第48話 六十四・五パーセントの加速、あるいは三日目の静寂
PvPから戻り、僕はシステムメニューを開く。そして二人で僕のシンクロ率を覗き込む――。
『Synchronization rate:64.5%』
「「64.5パーセント!!」」
僕たちの声もシンクロする。
一回のPvPで2.4パーセントも跳ね上がった数値。それは、僕がこの世界の物理法則を射抜き、ベルさんの『真実』に同調した証拠だった。
「順調ね、カツミちゃん……あなたはもう確実に『こっち側』の住人になったのね」
ベルさんの口調は、罪悪感が混ざっているように聞こえた。
二人の間に、昨日までとは違う、濃密で重い空気が流れる。
ベルさんはカウンターの奥で、自分の細い指先をじっと見つめた。
僕を「真実」に近づけるために、彼女が自身の脳を白熱させながら座標をささやいた結果が、この数値なんだ。
「……ねえ、カツミちゃん。明日の夕方には、エイトくんが帰ってくるわね」
ベルさんの言葉に、僕は現実に引き戻されるような感覚を覚えた。
11月13日
八代がいない、三日間の最後の一日。
『土産マジで期待してろ! もみじ饅頭だけじゃないぞ!!』
そんなスマホに届いた八代のメッセージを見ても、なんの期待感も浮かんでこなかった。そういえばこの何日か、返信してなかったな。
現実のことなんて、なんだかどうでもよくなってしまっているみたいだ。それでも午前中だけは予習をし、VRギアを被った。
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「エイトが帰ってきますね」
「ええ、だから今日はこの三日間の総仕上げをしましょう。でも外には行かないわ。その代わり、ここであなたの『偶然』と、私の『必然』をもっと深く馴染ませるの」
ベルさんはそう言うと、店内の照明を少しだけ絞った。
鉄の扉の向こう側にある『午後二時』の眩しさから切り離された、僕と彼女だけの暗がり。
彼女のシルエットが、これまで以上に現実味を失って、美しく揺れている。
彼女はゆっくりと、僕の碧眼を覗き込んだ。
「64.5パーセント。
その数値の先にある、もっと深い場所へ行きましょう。
カツミちゃん。私の眼を、逸らさずに見て」
ベルさんの吐息が届くほどの距離。
暗がりのなか、彼女の瞳に宿る『絶対座標把握』の微かな光が、僕の視界を侵食していく。
「共有して。昨日、あなたが射抜いた797メートルの『真実』を、もう一度、私の脳から引きずり出すのよ」
ベルさんの冷たい指先が、僕のこめかみにそっと触れる。
『[CAUTION]Visual-Data Synchronizing: Inter-Link Authorized.』
(警告:視覚データ同期中。相互リンクが承認されました)
その瞬間、システムを介した『視覚共有』の警告が、視界の端で赤く点滅した。
本来なら、スポッターとスナイパーがシステムメニューを介し、戦場で使うための機能。この至近距離で、外部のノイズを遮断した店内で行えば、情報の流入速度は跳ね上がる。
暗闇の中、僕の碧眼に、ベルさんの『絶対座標把握』が捉えたあの時の光景が、逆流するように流れ込んできた。
脳が、白熱する。
彼女が見ている無数のプレイヤーのステータスの座標、僕が掴んだ、弾道という一筋の偶然。
二つの異質な視界が、混ざり合い、一つの『正解』へと溶けていく。
ベルさんの荒い呼吸が、僕の呼気と重なる。
現実の肉体の重みも、八代との約束も、すべてがこの情報の濁流に呑み込まれて消えていく。
ただ、彼女の視界に染め上げられることだけが、今の僕には、どんな薬よりも甘美で、恐ろしい快楽だった――。
ふっと、視界を侵食していた座標の糸が消え、元の薄暗い店内に戻る。
あまりの情報の密度に、僕はスツールから崩れ落ちそうになり、カウンターを掴んで辛うじて踏みとどまった。
脳の奥が、まだ不自然に熱い。
荒い呼吸を整えようともがく僕の前に、ベルさんは音もなく寄り添っていた。
「これでいいわ。あなたの『眼』は、もう迷うことはないわ」
彼女はそっと、僕の碧眼を隠すように瞼の上に指を滑らせた。
その指先は、あれほど白熱していたはずなのに、驚くほど冷たく、そして優しかった。
「お休み、カツミちゃん。明日になれば、あなたの『守護者』が帰ってくるわ」
ベルさんの声が、白熱した脳に染み渡るように響いた。
彼女はホロ・タブレットに指を滑らせる。この店を外界から守るための、彼女だけの特権的な操作。
「接続解除、承認。現実の身体を、ちゃんと温めてあげなさい」
視界の端に、店主権限による『強制ログアウト・シークエンス』の通知が浮かび上がる。
『[SYSTEM NOTICE] Administrative Override: Session Termination Initiated.』
(システム通知:管理者権限による上書き。セッション終了プロセスが開始されました)
『[STATUS] Synchronicity Level Stabilization... OK.』
(ステータス:シンクロ率の安定化処理……完了)
『[NOTICE] Forced Log-out Sequence Activated by Owner "BELL".』
(通知:オーナー"BELL"により、強制ログアウト・シークエンスが発動されました)
それは拒絶ではなく、限界まで情報を注ぎ込まれた僕の脳を保護するための、彼女なりの慈悲だった。
急速に遠のいていく、オイルの匂いとベルさんの冷たい指先の感触。
――カツミ。
最後に聞こえたのは、システム音に紛れた、彼女のかすれたささやきだったような気がした。
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次に目を開けたとき、視界にあったのは、VRギアの内側の暗闇と、重い身体の感覚だった。
――夜。
八代のいない三日間の、最後の夜がふけていく。
僕は現実の自分の心音を、ひどく不快なノイズのように感じながら、ただ横たわっていた。




