊する恐れが――」


「崩壊しない程度にやるよ。倍くらい? いや、八メートルくらいがちょうどいいか。くくく……銀ランクが三パーティやられた化け物が、さらにデカくなったら、あいつらどんな顔するかな」


 ダクネスが指を鳴らした。


 パチン、と。


 闇の魔力が水晶の映し鏡を通り、はるか地上の洞窟へと降り注ぐ。巨大スライムの体が脈動し、ぶくぶくと膨れ上がった。五メートルが、六メートルに。七メートルに。八メートルに――。


「カハハ。太れ太れ、もっと太れ。あいつらを絶望させてやろうぜ」


 ダクネスは玉座の上で足を組み、最高のショーの開幕を待つ観客のように映し鏡に見入った。



   ◇ ◇ ◇



 洞窟の通路が狭まる地点に、それはいた。


 巨大スライム。


 通路の幅いっぱいに、半透明の緑色をした巨大なゼリーの塊が、どろりと蠢いている。天井まで届きそうなほどの体積。ゆっくりと脈動するたびに、内部に浮かぶ溶けかけた骨や武器の残骸が見え隠れした。


 銀ランクの冒険者が残していったと思しき剣や盾が、スライムの体内でゆっくり溶解されている。


「……でかいな」


「ちょっとデカすぎるは、5メートルどころじゃないわ!8メートル……10メートルはあるかも!?」


「あの時は塩で縮ませたけど……このサイズに塩は絶望的だな。トン単位で必要になる」


 ケンタは安全な距離からスライムを観察した。


 脈動の間隔。移動速度。体色の変化。そして、通路の床を覆っている水たまり。


「……ライラ、あの水たまりを見てくれ」


「え? あれはスライムが分泌する粘液よ。体の一部みたいなものね」


「スライムの体液が水たまりになってるんだ。つまり、あの水たまりにコウモリのフンを溶かせば、吸熱反応が起きる。でも、水たまりだけ凍らせてもスライム本体には効かない」


「じゃあ、どうするの?」


「スライムを水たまりの中に誘い込む。全身が水に浸った状態で吸熱反応を起こせば、体の内側と外側の両方から一気に凍らせられる」


「でも、スライムは自分から水たまりには入らないわよ。あの場所に居座ってるのは、狭い通路を塞ぐのが一番効率的に獲物を待てるからで――」


「だから、追い立てる。ライラ、お前の出番だ」


 ケンタの目が、真剣な光を帯びた。


「魔法でスライムを誘導してもらいたい。あいつが嫌がる方向に攻撃して、水たまりのほうに動かす」


「私の魔法で? でも火も氷も効かないって——」


「効かなくていい。ダメージを与えるのが目的じゃない。嫌がらせが目的だ。スライムだって本能的に不快な刺激からは離れようとする」


「なるほど……不快な刺激ね。風魔法で体を引き千切って散らすとか? 再生はするけど、嫌がるはず」


「それだ。頼む」


「ぼ、僕は何を?」


「ドラン。お前は最後の仕上げだ。スライムが凍ったら、お前のハンマーで中心核ごと粉砕してくれ。一番大事な役割だ」


「……はいっ!」


 ドランが力強く頷いた。



   ◇ ◇ ◇



 作戦開始。


 ケンタはまず、洞窟の通路に沿って水路を掘った。スライムの手前にある窪みに水を集め、大きな水たまりを作るためだ。ドランの鍛冶用スコップが役立った。


 水たまりの底に、コウモリのフン二十キログラムの半分を沈めた。乾燥した粉状のフンは水に触れた瞬間溶け始めるが、麻袋に包んだまま沈めることで溶解速度を遅らせている。


「タイミングが重要だ。スライムが水たまりに入った瞬間に、残りのフンを一気にばら撒く。それまでは溶けすぎないようにしたい」


「了解。じゃあ、私が追い立てるわよ」


 ライラが杖を構えた。


 紺色のローブの裾が、見えない風に煽られて揺れる。銀色の髪が宙に舞い上がり、紫色の瞳に魔力の光が灯った。杖の先端——欠けたままの先端に、凝縮された魔力が渦を巻く。


「来るわよ、スライム。私の風に追い立てられるのは——光栄に思いなさい!」


 ライラが杖を振り下ろした。


「『烈風刃テンペストスラッシュ』!」


 真空の刃が空気を裂き、巨大スライムの体表に叩きつけられた。


 ずばんっ!


