第43話 静寂の支配、あるいは二人だけの店
11月1日
朝、目が覚めても、昨夜見た掲示板の文字、『赤い眼の幽霊』が頭に焼き付いて離れなかった。
鏡の前に立ち、榛色の瞳をじっと見つめる。そこには、赤なんて微塵も混じっていない。
幽霊? そんなことはない。ただの弱々しい不登校の元男子の姿が映っているだけだ。
でもこれ、僕のことだ。一番最初は3番ゲート付近。そこでは確かにあの日、5人を屠ったビルがある。それ以外でもエイトとテツさんとでPvPをしている。
レアスキル『センス・シンクロニシティ』を発動したときの『赤い眼』――書かれているのは、間違いなく僕のことだ。
それから毎日、掲示板の【拡散】スレッドをチェックせずにはいられなかった。
スレッドは日に日に伸びていき、やがてその内容は「恐怖」からか、具体的な目撃情報だけではなく、『あの星が見えたら、死神に見つかったと思え』の書き込みが目立つようになっていった。
11月8日
『星』か。
僕が放つ一弾が、プレイヤーにとっては逃げ場のない「凶兆」として刻まれているんだ。
そう自覚するたびに僕は、自分が「あっち側(普通のプレイヤー)」から遠ざかっていくのを感じ、授業が終わると同時に逃げるようにVRギアへ手を伸ばした。
そこに、『今日も遅れる』と八代からの短いメッセージ。
昨日までは、『研修旅行の予習で遅れる』って書いてあったのに……。
そうだよな、来週になれば八代は研修旅行に出かけてしまい、テツさんは予備校だ。
みんな、自分の『現実』を生きているんだ。
僕は一足先にベルさんの店に向かう。
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いつものように、ベルさんは「おかえり、カツミちゃん」と迎えてくれる。
「ただいま、ベルさん」
と、僕はもはや指定席になっている、二つあるうちの手前のスツールによじ登るようにして腰を掛ける。
そして何も言わずとも目の前に差し出されたコーヒーを啜る。
僕の居場所はここにしかないんだ。
しばらくベルさんと雑談をしていると、今日のログインがいつもより早かったせいか、この店に通い始めて一ヶ月、初めて「お客さん」たちと遭遇した。
僕の座っているのは店の奥だ。入ってきたお客さんたちの顔はよく見えなかったけど、ひどく興奮した声が丸聞こえだった。
その内容を聞いて僕は愕然とした。
「聞いたか? 最近、北西エリアに、赤眼の幽霊が出るらしいぜ」
「ああ、『死神』だろ? 噂じゃポンチョで顔はわからないが、金髪で背が低い女の子って聞いたことあるぜ」
「そう、そいつだ。目があった瞬間にリスポーン送りにされるって。誰かが掲示板に書いてたぜ。『赤眼の凶星』ってな。あのエリアには近づかない方が身のためだ」
「ああ、そうだな」
カップを持つ僕の指先が、わずかに震える。
掲示板の書き込みが、プレイヤーたちの生々しい「恐怖」を帯びた言葉となって、僕の耳を突き刺した。
何やら買い込み、しばらくベルさんと世間話をしていたお客さんたちは、「また来るぜ」と言い残して去っていった。
客が帰り、静かになった店内。ベルさんが口をひらく。
「有名人ね、カツミちゃん」
皮肉っぽく、けれど、どこか包み込むような優しさを含んだ声だった。
「僕、あんな風に怖がられてるなんて、思わなかった……」
僕は震える手でカップを置く。
「ただ必死に撃ってるだけなのに。あんな、幽霊だなんて」
ベルさんが、僕の前の空になったカップを下げながら、ふと真面目な顔をした。
「怖がられるのは、それだけあなたの弾道に『嘘』がない証拠よ。システムとの何らかのシンクロ率が50%を超えた狙撃手には、世界が少しだけ違って見えるようになるの。それはギフトだけど、同時に呪いでもあるのよ」
「呪い……?」
僕は自分の指先を見つめた。
掲示板で囁かれる不吉な名前。
「そう。普通の人たちには見えない『真実』が見える代償に、あなたは彼らの輪の中から一歩、外へ踏み出してしまった。エイトくんには、まだ話していないんでしょう? その、見え方の違いを」
図星だった。僕が『赤眼』のとき、その内側で僕が何を感じ、何を見ているのかまでは話せていない。
八代が「研修旅行」という眩しい現実を生きている間、僕は一人、薄暗い店の奥で『呪い』を噛み締めている。
その時、カウンターに置かれたベルさんのホロ・タブレットに、短い着信音が響いた。
「あ、エイトくんからだわ」
画面に表示されたメッセージを、彼女は静かに読み上げる。
『すみません、ベルさん。学校の用事が長引いて、今日はログインできそうにありません。カツミに「ゴメン」と伝えてください。明日、埋め合わせするからって』
……なんだ。やっぱり、今日は来ないんだ。
八代のいない、ガランとした隣のスツール。
店内で、ベルさんの視線だけが、逃げ場のない僕の心を静かに射抜いていた。