 スライムの体が横一文字に裂ける。切断面から緑色の体液が飛び散り、洞窟の壁を濡らした。


 だが、切断された二つの塊は、三秒で再び融合した。


 しかし——スライムは嫌がった。


 ぐぬぬぬぬ、と不快そうに全身を痙攣させ、ライラとは反対方向——つまり、水たまりのほうへじりじりと移動し始めた。


「効いてる! 嫌がってこっちに来る!」


「もう一発!」


「了解! 『烈風刃テンペストスラッシュ』! もう一発! 『烈風刃テンペストスラッシュ』!!」


 ライラが連続で真空の刃を放つ。一撃ごとにスライムの体が裂かれ、そのたびに再生する。だが、不快な刺激から逃れようと、スライムは確実に水たまりの方向へ移動していた。


 しかし、三発目を放った時、ライラの足元がぐらついた。


「くっ……やっぱり燃費が悪い……! あと二、三発が限界……!」


「十分だ! もう少しだけ頑張れ!」


 ケンタは水たまりの縁で麻袋を構えていた。残りのフンが十キログラム。これを最適なタイミングで投下しなければならない。


 ライラが四発目の烈風刃を放った。


 スライムの巨体が、ついに水たまりの縁に差しかかった。


 ずるり、と。


 巨大スライムの下半分が、水たまりに滑り込んだ。


「今だ!」


 ケンタが麻袋を解き放つ。十キログラムの乾燥コウモリフンが、スライムの体表と水たまりの水面に降り注いだ。


 同時に、水中に沈めてあった麻袋も限界を迎え、中身が水に溶け出した。


 化学反応が、始まった。


 硝酸アンモニウムが水に溶解する際に起こる吸熱反応。周囲の熱を急速に奪い、温度を一気に引き下げる。


 ぼこぼこぼこっ!


 水たまりの水面が激しく泡立ち、白い霧が立ち上った。


 そして——


 ぱきぱきぱきぱきぱきっ!


 水たまりの水が、見る見るうちに凍っていった。


 スライムの下半分を包み込むように、氷が成長していく。半透明の緑色の体が、白い氷の中に閉じ込められていく。


「ぐ、ぬぬぬぬぬっ!?」


 スライムが焦った——ように見えた。上半分の体を震わせ、体温を上げようともがいている。


 ライラの氷魔法と違い、これは外側からの冷却ではなく、スライム自身の体液(水分)の中で起きている吸熱反応だ。体温を上げても、自分の水分が冷えているのだから意味がない。


「凍ってる……! 本当に凍ってるわ!」


「体内の水分が直接冷却されてるから、再生が追いつかないんだ!」


 氷は上半分にも侵食していった。スライムの動きがどんどん鈍くなり、脈動が弱まっていく。


「もう少し……もう少しで全身が……!」


 最後の抵抗。スライムが体の一部を切り離して逃げようとした。上半分から小さな分離体がぼとりと落ちる。


「逃がすか!」


 ライラが最後の力を振り絞った。


「凍りなさい!『氷結のフロストチェイン』!!」


 凍結を免れた小さな分離体を、ライラの氷の鎖が貫いた。通常サイズのスライムなら、ライラの氷で十分だ。分離体は悲鳴のような音を立てて凍りつき、ぱきん、と砕け散った。


「ライラ、ナイス!」


「えへへ……もう魔力ゼロだけど……」


 ライラが杖に寄りかかりながら、へにゃりと笑った。


 水たまりの中では、巨大スライムの全身がほぼ完全に凍結していた。


 半透明だった緑色の体は、白い氷の中に閉じ込められて不透明になっている。脈動は完全に止まった。だが、中心部にうっすらと光る球体——スライムの核が、まだかすかに輝いていた。


「核がまだ生きてる。ドラン!」


「は、はいぃっ!」


 ドランが飛び出した。


 その手には、工房から持ってきた大槌おおづち。普段は鋼を打つためのもので、ドワーフの戦斧ほどの大きさがある。


 気弱で泣き虫のドランが、大槌を両手で振りかぶった瞬間——その姿が変わった。


 ドワーフの血。鉄を打ち、岩を砕き、大地を穿つために生まれた種族の、根源的な本能。ハンマーを持つ時だけ、ドランの中に眠るドワーフの魂が目を覚ます。


「え、えいやあぁぁぁぁっ!!」


 渾身の一撃。


 大槌が、凍結した巨大スライムの中心を打ち据えた。


 がしゃああぁぁん!!


 凍ったスライムが、岩飴のように粉々に砕け散った。


 氷の破片が洞窟中に飛び散り、ラズール石の青い光を受けてきらきらと輝く。中心にあった核も、砕け散りながら光を失っていった。


 静寂が、戻った。


「…………やった?」


「やったわ」


「やりました……よね?」


 三人が顔を見合わせる。


 通路を塞いでいた巨大スライムは影も形もなく、代わりに散らばった氷の欠片が、洞窟の青い光の中でダイヤモンドのように輝いていた。


「やったーーーっ!!」


 ライラが歓声を上げ、力尽きてその場にへたり込んだ。


「ドラン、お前の一撃がなかったら倒せなかった。すごかったぞ」


「え、えへへ……ハンマーを振るのだけは、得意なんです……」


 ドランが照れくさそうに大槌を抱きしめた。



   ◇ ◇ ◇



 討伐完了の報告をギルドに持ち帰ると、受付のラミアが目を丸くした。


「銅ランクが巨大スライムを倒した? 嘘でしょ」


「本当です。これ、核の破片」


 ケンタがスライムの核の欠片を差し出すと、ラミアはそれを光にかざして確認し、長いため息をついた。


「……間違いなく巨大スライムの核ね。報酬の金貨三十枚、お支払いします。それと——あんたたちのランク、銀に上がるわよ。銀ランクの推奨依頼を三つ撃退した案件を、銅ランクが処理したんだから」


「銀ランク!? やったあ!」


 ライラが飛び上がった。が、魔力切れの影響で足がもつれて転びかけ、ケンタが慌てて支えた。


「落ち着けよ。ほら、先にメシ食おう。腹が減った」


「今日はお祝いね! いいもの食べましょう!」


「賛成ですっ!」


 三人は上機嫌で酒場のテーブルに着いた。金貨三十枚と銀ランク。異世界生活の質が、明らかにワンランク上がった瞬間だった。



   ◇ ◇ ◇



 天上界。闇の宮殿。


「コウモリのフンで巨大スライムを倒しやがった」


 ダクネスは、もはや呆れ八割、感心二割の表情で水鏡を眺めていた。


「あいつの頭ん中、どうなってんだ。普通、洞窟で敵と戦う時にコウモリのフンなんか使おうと思うか?」


「常人には思いつかないでしょうね」


「常人じゃないってことか。面白いけど、ちょっと悔しいな。次はもうちょっと本気でいこうかな」


「お手柔らかに」


「断る。次は、トロールでも送り込んでやるか」


 ダクネスの紅い瞳が、獰猛な期待に輝いた。



 


  ◆ ◆ ◆



【次回予告】


 光の教団の教会で、ルミナスを模した聖母像の目から赤い血が流れる怪奇現象が発生!


「闇の神の呪いだ!」とパニックに陥る信者たち。


 だがケンタの答えは至ってシンプルで——


 次回、『バックパッカー、神々の砂場を往く』第4話——


 『血を流す聖母像の呪い』


 お楽しみに!

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